#author("2020-08-31T10:46:19+09:00","default:kuzan","kuzan") 五代目笑福亭松鶴 [[『上方はなし』]]41集 >> 落語家〈はなしか〉の社会に限りまして、どうしても亭主より嬶の方が二三枚役者が上手〈うわて〉に出来て居ります。何時も亭主はヘナチョコでござります。 「今時分までどこをキョロキョロ遊び歩いてるね、情〈なさけ〉ない人やなア、御飯を食べたら家を出てしまう、まるで鳩みたいな人や、餌が欲しならんと戻ってきやへん、何処〈どこ〉へ行ってたんや」 「万さんに逢うたら、お城の堀から乙姫さんが出はるというさかいに見に行ったんや、けどちょっとも出て来やへん、今日は休みかいなと思うて戻ろうと思うて居ると藤助はんに逢うたんや、そんなら天神橋へ行っといで鯨が顔を上げて居るというたよってに、また走って見に行ったけれどいやへん」 「当たりまえや、川に鯨がいるかいな」, 「それでもこの間乾物屋の表通ったら、かわ鯨と書いてあった」 「あれは皮鯨やないかいな、弄物人〈おもちや〉にしられてるね、情ない人やな、お前はんみたいな頼りない人と一生添うていかんならんかと思うと、情けのうなってくるわ」 「なんでも構へん、飯を食べさせて」 「御飯を食べさせてというても、御飯があらへん」 「焚〈たか〉んかいな」 「焚くお米がどこにあるいな」 「オホッ……、腹はペコペコやわ、飯はない、米はないわとするどどうなりますので」 「精出して働きなはれ、銭さえ儲けてやったら、どんな物でも食べさしてあげる」 「嬶、どうぞ頼む、明日〈あした〉から心を入れ替えて働くよって、今日だけ飯を食べさして」 「情けない人やな、そんなら隣の源さん所へ行って、妾がいうてるというてちょっと三十銭ほど借っといなはれ」 「あかん、私がこのあいだ三銭借りに行ったら、貸せんとポロ糞にいいやがった」 「妾がいうてるというたら貸してくれてや、そういうて行っといなはれ」 「ヘイ……源さん、嬶がいうてるね、ちょっと銭三十銭貸してんか」 「お咲さんが三十銭貸せというのか、三十銭でええか五十銭貸そか」 「コラ、源助」 「なんじゃ、眼をむいて」 「私が三銭借りに来たら、貸せんとポロ糞にいうておいて、嬶やったら五十銭貸そか、ハハア、こら少〈ち〉と怪〈あや〉しいぞ」 「そら何をいうね、お前はヅボラ者やがお前所のお咲さんは、女でこそあれ義理の堅い物事に心得のある人やよって貸そというのじゃ、ゴテゴテという事はない、これを持って帰〈い〉に」 「ヘエ……嬶、借て来た」 「借て来てやったか、それを持って横町の魚屋へ行って、何んぞこれと思うような、お頭のついたものを見はかろうて買うといなはれ」 「やっぱり女やわい、偉そうにいうてもあかん、腹がペコペコに空いて居るのに魚を買うて喰うて腹が膨れますかい」 「家で食べるのやない、横町のお家主さんの若旦那がお嫁御を貰うてやったさかい、お祝を持って行ってみなはれ 先方さんははりてや、御祝儀〈おため〉の五十銭くらい包んでくれてや、そしたら隣へ三十銭返して二十銭でお米と漬物でも買うたら、お前はんと妾と御飯が食べられるやないか」 「偉い、偉い、かほどの知恵がありながら、何故、市会議員に選挙せなんだ」 「何をいうてやね、早う買うといで」 「ヘイヘイ……魚屋はん、御免なはれや」 「おいでやす」 「そこにある金魚の親方は何程で」 「金魚の親方……そんな物おまへんで」 「そこにおますが、赤い魚」 「これは鯛で」 「それは何程です」 「一円八十銭だす」 「オオ高、三十銭に負かりまへんか」 「鯛が三十銭でおますかいな」 「そんならこっちにある鰻の親方は」 「なんでも親方だんな、それは鱧〈はも〉だす」 「それ何程だす」 「一円二十銭で」 「オオ高、三十銭に負かりまへんか」 「あんな無茶ばっかりいいなはる」 「こっちにある虱〈しらみ〉の親方は」 「それは烏賊〈いか〉です」 「これは何程だす」 「二十五銭だす」 「オオ高、三十銭に負かりまへんか」 「二十五銭の物を三十銭に値切る人がおますかいな」 「なんでも負けてもらわんとどむならん、腹がペコペコで家へ戻って来たら、飯はないわ米がない、仕方がないよってに家主へお祝いを持って行って祝儀〈おため〉を貰うて嬶と私が飯を食べようというので、人間二人助けると思うてなんでも結構だすさかいまけとくれやす」 「面白いお方や、家のアラを皆いうて仕舞いなはった、まけたげまひょう、そこに生貝が三杯おます。それは十二銭と十五銭に売ってたんですがもう三杯でしまいや、その三杯を三十銭に負けたげます」 「左様か、大きにすみません、その代わり祝儀〈おため〉を沢山〈どっさり〉貰うたら礼をしますさ」 「ゴテゴテ言わんと早う持って行きなはれ」 「大きに、左様なら……嬶、買うて来た、生貝三杯で三十銭や、安いやろ」 「マアマア安かったこと」 「魚屋で段取をいうたんや、腹がペコペコに空いて居る所から、祝を持って行って祝儀を貰うて米を買うて飯を喰うことまで皆いうてン」 「家のアラを皆いうたんか、阿呆〈あほ〉やな、サアあんじょう包んだげるさかい、これを持って行っといで、口上を覚えていきなはれや。可笑〈おかし〉なことをいうてやったら笑われますで。行ったら手を支えて、今日は結構なお天気様でござります、承りますればお宅の若旦那様にお嫁御をお貰い遊ばしたそうでござります。これは誠に御粗末でござりますけれど、長屋の繋〈つなぎ〉の外でござります、お眼に懸けます。これだけ忘れんようにいうのやで。繋の外と云うてやないと、御祝儀を包んでや都合があるよって、早う行っといなはれ」 「ホー、ゴチャゴチャいわんならんねんな、腹がペコペコに空いてるのや、もっと手数のかからんようにいえんか、そんな事よういわんが」 「モウ一ぺんいうたげる、今日は結構なお天気様でござります、承りますればお宅の若旦那様にお嫁御をお貰い遊ばしたそうでござります、これは長屋の繋の外でござります。お眼にかけます」 「よしッ、解った。段取り宜うやる、米の袋を貸して」 「米の袋をどうしてやの」 「戻りに米を買うて来るよって湯を沸かしといてんか、釜の中へ米を放り込んで出来たらガサガサとかきこむのや。腹がペコペコや」 「そないにお腹の空くまで遊んでこいでもええのに、仕様のない人やな」 「チャンと仕度をしといてや、頼むで……アアこれを持って行ったら飯が喰えると思うたら、気がしっかりして来た……御免やす」 「オオ、誰かと思うたら喜イさんか」 「承りますれば……今日は結構なお天気様で」 「怪体〈けつたい〉な挨拶やな、ハイ結構なお日和で」 「お宅の若旦那様におよもご、およもご……およも……マア早いところがお宅の若旦那が嬶を貰うたそうで……」 「ハイ、悴に嫁を貰いまして」 「これは長屋の引張りの外で」 「引張り、引張りということがあるものか、繋〈つなぎ〉じゃろ」 「ヘイ、つないだら引張ります」 「縄でもつないだようにいうてなはる」 「これをお目玉ヘブラ下げます」 「お目玉ヘブラ下げる、それもお眼にかけるじゃろ」 「かけたらプラ下がります。これをいうておかんとお祝儀〈ため〉の都合がおますよって、確かにこれだけ申し上げときます。どうぞお祝儀をよろしゅうお願いいたします」 「甚い気の毒じゃな、こんな心配をして下さらんでもええのに」 「ヘイ、心配して下さらんつもりだしたが、家へ戻ったらして下さらんとどむならんようになったんで腹はペコペコに空いてるのに飯を喰うにも米はなし、隣の源さん所で三十銭借って段取りをいうてまけて貰うて来たんだす、御祝儀をどうぞよろしゅうお頼み申します」 「あればっかりいうてる、面白い男や、いや沢山包みましょう、えらい気の毒やな……喜イさん、こりゃ生貝やないか」 「ヘイ生貝で、これ三杯三十銭に負けてもろうたんで」 「これはお前が途中ではかろうて持って来てやったんか、それともお前所のお咲さんが持って行けというてやったのか」 「家の嬶が持って行けというたんで」 「それでは折角やがよう貰いまへん、お前が途中ではかろうて持って来たんやったら貰うておくが。それというのはお前は町内で評判の阿呆や」 「左様左様、皆そないにいうてくれはります」 「そんな事を自慢すな。お前所のお咲さんは女でこそあれ物事に心得のある人じゃ、祝に下さる物に事かえて生貝とは何事じゃ、生貝は鮑の貝の片思いというやないか。