#author("2021-01-18T18:20:35+09:00","default:kuzan","kuzan") 国語 ザ行音の 頭音 / 小倉進平 <!--國語ザ行音の頭音 國語ダ行吾中、ヂ・ヅの兩音は、今日多くの地方において、それみ丶ザ行音中ジ・ズの爾音と混同せられ、これ が區別は僅かに九州・四國等の一地方に行はれて居ることは周知の事實である。而してこのヂとジ、またヅとズと の發音の區別が古く室町時代以後までも相當廣く行はれて居たものであることは、文祿元年刊「吉利支丹教義」、 交祿三年刊「天草版金句集」などに、ジに對しては罫ヂに對してはσ。詑またズに對してはN~ヅに樹しては 器⊆を用ひ、元和六年刊ロドリゲスの「日本文典」に、ジに對しては沖ヂに對してはσq詑またズに對してはN~ ヅに對しては儀N¢を用ひてあるなどによつても知られる。つまりジは〔望〕、ヂは〔侮魁〕、ズは〔Ng〕、ヅは〔山Ng〕 と發音されたことを物語るものである。. 次にザ行晋中のザ・ゼ・ゾの頭子書を觀察するに、それはサ行昔の頭子音〔。。〕(摩擦普)に對應する〔N〕(摩擦 書)であること明かであるの印ちザ・ゼ・ゾは〔N拿9〕・〔N・〕・〔N。〕と發音せらるべきものであることは何人にも疑ひ なからうが、實際にありては、地方により、また個人により、その前に〔傷〕を附加したところの〔島鑓〕。〔曾①〕・ 〔鎚NO〕の書に發音される。「さざれ石」・「せぜ」(瀬々)・「すすり」(硯)などの「ざ」・「ぜ」・「ぞ」の頭音は或は 欝9。〕・欝。〕・〔凶O〕に、或は〔島鑓〕・〔音。〕・〔音O〕に發音されるのである。この「ざ」。ぜL。「ぞ」に對する〔音Ω。〕 ・〔血N①〕・〔音o〕の發昔はいつ頃からどこに發生したものであるかは別途の研究を要するが、少なくとも第十七世 紀の頃までは摩擦吾〔N9。〕。〔N¢〕・〔No〕を以て發音されたと思はれる形跡がある。私はそれを朝鮮の諺文△の使用 の上から考察して見ようと思ふのである。 諺文△は覇世宗二+八年(紐譁監ギ西)諺奏布の際、萋二+八字中の一として.訓民正音Lの名に汽 て制定せられたものであるが、その後朝鮮語晋韻の變化と共に、全く使用せられなくなつた。然らば創制當時の△ の原晋は如何なるものであつたかといふに、これについては種々の議論がある。「訓民正音」には「△牛齒音如穰 字初發聲」と記し、「穰」字の頭音であると規定してあるが、「穰」字は支那韻學上の宇母としては「日」母に屬す る文字であるから、△は「日」母の文字に當るものと考へなければならぬ。然らば「日」母の頭音は如何なる晋で あつたかといふに、これに關…しても各種の異論がある。例へばシャーンク氏はこれを以て∫カールグレン氏はこ れを以て69大島正健氏はこれを以てご晉に當るものなどと論じて居るQ私は今茲に「日」母の支那古晉を論究 しようとする者ではない。而して「日」母の漢字が朝鮮において明かに△を以て記されては居るが、それであるか らといつて、朝鮮の字吾が支那の古書をそのま・に傳へて居るものと斷することは勿論できない。何となれば第十 五世紀の諺文制定時代には、支那語「日」母の原書が既に他の書に變化し去つたことが明かに認められるし、若し ---------------------[End of Page 2]--------------------- 轍. よしそれが忠實に傳へられたとしても甑それが果して朝鮮人の發音に適して居たものであるか否かが頗る疑はしい からである。私は朝鮮人が漢字に對して△を使用したのは、決して支那の古音を意識した上の事ではなくして、 「日」母所属の漢字に對して、單に機械的にこれを充當したに止まつたものと考ぺるのである。 然るに一方△なる諺文は、上述の如く漢字普の頭音として使用せられる以外に、普逋の朝鮮語を表記する場合に も廣く使用せられた。これは本來の朝鮮語苦に對して使用せられたものであるから、漢字音に對して機械的に適用 せられた場合の△とはおのつからその音價において相逹が存したと考へても少しも差支ないと思はれる。私は古く 朝鮮語に對して使用せられた△なる文字の發吾は、必すしも「日」母の古吾に束縛される必要無く、あくまでも朝 鮮語の書を基礎として考察すべきものと思ふのである。 然らば朝鮮語を寫した諺文△の古音は如何なるものであつたらうか。これに關しても從來二三の學説が存しない 譯ではないが、私は朝鮮語における△の使用法上から、また日本語を轉寫する場合の△の使用法上から推して、△ が有聲摩擦音〔N〕に當るものであらうことを逑べ、なほ序でを以て古代日本語におけるザ行音の頭音につき一暼 を加へようと思ふQ 苅 橋本進吉氏「丈祿元年天草版吉利支丹教義の研究」東洋丈庫論叢第九、昭和三年。 2 吉田澄夫氏「天草版金句集の硯究」東洋丈庫論叢第二十四、昭和十三年。 3 土井忠生氏試譯「十七世紀初頭に於ける日本語の發昔」昔聲・の砺究第六輯、昭和十二年。 含京鑑方の朝鮮語において冒届碁§〕(行かなければならぬ)・〔℃皇甼ぎ邑(爆銘)などいふ場合の〔ご書、 また今日〔閃亭甘〕(馬槽)などいふ場合の〔ご吾が古く△を以て記されて居る事實から見て、△の古書は〔}〕で あつたらうといふ考も成立し得ない譯ではないが、一方後世における△字使用の變遷、また各地における方言の現 象などから察する時は、必すしもその説を是認することができない。例へば黌。3蒔ξ(秋)・臨。蒔霞〔冬〕・冨・鐘 (鋏)・ざ・獣信(馬槽)(嚇は△の記號として用ひた)なる古形は、今日の方言において、 一方においては(a)それ ぞれ〔灯-巳〕"〔貫?巳〕り〔冨とP〔ぎ・嘗〕等の如く全くいの子暑的價値を失つてあらはれるのに反し、 一方にお いては(b)それみ丶〔匿・。・=レ鱒」?ω巳〕}〔犀甼。。o〕}〔閃亭。。一〕等の如く邸が〔ω〕晋になつてあらはれて居る。△が 若し〔』〕音であつたとするならば、(a)は〔』〕が弱まつて終に脱落するに至つたものと解釋することが可能であ らうけれども、(b)の場合においてQ〕が〔ω〕に變化したと考へることは精密ではない。それは有聲晉の無聾音 化することは、しばらくこれを許すとするも、〔』〕の發音位置が〔。。〕の發書位置に轉じたと考へることは穩當で ないからである。勿論〔』〕(或は無聲暑の〔ゆ〕)の次に〔凶〕・〔φ〕等の前方母音が續く場合には〔ゆ〕が〔。。〕音 む ゆ ゆ に轉することは普邇であるが(國語「ひばし」(火箸)を「しばし」、「しちや」(質屋)を「ひちや」など、朝鮮語 〔ど。〕(舌)を〔ω①〕"〔ω。〕"〔甑ヨ〕(力)を〔。・ぎ〕など)、〔9。〕〔。〕〔二〕等後方母書が續いた場合に〔い〕が〔ω〕 に轉することは殆んど考へられない。然るに朝鮮語で△を使用した場合を見るに、羅§§(行かなければならぬ)が冒 ---------------------[End of Page 4]--------------------- ω巴郵コ費〕となり、亭智§(笑ひ)が〔二あ仁ヨ〕となる如く、後方母吾〔9。〕・〔己等に接續した場合にも△は〔q。〕 であらはれる。これによつても△が單なる〔』〕吾でないことの一端が察せられる。然らば△が吾として全然脱落 しまたは〔ω〕音に轉じ得んがためには、如何なる書であることが最も好都合であるかといふに、有聲摩擦音〔N〕 であることが最もよく條件に適ふやうに考へられるのである。何となれば慰〕の摩擦が翡められると、その壬晋 的性質が漸次失はれ、終には全くその姿を淌し去るに至るべきことあるは自然の勢であり、かつまた一方〔N〕の 無聲化がその發音位置のま・で〔。。〕に轉することが極めて容易かつ自然であるからである。これ私の△を以て〔凶〕 音となすを最も適當と認める所以であるφ 嘲 一 剛 次に呆語ザ行章△で驚する盪・の例として康煕+葦(西紀一六七六年)刊行(範鸛蠣犠嵳蔘の呆語學 書「め捷解新語」(鰰)の萋表記法を探ることにする。さて本書で管本語のザ行音が如何なゆ・方法で書きあらはさ れたかといふに、凡そ次の如皐撃採られた(霖昧臆鑞ピ鴨燬騫読欝創織灘脈犠欝ボ韆 騰)。 → △を用ひた場合。 ( が。箏らば・箏らうほどに・箏らんほどに・撃り・箏る・撃れ・箏て(御ざつて)・御ギも(理) 墾たに(灣っ)・撃なかつたに・禦な篌ゑども・箏ところ(钁。 國語ザ行普の頭曾(小倉ノ 一蕊九 ---------------------[End of Page 5]--------------------- のザ の ヨロぐか ご ポ換ゑ波齷候)・蓼と(癒)・まがら(萬更)・ぎとのさかな(響魚)・撃いかん(轍)・撃うだんき うだん(原丈相談)・ゑん螽)・かん穿のが(鑪)・製ふね(繃座)・たい姦)・がうごん(誰)・ギせつ(飜)・ がうもつ(雜物)・御がうだん(籔)・留しやう(貔諦驀毬鬱麟講L)、こなた?らう(雛)とがうさわ・ あれらがプ嘉む(無)になすも・がうさいかんやうに・がうさおおもゑば(鰓へ)・こ?に(蹴)のひとつの がうさ(鋪、癖轡。 び。かたげなう(忝、御ざる・しや~わんびゑ(谿靜.じ、)・御うん茜覽)られ・つうび(囎)まるする・ほ う蕩)さしられがな・めいわ嘉ほ・-びて(迷惑を封じて)・ひもばんび(觀)まるせ・つほどに・しん躍)耄する ほどに・きをとかんび(鷺と)まるする・か纛)さしられて・禦びて(暫碑、)・よう移て(糠)・ まんゼばん義)・むど・ぶど(無事)三つう蒜通)・へん義)・『のあいさつ・暫ぎと申・びぎ もなにも(時儀)・御とも(鞠)申さいんではかなわんびぎ(欝)でわ御ざるが・ごん(鱒)・いち謬)・こびつ耆 (五十束)・ぽたん(鼎)・びうごにん(卅五)・びうねん(鯡)・びうにさんにち(計に)・びゆう(離)・食ゆう(跡自)・ たん躍)・ぜん(自然)・暫なん(離)・暫めん(鰍)・せう鑁)・べど御よ-(嬲)・べび?ら(劇の)・ 堪。導~(上口)・めん導う(臍)シザうげ(靴)・き-(餌)・やかが-(鱶)・導う柔難・ が。夢わが(飾)・申さプつねに(瞠)ならが・かなわ霧は)あされボ(響委れプおよ筝(鮃)・あ わ森)・潔ゑ轟)・いか諜)b訴まるせ森)・おぼしめ嘉に(邵思)・とうりう籌に(醤・あげ がに(妊げ)・こぞねん(篭、)にもならざ・いで(咄)ら争ば・虫-め(紳)謬ならんから・箏籌わ・ ---------------------[End of Page 6]--------------------- よう御ざろうぎしまるせう禦申まりQせうぎ・申そうぎとも・ずは・つ(周防)。 ゼ。かザ(風)・魯に(皰)・ぞん禦・ぞんザ(游)んもの函んど(蹴)迦ひとも(親)乎んぶ(轆)。じゼん(鮪)・ 善ん(徒然)・審ん(黻)乎んきう(繍)・さいゼん(雌)・どうゼん(綱)・ぜんれい爾)函んこう(鋤)・ゑちゼ ん(越前)・びぜん(鞴)・ひゼん(鞭)・ぶザん⑱。 智。ガじまへ(存前)きんじてをんぜす・の増左まるする・のガでこそ御ざれ(狸)・象(婀)・翆(嘸)・ しやうそ(冠帶裝束)・そしよ(讖)・またとものしゆも(難)そう燭て(籖かて」)はあつかましかろうほどに。 以上によると、ザ行意すべて△によつてあらはされ「て居ることを知る。 ゴ ムとく(。・)との兩者を用ひた場合。 (ギボ 御とうりの藁み(鑼り) 御にうあんのきぎ(鍛館)。 がうもつ(雜物) ・がうもつ繍)。 たいズ幽) なが姦)。 ガ傭囃罎駕瀉) ガ§。 び11び 昏めて(鯔め) 昏めて・昏めが(磐 びんじ(進じ)まるする びんじまる玄・。 しんズ雄)まるするほどに しうびつ(日) こびつ耆(五十束) 蛸ん(時分) めんびやう(面上) がーが そんボれども(存す) とうりう(逗留)せざ おし(仰せ)られぎも む 御ざらすわ む しまるせうす む 申そうすれども のこらズ獅) む のみならす およぼズ獅) なのめならズ鰤) こしらいてしんびやう(邁せ、フ)。 しうびつ(終日)。 ごをびつそ入紐勅)。 ぜつ(時節)。 めんびやう(面上)。 む む ぞんすれ・ぞんする。 む さしられすに。 む なされすとも。 む む さばか(璢拐く)すわ・申さすば、 む 御ぞんじであるす。 む 御ざろうすれども。 む のこらすQ む のみならす。 む およばす。 む なのめならす。 0 一四二 ---------------------[End of Page 8]--------------------- ・声』}・ 尋ー-、 ま奪森) まか争。 こぼんきんボ(韜) きん器)。 ぜ昏 ち毒ん(筑前) ち毒んどの(黝前)。 ㌍ーを なにとが八輌) なにとを(何卒)。 以上のうちには△〈兩形の存し得たと思はれるのもあるやうであるが、大體に於て上段の濁音が原形であり、 下段の如き清音の語は存しなかつたものであらう。印ちくは單に△の代りとして用ひられたものと見るべきであ る(中にはくが△の誤∵冩に出でたと認められるものも存するやうである)。 コ ムをく(ω)であらはした場合。 厂 ・ ( が。ここ㌻し(志)・な郭(齦)。 び。なされまゼ候(間數候)・そうギ(囀じ)・さんズ鰺)まるせう・鳶びつ(購)・よひつ(畷)・け秘つ(顧)、 邃。かいびやう(海上)・さんびやう(惨)・けいびやう(巒)Q 皹。しゆど(種々)・ポんぱい(欄)・はいポ(餅)。 が。争のうち(轍の)・耆かズ鎌)・争争のちんみ(嫐蜘の)・あかがねすズ攤)・ひとつの争(か緲)・が いぶん(隨分)。 ザ。ぜん(膳)・禦うぜい(駒風)。 前條下段の形のみが殘つたもので、全部濁音に發音せらるべきもの、〈字は濁音宇△に代用されたに過ぎない ものと思ふQ 四 く(。。)を△であらはした場合。. ( プ㌍。なにと移よう(僞よ)がなご(撫)。 ザ。とうりう(逗留)ぜすに(僞す)。 これらの△はくの誤寫としか認められない。 ・ 蜀 △を入〔&〕であらはした場合。この場合、假名遣も「じ」・「す」が「ぢ」・「づ」になつて居る。 ( 駅。穿かいひに(短い日に)三ころみガいに(攣・し毒やう(膳)・算やつ(糟)・禦いがやう(駒禮)。 びや。ザやま(邪魔)。 びよ。ザよさい(如在)御ざ嚢い。 ボ。きれんはずやほどに(取られん筈ぢや)。 これは當時「じ」と「ぢ」、「す」と「づ」とが發音上の區別を失つたことを示すものである。 刈 入〔&〕を△又はく(ω)であらはした場合。この場合にありても、正しい假名遣の「ぢ」が「じ」に變つて居 (る. ザ。『に(直に)・しやう『に(証)・せつたいの管(講の)・移ま(駟)ゆ 渉.塚欝・ 垂 き ---------------------[End of Page 10]--------------------- 奪 要するに、ザ行音は、四・五において若干「じ」と「ぢ」、「す」と「づ」との問の混同が行はれて居るが、その ( ( 他の殆んど全部は△即ち〔N〕で發.青されたことが知られる。 次に「じ」・「す」・「じや」・「じゆ」・「じよ」と紛れ易いダ行蓍の「ぢ」・「づ」・「ぢや」・「ぢゆ」・「ちよ」(酵題田● 露"露難診矩…)が如何なる諺文を以てあらはされて居るかを檢するに、次の如高は悉雲(a)を ひも ム を ひることがないむ が。みかが(朧日)・あわが(蹶)・うガ(犠)・はダ恥)。 誉。ものぎ・実めぎ三とば(言葉)ぎが・な(炯)ぎり・おぎるか三のたうり(囎)でこそ舞やれ。 離。しまプ(幅)・にさんにちザうに(瞿)。 鄭。いちガやう(一定)・がんガやう(癩)なもの。 ヂ。御こころず(心附)・まズ蟯)・》ね(縄)・わずい(顳)ついた・めずレつ(珍)・いずも(痢)・しプに (靜に)・さかず(盃)・珍かしほどに・ようプ萬)のこと・きつかい(鸛)わ・・つちつず(勧)・じつた多つ (+端宛)・マプ・象かし(鵬か)。御たず(露)・つ隼ね(礑)・ほうズ勵)・さしズ購)・》み(期)・い つ(伊豆)・かず(緲)・かうず(魁)・いず(黜)。 禦(霧ぢ)。?鴛つ(鯒)・たうねん鴛つにばんつ乏ぎ(翻難二Y 但し「 Oみじかい」(磯)を「毒かい」、「しよびやう」(繙)を「し毒やう」、「導ま」(鄰)を「ぎま」、屮よ さいL(如在)を「プさい」、「はす」(筈)を「はプとせる恕鱗囎噸雛鴛)、ザ薯多薯で寫してあるの は、當時一部の語に於て「じ」と「ぢ」、「す」と「づ」との混同が行はれつ・あつたことを示すものである。 以.上の例によりザ行音・ダ行音の諺文表記法を比較對照すると、 む じに對しては多くは△またはく む すに對もては多くは△またはく む む じやに樹しては多くは△ む む じゆに對しては多くは△ む む じよは確實な用例を缺く む ちに對しては多くは入 む つに對しては大部分穴 む む ちやに樹しては大部分入 む む ちゆに對してはすべて入 む む ちよに樹してはすべて入 の如く、ザ行音に對しては△或はく、ダ行音に對しては入を用ひ、明かに兩者間の區別をなして居る。而して一 方「ざ」・「ぜ」・「ぞ」の書に對してはすべて△或はくを用ひ、入を用ひることの無いのを見る時は、「ざ」.「ぜ」. 「ぞ」分頭音も明かに〔N〕の摩擦音であつて〔α〕を含まないものであることが知られようと思ふ。 一幻 小著「壌訂朝鮮語學史」參照。 四 なほ茲に參考として、朝鮮において漢宇を利用して日本語のザ行音・ダ行音を寫した方法につき觀察することに しよう。 それには申叔舟の「海東諸羅」(成化七年、西紀一四七一年、略符「海」)、鏖谷の.扶桑録L(獺騨ヒ翳霾亠、)、趙嚴の.海槎日記L(乾隆二十入年、西紀一七六三年、 略符「槎」)にあらはれ皆本襲の例をとるこ圭する。 → が 鷹競浦、加齠馬刀〔槎〕。 ( び因都温鮮(壹岐、印遞寺浦)。浜、換異槎〕。 ザ 職摩羅、可門諢〔海〕Q ゴ が 麓撚、後ガ與多〔槎〕9麓溝、厚ガ沙臥〔槎〕Q ( ぷ 搬濫、于那ず羅浦〔海〕。譜賠ガ、無山鮒郷〔海〕Q な む -以上のうち、先づザ行音について見るに、「因都温而浦」の「而」は本來「日」母の文字であるから、ザ行の「じ」 Q , Q Q を寫したに近いと見ることができようが、「加自馬刀」(風本)・「乂之里」(江尻)・「可門諸」(鴨居瀬)等における 「自」(從母)・「之」・「諸」(以上照母)は何れも齒音に屬し、 曾・8等の頭吾を有する文字である。然らばザ行 吾をあらはすに何故に「自」・「之」・「諸」等の文字が用ひられたのであるかといふことに關しては、(a)當時に於 ける國語ザ行音の頭音が〔曾〕或は〔αこ臼白に發音せられたためであるとなすものと、(b)當時における國語ザ行 音の頭音が〔N山であつたが、朝鮮語の字音にて〔苧〕を以て始まるものが無かつたため(今日においても朝鮮語 には〔ω〕に對する有聲音の〔呂が存しない)、これら「從」・「照」母の文字を用ひるに至つたのであると解する ものとの、二通りの解釋が可能であらうと思ふけれども、私は(b)の解釋の方が穩當なものと考へるものである。 む む またダ行の「ぢ」に對して「後之與多」(藤枝)。「厚之沙臥」(藤澤)の如く「之」を用ひ、「づ」に對して「于那 む む 豆羅」(女連)・「無山都し(武生水)の如く「豆」・「都」を用ひたのは、 「じ」・「す」に對し「ぢ」・「づ」を意識的に區別して書いたと見るよりも〔N6〕を有せざる朝鮮語としては、〔掌〕・〔争〕を頭音とする「豆」・「都」を使用す るより外に途が無かつたものと考へるのが穩當であると思はれるのである。要するに朝鮮において國語のザ行晋に 對して「ダ」行音の漢宇を使用したのは、國語の〔N〕をあらはすべき漢字が存しなかつたことに歸するといふこと ができよう9 五 以上は西暦十六・七世紀頃における國語ザ行晋の頭音が〔N〕であつたらうといふ從來の説に對し、朝鮮側の資 料からその然るべき理由あることを補説したのであるが、こ・に序でを以て上代國語にお、いてもザ行音、殊に 「じ」・「す」が、ダ行音の「ぢ」・「づ」と區別せられ」互に混同するやうなことがなかつたかどうかといふことに つき卑見の一端を述べさせてもらはふと思ふ。 「假宇遣奥山路」に、我が上代國語普表記に用ひられた漢字の種類を列擧して居るが、そのうちザ行音に樹し宛 てられた文宇としては次のものがある。 ざ古事記 邪・奢。 日本書紀 裝三藏・瓧。 萬葉集 射・謝・瓧・邪。 じ 古事記 士・自。 ---------------------[End of Page 14]--------------------- ぜ ぞ 日本書紀 萬葉集 古事記 日本書紀 萬葉集 古事記 日本書紀 萬葉集 古事記 日本書紀 萬葉集 以上の諸文字を字母の種類の方面から觀察すると、 するもの、或は「從」・「牀」諸母の如く齒音の有聲アフリカタに屬するものが占めて居るが、獨り日本書紀にあり ては「餌」・「貳」・「兒」・「茸」・「珥」・「孺」・「儒」・「茹」の如き「日」母の文字をも併用して居る。例へば「うす」 は「髻華此斈蘚L(鏨網譲斃惓激雑讙頽棲.)とあるに對し、芳には「于寄佐勢許能固」(鬻鋸 磐)とあり、否定の助詞「じ」、またそれと同類の助動詞「まじ」は 餌・士・貳・自・兒・茸・珥Q 慈・時・盡・士・寺・緇・自。 受9 む む 孺・儒・受。 受。 是。 筮・噬。 是。 敍。 む 敍・序・鋤・茹。 敍・俗・序。 その大部分は「邪」・「禪」諸母の如く齒音の有聲摩擦音に屬 ---------------------[End of Page 15]--------------------- ザバ の ひ 葦不負於族此云義邏磨整(一丶、」ノ不負)。 岬伊茂播和素齡(一二、不忘)。 倶伊播阿舞茹(六二、悔不有)。 とあるに對し、一方には「離辱枳」(四〇、寄るまじき)とあり、否定の助動詞「2は 孺辭靉佐夜羅賀鑒劇)。 和餓瀰枳那騫(二六、非我酒)。 伊蠶於驀破(三五、不負痛手)。 阿佐霾齊隻(嬉ハ鰈令∀ 疑護能驀(四一、直不告)。 波椰區波梅驀(四二、早不愛)。 伊志柯欝羅磨志(四四、不及有)。 彌曳・響謨阿羅牟(四五、不見)。 伊驪以幡欝(四七、未言)。 於謀提母始驀(五亠へ面不知)。 伊弊母始羅薈(五亠へ家不知)。 艀多牟伽眦毛瀞(一一三、不爲手向)。 一五〇 醗 ---------------------[End of Page 16]--------------------- O 和例破讓例書製馨忘.)。 和餓塞那灘(三六、非吾酒)。 阿羅護艀(三七、不璽)。 伊枳灘層麗(三九、不射切歸)。 阿珥豫區望阿繋(薪む。 毛多撫(四〇、,不足百)。 摩瀞螯虚曾(四〇、不纒)。 難艀篷伊波梅(四〇、不知言)。 和例破枳篠(四〇、我不聞)。 枳舉曳欝羅(四四、不聞)。 曾能泥播宇世艀(四五、其根不失)。 農籌登慕(四六、不拔)。 騰余謀作艀(五六、不響)。 比枳暹貫籤副不)。 などあるに ねしむ には 轍儺波企鑠椰(四〇、汝不聞)。 とあり、・また助詞「ぞ」は 鄰阿波夢藷於謀賦(蕪篠鰓、∀ 倶伊播阿羅纂(四六、悔不有、水本作茄)。 とあるに樹し、一方には 轡渠馨枳舉喩屡(五六、琴聞). 比暮騰余謀須(五六、人響)。 騨摩菟利虚覊禽(鸚響 寝羅夥躔(三九、不射切歸)。 胛伊柯覊居算(四七、如何言事)。 鍵異餓幤利去姦(四二、回來)。 細泥鬟塢之農七、)。 解多愚鬟賓枳(黷、Y とある如く、「日」母(孚齒吾)の文字と「邪」・「禪」・「從」・「牀」諸母(齒音)の文宇とが混用せられて居たこ とがわかり、隨つて當時における國語のザ行音が孚齒音的音と齒吾的音との問に動揺して居たのでなからうかと想 像されるのである。但し否定の「じ」・「す」に關しては、「日」母所屬の文字が絶對的多數を占めて居るのである ---------------------[End of Page 18]--------------------- から、このこ語はザ行音を含める他の諸語とは異なり、當時と雖も、或る種の原音の純粹さを忠實に保持して居た ものと見ることができよう(.梔此云波ぎ(監細搬萎膳塾)・.手抉此云多懲離(亨.憲志轟介 瀰L(編齷・.斯条暮能L(齟継)・「於器弘倆覆」(蹴癒等における「茸」・「餌」・「貳」は「日」母の 文字であるから、否定の助詞「じ」の如くザ行音に發音されたもののやうに想像されるけれども、これらの語は本 書に一囘あらはれただけで、他に類例が存しないから、「じ」の純粹さが保たれて居たものかどうか不明である)。 而してその原音たる如何なる種類のものであつたか俄かに斷言することができぬけれども、「日」母の「孺」・「儒」 が「審」母(、こゆ)の「輸」、「禪」母(N)の「受」などに通はせ用ひられて居る場合の多いところから察すると、 「じ」・「す」の頭音は有聲摩擦書〔N〕の如きものでなかつたらうかと想像される。要するに上代國語におけるザ行 頭音は、或る程度まではアフリカタと混同したものも存したやうであるけれども、少なくとも否定の「じ」・「す」 に關する限りにおいては、〔N〕の普が嚴格に保持せられて居たのではないかと考へられるのである。 --> [file:680ffe6072befec3]