#author("2021-08-20T16:13:58+09:00","default:kuzan","kuzan") #author("2022-02-26T17:34:13+09:00","default:kuzan","kuzan") https://id.ndl.go.jp/auth/ndlna/00058632 ~1901 博文館 >http://blog.livedoor.jp/bunkengaku/archives/26989543.html> 新潮日本文学大辞典 高須芳次郎「大橋乙羽」 大橋乙羽 小説宗【本名】太郎、旧姓は渡座。【生歿】明治二年羽前米澤に生れ、三十四年六月一日歿す。享年三十三。家・貿しく、小吊校敦育を満足に受けることが出来ず、商家の小店員となつたりして具に辛酸を訪めた。二十一年、磐梯山破裂の際、これを精査した記事を某誌に掲げ、書肆東に堂主人の認むるところとなり、二十二年上京、同堂に入り「風俗市価」の帽斡に男る事となつた。その年、石橋思案を介して硯友社に入り、「文庫」に「こぼれ松葉」「枯尾花」、「都の花」に「捨身経」等の短篇を掲げ、更に「新著百種」に「露小袖」を良表するに及んで、彼の名大に認められた。二十凶年中央新聞記者となり、訟ら創作に精迎して、盛んに各雑誌に寄竹だ。二十七年博文館主大橋佐平に見込まれてその女婿となり、飛ばくもなく博文館支配人として出版事業を察した。寫眞術を研究して大日本寫眞協會の技恥皆貝に推され、また頻りに海内を回遊して「千山萬水」等を著はした。三十三年三月世界漫遊の穴に上り、欧米の出訳業を鯛察して同九月吋朝、「欧山米水」を公にした。三十四年病んで歿した。【業績】彼に作家としては、大なる足跡を残さなかつたが、資性温和にして、交遊各方百に瓦リ、書肆と文學者との建鯛となつてその調和に努めた。寫貼衛に長じ、出版物に人物風骨倅の官位を挿入したのは、彼を以てその鱈矢とする。【著書】上記の外、「累卵之東洋」「霹靂一聲」等の政治小認めいたものもあり、「上杉鷹山」「恭悦穴囲」の傳記がある。短篇小説は、四十篇を越えてゐる。 〔高須〕--> << PDD図書館(獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。<br> http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm