#author("2020-08-19T16:32:24+09:00","default:kuzan","kuzan") >http://blog.livedoor.jp/bunkengaku/archives/24925375.html> 大槻文彦 國語學者 【本名】清復《きよまた》、通稱復三郎、後、文彦と改む。【號】復軒 【生歿】弘化四年十一月十五日生れ、昭和三年二月十七日歿す。享年八十二. 【法號】言海院松陰文彦居士 【墓所】東京品川東襌寺内 【家系】曾祖父茂蓄は玄梁と號し、醫を以て一關侯に仕へた。祖父茂質は蘭學者で、盤水と號し、仙臺藩の侍臣、幕府の蠻書和解御用を勤め、父清崇は磐溪(別項)と號した。如電はその兄である。 【閲歴】江戸木挽町に生れ、祖父の學を繼がうとして洋學に志したが、先づ父から漢學を受け、十五歳の時林大學頭の門に入つて漢學を修め.翌年江戸開成所に入つて英語・數學を修め、十七歳の時仙臺藩黌養賢堂に入り、間もなくその助教となる、慶應二年(二十歳)五月、仙臺藩から洋學稽古人を命ぜられ、十二月横濱に赴き、米人パラに從つて英語を修め、翌年また米人タムソンに從學した、 その間、一方學資を得るため「萬國新聞紙」の記者となり、西洋新聞の飜譯をした。明治元年正月以後.仙臺藩の爲に政治的運動を爲したが、明治三年より又學事につとめ、同年五月東京大學南校に入り、英語・數學を修め、翌年には英語私塾に入り途にその塾長となつた。 同五年(二十六歳).名を文彦と改めたが、同年十月文部省に出仕し、英和對譯辭書の編輯を命ぜられた。翌年宮城師範學校長になつたが、同八年免ぜられて東京に歸り、文部省から日本辭書の編纂を命ぜられた、この辭書は脱稿するまでに十年の歳月を要したが、その起稿中、同十一年文法會を起して同志と共に日本語の文法を討論研究し、また同十六年、同志と 「かなのとも」を發行して假名説(別項)を主張し國字問題に盡力した.明治十九年、辭書は脆稿したが、文部省では出版不能の爲、稿本を著者に下附したので、同二十一年から三年間に「言海」(別項)として自費出版をしたが、後に數百版を重ねた、同二十五年五月宮城書籍館長となり、同年十二月宮城縣尋常中學校長に任ぜられ、同二十八年辭して東京に歸つた、 彼は夙に西洋の如き整備せる文典が日本にないのを慨き、自ら日本文典を編まうと志し、獨力で國語學を修め、又、文法會において同志と共に研究し、その成果の大要を録して「語法指南」と題して「言海」の卷頭に附したが、同三十年に改訂を加へて「廣日本文典」(別項)及び 「別記」として刊行した。この書も亦廣く世に行はれた、同三十二年、文學博士となり、同三十三年、文部省國語調査委員會の設立の際、その委員を囑託せられ、後三十五年、同會の主査委員となり、主として口語文法の調査を擔任した。同四十一年五月臨時假名遣調査委員會委員を仰付けられ、同會に於て表音的假名遣を主張した、同四十四年三月帝國學士院會員を命ぜられた、大正二年國語調査委員會は廢止せられたが、彼の草案による「口語法」及びその著「口語法別記」(別項)は.大正五年及び六年に刊行せられた。その後、「言海」の改訂に專心し、完了を見ずして逝いたが、歿後昭和十二年に至つて「大言海」(言海參照)として完成した. 【著作】 〔語學關係〕言海 ○大言海 ○語法指南(明治二十三年十一月刊) ○廣日本文典○同別記 ○中等教育日本文典初歩一册(明治三十一年十一月刊) ○修正日本文法教科書二册(同三十三年十一月刊) ○國語綴字教科書一册(同三十四年十月刊) ○日本文法中等教科書一冊(同三十五年四月刊) ○口語法別記。 〔史傳關係〕萬國史略三册(明治八年刊) ○羅馬史略十冊(同十四年刊) ○校正日本小史三卷(同十八年刊) ○伊逹行朝勤王事歴一册(同三十三年刊) ○伊逹正宗南蠻通信事略一册(同三十四年刊) ○箕作麟祥君傳一册(同四十年刊) ○磐溪先生事略一册(大槻如電と共著、同四十一年刊) ○伊逹騷動實録一册(同四十二年刊) ○佐藤素拙傳一册(同四十五年刊)、 〔地誌關係〕 北海道風土記三十卷(明治二年脱稿) ○琉球新誌三卷二冊(同六年刊) ○琉球諸島全圖付圖解一冊(同六年刊) ○小笠原島新誌並附圖二冊(同九年刊)、 〔飜譯〕 支那文典一册(明治十年刊) ○言語篇一珊(同十九年刊)、 〔雜〕[[復軒雜簒]]二册(明治三十五年刊、論文集) ○日本暗射圖一册(同七年刊) ○印刷術一册(同十四年刊) ○石版術(同年刊) ○伊香保志(同十五年刊)、 【業績】學界に於ける業績として、第一に擧ぐべきは、「言海」及び「大言海」の編著である。「言海」は著者の生涯の過半を費した苦心の結晶であるが、その組織内容共に、明治時代の國語辭書の最高權威で、日本辭書史上に一時期を畫するものであり、爾後の國語辭書の模範となつた。第二は「廣日本文典」の著作である。本書も著者が二十餘年の苦心になるものであつて、明治時代の國文典の最高權威であり、洋式丈典應用の中古文典としては、當時に比類なく、日本文法學上に著しく寄與した、又著者は口語法の研究に心を潜めて國語調査委員會編纂の「口語法」の骨子を作り、貢獻した。又「口語法別記」に於て、語法の歴史的地理的考察を試みたが、これも亦注目すべき業績である。 【參考】國語と國文學(昭和三ノ七.追悼號) ○明治の國語學と大槻博士 野村八良(明治文化.昭和三ノ四) ○大槻博士のこと 松井簡治(國民新聞.昭和三ノ二) 〔龜田次郎〕 << PDD図書館(獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。<br> http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm 国史大辞典 山田俊雄 冨山房国史辞典 大槻茂雄 大槻文彦年譜 http://home.soka.ac.jp/~hkaneko/etxt/otukinenpu.html