私の所は縁喜を祝うて嫁を貰いました。片思いは不縁の基、両思いじゃなければどむならん、持って帰っとくれ」 「腹がペコペコで」 「お前の腹のペコペコを知ったかい」 「お祝儀〈ため〉を」 「祝も貰わんのに祝儀を入れる馬鹿があるか、早う持って帰〈い〉んでくれ、縁喜の悪い」 「そんな無茶をしたらどむならん、それみい、放ったさかい三杯の生貝が四杯になったがな」 「あんじょう見なはれ、一ツは猫の碗じゃ」 「腹が空いてるよってに眼も見えん」 「早う持って帰にくされ、愚図愚図しくさったら煮湯を浴びせるぞ」 「ウワワワワ、帰にます帰にます……腹がドカ空〈へ〉りや、オホホホホ」 「オイ喜イ公、泣いてるな、どうした」 「ウム万さんか、さっぱりわやや、飯が喰えん」 「ホウ、どこぞ悪いのか」 「達者で飯が喰えん」 「どうしたんや」 「今朝からお城の堀に乙姫さんが出ると聞いて見に行ったり、天神橋へ鯨を見に行って腹が空〈から〉や、家へ帰んだら飯を喰うにも米がない、米を買うにも銭がない、家の奴の智恵で隣の源さんに銭三十銭借って、家主さんの若旦那がお嫁を貰いはった、先方ははりてやさかい五十銭御祝儀が入る、そうしたら源さんに三十銭返して、残った二十銭で米と漬物を買うてと、いうので持って行ったんやがあかん。お前は阿呆や、嫁はんは賢い、鮑の貝の片思い、双方揃うて居んといかんと突返しよった。この通り米を入れる袋を持ってるね、嬶は釜の下焚きつけて待っとおる、アー飯が喰えん」 「可哀想に、大概解ってる、お前所のお咲さんの知恵で家主へ麦飯で鯉釣に遣ったんやな」 「違う、生貝で五十銭釣りに行ったんや」 「それを麦飯で鯉というのや。そら先方が知りよらん。先方は鮑の貝の片思い、両思いやないと不縁の基とこういうたんやろ」 「お前立ち聞きしてたな」 「阿呆いえ、そら先方がものを知らんのや、モウ一ぺん持って行き」 「今度行ったら煮え湯浴びせられる」 「気遣いあらへん、俺が尻を利いたる、ビクビクしてたらあかん、ポンポンいうたれ、鉢巻きでもして尻からげをして行け」 「甚い事して行くねんな」 「ゴテゴテなしに取ときなんせと喰わせ、構へん、先方は品物でも替て来たのか知らんと思うて、開けて見よる、これは今の生貝やないか、私所の家になんぞ恨みでもあってこんな物を持って来てやったかといいよる、そこで遠慮すな、己れ所のド息子にド嬶を貰いさらしたやろと」 「えらい穢ういうねんな」 「ハイ嫁を貰いました。祝を貰いさらすやろ、先方は交際が広いよってに仰山祝いが来るに違いない、祝を貰うたら祝について来る熨斗を剥〈めく〉って返すかといえ。滅多に剥って返すといわん、貰ろとくと云いよったら、熨斗の根本を知ってるかいというたれ」 「熨斗のポンポン」 「根本や」 「ポンポン」 「難儀やな、根本」 「ポンポンか」 「困るな、熨斗の元を知ってるかというねん、知らんというたら尻をクルクルと捲って座敷へ飛上がったれ。そこで熨斗の根本は志州鳥羽浦志摩浦で海女が漁業する、海女というたら絵に描いたあるように綺麗なものやと思うて居るやろ、あれは絵空事で真実〈ほんま〉の海女というものは潮風に吹かれてお色が真黒け、歌にまで唱うてある位で色の黒い穢いものや。解ってるか、女という者は月に七日身が汚れる、月経というものがある」 「月経てなんや」 「嬶を持って居て月経を知らんのか」 「まだ喰うたことない」 「喰うものやない、月に七日ずつ身が汚れる、身の汚れた者は海へ這入れん、そこで採って来た生貝を手桶に入れて陸で番をして居る、これを手桶番という、手桶番の因縁を説いて聞かしたれ、それは後家で不可〈いか〉ず独身〈やもめ〉で不可ん、仲のよい夫婦が蒸し上げた貝を莚の上に並べて、夫婦が一晩その莚の上で寝ん事には目出度う熨斗にはならんわい。五十銭なら安い、一両包めというたれ、熨斗の因縁をいうたったら感心して包みよる」 「もし先方が包みよらなんだらお前が弁償〈まど〉うか」 「そんなことが出来るかい、まだ先方が尋ねよるに違いない、熨斗は幾手もある、蕨〈わらび〉熨斗はと尋ねたら柿でも桃でも皮の剥きかけを見い皆蕨の形になってるやろ、蕨熨斗は生貝の剥きかけやとこういえ、襷〈たすき〉熨斗はといいよったら、生貝の紐というたれ。杖突熨斗はといいよったら、生貝を引っくり返して見なはれ裏は杖突熨斗の形になってあるわいと、そういうたら先方は感心して一両包みよる、解ったか」 「よしッ」 「しっかりやらんと不可んで、ポンポンいうて行けよ」 「よっしゃ解ってる、ようも己れ教えさらしたな」 「怒ってるな、ここでいうのやあらへん、先方へ行っていうのや」 「ナア、俺は阿呆でも賢い友達がチャンと教えてくれるわい……元気をつけて這入ったろ……御免なはれや」 「なんじゃ、甚い勢いじゃな」 「ヘへ、ゴテゴテなしに取っときなんせテ奴じゃ」 「甚い勢いやな、わざわざ品物でも替えて来てくれたんか、甚い気の毒な、そないにしてくれんでもええのに」 「ゴテゴテなしに取っときなんせ」 「コレ、これは今の生貝やないか。さてはお前私所になんぞ恨みでもあってこんな物を持って来たんやな」 「ここじゃ、急〈せ〉くな」 「誰も急いてはせんわい」 「己れ所のド息子にド嬶貰いさらしたやないか」 「甚い汚いいい様やな、それより汚ういえんな、ハイ嫁を取りました」 「取ったか、よう取った」 「猫が鼠を捕った様にいうてる」 「他所から祝いを貰いさらすやろ」 「その物のいい様はどうじゃ、そら私所は交際が広いので、おかげで彼方此方から沢山下さるわい」 「そこじゃ、急くな」 「ちょっとも急きはせんわい」 「その祝物について来る熨斗を剥って返すか」 「そら妙なことを聞きなさる、目出度い熨斗じゃいただいておきますわい」 「おいでたな」 「何がおいでた」 「私がお前はん所へおいでたんで、熨斗のポンポンを知ってるかい、ポンポンを」 「ポンポンてなんじゃ」 「その熨斗のポンポン、熨斗の元を知ってるかというのじゃ」 「甚い事をいいよる、そら私は知らん」 「知らん、おいでた、ご免なはれや……ドッコイショ」 「甚い勢いで上がったな、下駄履いて上がったら泥だらけや、そんな所で尻を捲って何をしてるね」 「熨斗のポンポンというたらな、志州鳥羽浦志摩浦で海女が漁業をしますわい、海女というたら絵に描いたあるように綺麗なものと思うやろ、あれは絵空事じゃ、真実の海女というたら(節をつける)潮風に吹かれてお色は真黒け……」 「何をいうてんね」 「色の黒い汚い者です、女には月経というもんがおますで」 「そんなことは誰でも知ってる」 「私は知らん、今教えて貰うたとこや」 「阿呆やな」 「阿呆阿呆というてもらいますまい、海女が生貝を取って蒸し上がったやつを莚の上へ並べて、後家で不可ず、独身〈やもめ〉で不可ん、仲のええ夫婦がその莚の上で一晩寝るのや」 「何をいうてるね」 「アア暑い、一お茶を一杯汲んでんか、莚の上で夫婦が一晩寝んことには目出度う熨斗にはならん生貝じゃ。そのポンポンをなぜ取らん、五十銭なら安い、一両包め」 「ハハアなるほど、よう解った。最前から熨斗の意味をいうてたんか、これは感心、そうするとお前に尋ねんならん、熨斗は幾手もある」 「どんなんなとお尋ねやす、チャンとこっちにはいろいろ柄の変ったのが仕入れてやす」 「柄の変った、なんじゃ浴衣地でも買いに来たようにいうてる、それでは尋ねるが蕨熨斗は」 「おいでた、生貝の剥きかけだす、柿でも桃でも剥きかけは蕨の形になりますやろ」 「なるほど、感心」 「サアなんなとお尋ね」 「襷熨斗は」 「生貝の紐でござい」 「こら感心、杖突熨斗は」 「生貝をひっくり返して見なはれ、裏は杖突きの形になってます、もう仕舞い」 「仕舞い、まだあるわい」 「まだおますか、こら附落や、どんな奴ですえ」 「片仮名でチョイチョイチョイチョイとした奴」 「片仮名でチョイチョイチョイチョイ、そらなんでやす」 「なんじゃ」 「その……なんでやすがな」 「なんじゃいな、先のはトントン拍子に返答が出来たのに、今度は返事が仕難〈しにく〉いな」 「それは、その生貝を釜に入れて蒸す時に生貝が釜の中でブツブツと呟〈ぼや〉いてるね」 「ハハア、生貝が釜の中で呟くか」 「そら生貝やさかい呟きます、他の貝なら皆口を開きますわい」 <<