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和泉式部
和泉式部物語
http://dbrec.nijl.ac.jp/KTG_W_91247


>http://blog.livedoor.jp/bunkengaku/archives/50712087.html>
和泉式部日記 日記 一巻
【名稱】刊本として傳へられたものは、たいてい和泉式部物語となつてゐる。本朝書籍目録には、和泉式部日記一巻と見え、群書一覧も同様である。
【作者】和泉式部であると云はれる。第三人称で書かれて、日録風のものでないだけに、作者について疑問が生ずるが、日録でなく、追記であつても、他の日記の例によつて、和泉式部の作でないと断ずる確證にはならない。次に、日記中に引かれた歌のうち、或るものが式部自身の歌である事が明瞭であり、第三人将で書いてはあるが、後人が小説的構想のもとに書いたものとも思はれない。文章も古雅で、決して平安朝以後のものではない。殊に當時有名な情熱詩人たりし和泉式部が、敦道親王との間の仲らひを書くのは、当然の事のやうである。今は和泉式部の自作と認めて差支ないと思はれる。
【成立】不明であるが、長保五年四月十餘日のほど、敦道親王との和歌の贈答をもつて筆を起し、翌年正月頃に至るまでの記述である。親王は寛弘四年十月二日(記)に薨去されたのであるから、その頃の作ではないかと想像される。
【諸本】傳本は少ない。奥に年號を持つた寫本で最も古いのは京都帝大所蔵の古写本で、応永二十一年、権中納言従二位為尹が書寫した本を、後人の転写したものである。「和泉式部日記」の最初の刊本たる寛文十年版は、享緑二年五月朔日、山科言継が、左中辨兼秀の本を以て写し畢つた由の奥書のある本を板行したもので(元文元年版もこれと全く同じ)、内容は応永本と殆ど同一である。応永本は、能谷大學國文學会出版叢書第二絹として複製された。次に、この系統の本に対して異本と見るべきは、群書類従所収本・扶桑拾葉集所収本である,その他、宮内省圖書寮、彰考館等に写本が蔵せられてゐるが、さして珍らしい本ではない。これ等の諸本に対して全く異本の地位に立つものに、足立氏蔵本及び三條西家本がある。これは全く別系統の本で、この日記の本文校訂上注目すべき本である。國文学資料叢刊第一輯所収。近頃のものでは、國文大観・日本文学全書・國文叢書・有朋堂文庫・日本文学大系等の所収本がある。
【内容】自叙伝体の物語で、長保五年四月十日あまり、帥官敦道親王が、和泉式部の家を訪はれて、互に和歌の贈答があり、次第に交情濃やかとなる次第を述べたもので、翌寛弘元年一月、式部は周囲の反対と非難とをおしきつて、親王の家に伴はれて行くまで、二ケ年に亙る告白物語である。この日記は、かゝる恋愛の一事件を書き記したもので、はじめから左程大部なものではなかつたであらう。しかし巻末には脱文があるらしく、今の本に原本と同じものではなからう。
【解説】この日記は、量に於てさして大なるものでもなく、内容もたゞ一恋愛事件のありのまゝなる告白といふに止まる。しかし、それだけに眞實の人生にふれてゐる。いかゞはしい露骨な記述の存するのは已むを得ない。寧ろさうした大膽なそして正直な告白の中に、美しい幻想の光るを見る。「和泉式部日記」は、その家集と共に、理想的な「恋愛」を求むる魂の所産であつて、平安朝時代の浪漫的精神の先駆をなすものである。
【参考】和泉式部物語(写本)大阪市図書館(異本で校合した本)
○和泉式部日記標目(寫本)帝国図書館
○新訳和泉式部日記 与謝野晶子 
Diaries of Court Ladies of Old Japan  translated by Annie Shepley Omori and Kochi Doi
Erklarung des Tagebuches Idzumi-sikibu von Dr. August Peizmaier. 〔池田〕 


新潮日本文学大辞典 池田亀鑑
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