#author("2020-08-20T23:59:47+09:00","default:kuzan","kuzan")

小林好日『国語学の諸問題』
小林好日
http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/PDF/kobayasi_yosiharu/kobayasiyosiharu/08.pdf


パウルの比例式 Pauls' Proportion Formula






//文法の變遷
//文には二種の成分があり、一方には對象とその麝性の概念をあらはす幾つかの表現とそれらの間の關係を示す表現とがある。、花が嘆いた」と云ふ時は、一定の無意識的の習慣に由つて語と對象とが結合し對象と屬性とが結合され、その屬性の敍述が或時間内に限界されて統覺されたのである。われノ\が櫻の花を見ると、「花」と・「槃く」と云ふ觀念に分析され、同時に綜合されて「花が嘆いた」と云ふ。「花」とか「嘆く」とか云ふのは、特殊のいろくの花、いろくの揚合に咲いてゐる欣態から抽象された概念で、われくが一々使ふ揚合はその揚合の特殊の「花」なめ「咲く」ことに當てはめて居るのである。この成分を意義素ーーフランスの言語擧者の劭叭亭鬘串日。ーと云ふ。ところが「が」とか「た」とか云ふのは事物の觀念から抽象されたものではなくて、意義素があらはれる時に之に附隨してあらはれる關係的觀念で、之を形態素ーフランスの言語學者の日06冩日。−ーと云ふ。形態素のあらはれ方は社會の習慣に由つて定るもので國語に由つて異同がある。
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//入が始めて話し出した時に、複雜な經験を言語の範曦化のために分類したとは考へられない。勝手な音聲が自由にいろ!\な記號として當座の用に供せられたと考へる外はない。野球競技のサインが人それ八\その揚くで鱶意にきまり一定の形式が確定して居ないのと似たものと云りて良からう。然し社會の組織が犬きくなり、その間の交渉接觸が密接になつた暁には、勝手に變り得るやうな勸雜な記號の集合では言語の目的に遖はない。之を整理統一する作用は本能的に始るものと思はれる。その際はたらくものは言語の法則であつて、類推に由る統一の如きことはもつとも普通に行はれたであらう。ドイツ語の愛人と云ふ意味の鼠9一冒喰が奇しくも男性に用ひられて居る如きこ乏は、さう云ふ作用の結果としか考へられぬではないか。「水が飮みたい」「私は花が好きです」と云ふやうな構成を論理的に説かうとすることなどは恐らく徒勞に属するであらう。かりに初期の分類が言語とは獨立に經驗の分類から始つたと偃定しても分類の行はれる仕方は意識的でも科學的でもある筈はない。論理とは凡そ縁遠いもので「意志傳達の社會的條件のみがそれを決定したであらう。生活經驗のいづれの特徴が共通な要素として原始的な言語材料の體系化に表現を見出すかは、偶然人間がそれに刺戟された特殊の欣態環境に應じていろく樣々である筈である。男性女性中性と云ふやうな範疇を歐羅巴の言語は認めてゐるが、北アメリカ土人のアルゴンキン語の如く生物と無生物の範疇を持つてゐるものもあり、同じ北アメリカ土人のイロコイの言語に於ては高尚なものと野卑なもーのとの直別を範疇としてゐる。ー單數左か複數とか云ふ區別も一つの範疇ではあるが、一から二三四五と一つづつの差で大小のあるものを、一と一以上との二つに考へたなど云ふことは全く
//文法の變遷缶一七九
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//文決一八○
//偶然としか考へられない。
//富士谷成章が「脚結抄」に次の如く云つてゐるのは、經驗が分類されて言語の範疇の出來て來る過程を示してゐるものである。
//名をもて物をことわり、装をもて事をさだめ、插頭脚結をもてことばをたすく。この四のくらゐは、はじめひとつのことだまなり。あふよりてさだまれるもあり、とよりてかよひなれるもあり、いは寸おなじき木といへど、おほきなるをぱ家につくり、ふねにつくり、ちひさきをばつくゑにつくり、はしにつくるは、むかしよりよろしきにしたがふ也云々
//叉日あめつちのことだまは、ことわりをもちてしづかにたてり。そのはじめは名にもあらず、かざしよそひあゆひにもあらず、たとへば水といふ瀞のいまそかるは、雨雲などいふべくもあらず、・うみ川などいふべくもあらず、ましてすさけなど名づくべくもあらぬが”ことし。叉其はじめはふる雨のたまりていづみとやいでけむ、泉の水のけののぼりノ\て雨とやふりけむとしりがたきもあり。又其はじめ水をくみてこそすにつくりさけにかみけめとしるきもありて、これかれたがひにことわりかよはずといふことなし。四のくらゐさだまりて後は、ひろくせばくつよくよわきしなく\にわかれなりて、これはかれにあらず、かれはこれにあらぬこと\なれるもあり云々舛
//各國語にあらはれてゐる語の意義を比べて見ると、殆どすべての國民に共通な概念のあらはれてゐるものもあ
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//る。「山」「川」「水」「木」とか「白い」「黒、い」「塞い」「暖い」など云ふやうなものである。これらは外界の物體及びそれの魘性に關する概念である。それすら日本で「兄」「弟」としてあらはれてゐるものが、英語佚喜?岳臼としてあらはれてゐるかと思へば、英語で与0夢2との羣臼との匠別のあるものに對して、日本語で「はらから」と云ふやうな概念を一語であらはしてゐるやうな大小廣狹の違ひを生じてゐる。國語では「草が青い」とも云ふし「室が青い」とも云ふ。この二つの「青い」は言語としては同じであるが、日本人が青と緑との匠別を知らないのではない。必要があれば一方は青いと云ひ他方を緑といふ。緑と青と云ふスペクトラムの上で相隣つてゐる二つの色が、一つに總括されて青と云ふ單語として用ひられてゐる所は、丁度借ると貸す之云ふ概念が支那語で一つの「恨」、ドイツ語で一つのー呂ロ8で總括されてゐるのと同じで、全く言語上の偶然の分類に因る。その區別は言語の上では之を補ふ方法が他にあり、話す人は決して誤ることがない。このやうな事物やその屬性の概念はいづれの國語にも意義素としてあらはれてゐるが、國語に由つては意義素を以てあらはれて居るものが他の國語では意義素としてあらはれないものがある。日本語では「せめて」「いはむや」と云ふヤうな語があるが、英語にはそれに相當するものがない。形態素になると各國語非常な異同がある。「落ちた」は「落ち」と云ふ意義素に「た」と云ふ形態素が着いてあらはれて居るが、英語では{0ーーと云ふ意義素をあらはす音韻と合體して形態素はあらはれてゐる。「が」と云ふ形態素にあたるものも英語にはない。形態紊にあらはれる意義が文法的範曦であつて、文法的範疇を研究するものが文法學である.
//文法の變遷.一八一
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//文法’八二
//文法的範疇は經驗的の言語素材かち抽出して法則化するを得るもので、その言語を話す民族が本能的に演繹してそれを新しい語の檜加に應用し得るものでなければなちない。歐羅巴の多くの國語で名詞に性を云ふが、それは一般に特殊の記號を形態の上に持つてゐるから、彼らの言語の文法的範疇と云つて差支ない。我が國語では男性をあらはす「を」「をん」一女性をあらはす「め」「めん」があるが、凡ての名詞に規則的にあらはれるものでなく、■之を法則化して國語の文法的範疇と云ふことは出來ない。「み」といふ接尾語も形容詞の語幹について名詞を作る職能を持つてゐるが、名詞を作る接尾語には「さ」と云ふものもあり、叉「み」「さ」を附けることが名詞を作る方法として一般化されて居らず、形容詞の語幹そのまゝでも名詞となる。これがこの「み」をつける方法を文法的範疇としない所以である。要するに惘を」「をん」「め」「めん」と云ふやうな接頭語「み」「さ」の如き接尾語は日本語では形態素ではなく意義素に属するものである。「み」一の如きが形態素と意識されず意義素と感ぜられるから「み」を「味」之る聯想するやうにもなつて、菓子箱のレッテルにも「甘味」と書くやうた風習も出て來るのである。
//二
//文法家が各時代の文法的範疇を法則化して之を比較して見ると、その間に異同があることを見出す。この抽象概括の結果が時代によつて違つてゐることを發見するとき、甲の形甲の用法は云々の仕方で乙の形乙の用法に變
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//化したと云ふ。これを文法の變遷と云ふ。
//形態素の變化は不規則で音韻體系の變化とは大に趣がちがふ。
//春庭が「詞のやちまた」に中古の動詞の活用を體系化するとき、
//さるは紳代よりおのづからさだまりありて今の世に至るまでうつりかはることなく、いさゝかもたがひあやまるときは、其ことわからずそのこ\ろきこえがたきものにしあれば云々
//と云つて、四段、一段、中二段、下二段の四種に分類し整然たる體系があつたかの如く考へ、かくて古への人はおのづからわきまへて用ひたがふることはなかりつるを後の世となりてはやうくにみだれゆきつゝ誤ることのみ多くなりぬるを云々
//と云つてゐるが、後に義門が周到に調査した結果は、必ずしも「八衢」の論く所の如くではた…かつた。中古といヘども一定不變な文法があつたのではなく、いつの時代にも不規則や矛盾は存在してゐた。春庭が云ふやうに「後の世となりてはやうくにみだれゆきつゝ誤ることのみ多くなりぬる」のではなかつた。「たとふ」と云ふ動詞は「たとへて」「たとへば」と云ふ例で、「たとふる」は少いが、拾遺集に「みな人の命のつゆにたとふるはくさむらごとにおけばなりけり」,信明集に「ほどもなくやみぬるあめにたとふるはいかに悲しきなみだなるらん」とあつて下二段活用であると思はれるが、「たとひ」と云ふ例も澤山あるから四段に活いた形があつたに違ひない。
//大日本國語辭典にも「たとふ」を四段にも墨げ「この語の活用に適嘗なる用法なけれどたとひと名詞法にいヘば
//文法の憂邏,一八三
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//文法一一八四
//存しおく」と斷つてゐる。「亠なぞらふ」も一般に下二段であるが、後撰の「かへりくる道にぞけさは迷ふらむこれに屯ぞらふ花なきものを」、源氏常夏の「うちのおとどになぞらふ人なしかし」など四段に活いてゐる形もある。「わぶ」も上ニ段であるが、和泉式部日記の「夕ぐれはたれもさのみぞ思ほゆる待ちわぶ君ぞ人にまされる」といふ例は四段活用である。個人的の誤もあるかも知れないが、言語は絶えず變化するもので言語の性質上形態の變化は常に冤れることが出來ない。どんな洗煉された言語にも例外があるのが當然で、後世に至つてはじめて諛つたのではない。形態素の體系がそれ自身の中に變化の原因を持つて居ることは音韻體系の揚合と少しもかはらない。
//然しこの二つの體系の變化には大きい相違がある。音韻が語とは無關係に變化することの多いのとは反對に、形態の變化は常に語に關係して生じ形態素全體の上に起るのではない。それが語の部分であると云ふのみならず、形態變化の原因が言語のいとなむ用法の上に在るからである。形態變化は何らか特定の用法の上に始り常にその範園は限られてゐる。一音韻變化のやうに變化するものが體系ではなく、體系中の何らかの要素であり特定の用法に關聯して起る變化であるからである。この二つの體系の變化のあとを見ると、一音讖變化は絶對的で凡てを洩さず新しい欣態を以て古い阯叭態に換へてしまふものであるが、形態變化はその法則が行はれる凡ての揚合に現れることは稀で、新しくあらはれた形と並んでしばしば古い形の相當の藪が依然として行はれてゐる。奈良朝時代四段であつた動詞が平安朝時代に二段に變つたものが多いとは云へるが、「おそる」の如きは卆安朝にも四段の形式
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//の方が勢力を占めて居り、この動詞は
//綸言ヲ|奉《ウケタマハ》ル職事ハ極テ恐リ思ヒケレドモ(今昔)
//御國いみじくおそり給ひけりとなん(字治拾遺)
//のやうに院政鎌倉時代までも及んでゐる。「,忘る」といふ動詞が
//忘らる\(身をば思はずちかひてし(大和物語)
//人に忘られて(後撰春上)
//佗しさの千種の數も忘られぬべし(竹取物語)
//の如き皆四段で、この種のものを「口語法別記」に「忘れられ」の約と説明してゐるのは、語法が規則的に行は
//れて居たと云ふ先入見からその説明法を誤つてゐるのである。「たふとぶ」は殆ど全く四段活用の動詞として傳
//つて居るのだが、新古今序に「耳をたふとむる餤り」と云ふ一例が二段活用を示して居るから個人的の誤かと思
//はれるであらうが、それよりずつと後の「恨名がき論語」に
//くんしのたつとふると辷ろのみちみつ(泰伯篇)
//とくをたつとふるにあらすや(顔淵篇)
//とくをたつとふるか亠な、かくのごとき入(憲問篇).
//叉室町時代の「史記抄」にも
//文法の變遷一八五
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//嚢
//文法ー一八六
//南容ヨリ公治長ヲ貴ビラレタ歟(一〇)
//と云ふのがある。
//動詞によつて遲いのと早いのと變遷は新古さまく\である。「おそる」は前述のやうに極めておそくまで四段
//の形で行はれたが、「かくる」は「青山に日がかくらば」(記)の如きもあるが、奈良朝時代に「つくば山かくれ
//ぬほどに」(萬一四)の如く毓に下二段になつて居り、丞.安朝時代に於て四段の形は見えない。「とマむ」も「とき
//のさかりにとじみかね」(萬五)「よのことなればと!みかねつも」(同)の四段と共にすでに「沖つ洲に船はと繋
//めむ」(萬一四)、フしゝだくに君が見せむとわれをとマむる」(同)のやうに下二段になつてゐる。「生く」の如き
//は奈良朝時代四段で「生けるしるしあり」(萬一八)、平安朝時代にも「いかまほしきは命なりけり」(源氏桐壷)を
//はじめとして四段であるが、院政時代にやつと上二段になつた。然るにたじ一つ蜻蛉日記に「生くる人ぞいとつ
//らきや」と云ふのが平安朝時代の例である。この異例が個人的の誤として片附けられるかどうか疑問である。こ
//のやうに形態素の變化は極めて不規則なもので、どの時代の文法を體系化しようとしても,いつでも澤山の矛盾
//に遭ふのである。
//三
//形態變化を支配する傾向の第一は複雜を避けて簡單につき齔雜を去って統一を求めようとする類推の心理であ
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//り、もう一つは文法的形式を明かにし意味を確かにしようとする爲に形態素を作り出すことに在る。
//蕪推作用は言語の形態變化の根柢にある最も力強い働である。單純化もしくは體系化本能に起因する。種々の
//語彙文法形式さては語の連結いろくの文を子供のときから心の中に蓄積して相當の年齢に達するとどの位記憶
//してゐるか分らない。それらは雜然として何らの秩序もなく心の中に蓄へられてゐるのでなく、われノ\がその
//或ものを意識に再現する時には之に類似を有する他のものが數珠の如く引出される。われくが言葉をおぼえれ
//ばおぼえる程、それらは何らかの類似に由つて種々の聯想を形作り聯想群を作り上げる。
//形の類似で聯想するものもあり、意味の類似で聯想して居るものもあり、形と意味の爾者で聯想して居るもの
//もあり、聯想群のそれ八\は孤立して居るので亠なく、大きな聯想群があり、その中に小さな聯想群が含まれ、聯想群同志は縱と横とに聯想してゐる。「行かれる」「押される」「待たれる」「呼ばれる」などは受身をあらはし、
//助動詞の「れる」を件つて.ゐることによつて聯想群をなしてゐる。「覺えられる」「受けられる」「伏せられる」
//「求められる」と「報いられる」「起きられる」「強ひられる」「見られる」とはそれぞれ、「られる」が附いて受
//身を現す動詞として聯想さ”て居り、此の聯想群の中で前者と後者とは下一段と上一段とのちがひでまた分れて小なる聯想群を形作つてゐる。以上の受身はその動詞との接續の仕方のちがひはあるけれども、受身をあらはす
//活用連語として大きた聯想群を形作つてゐるー「せる」とか「させる」とかいふ使役の助動詞が動詞について出來
//,てゐる活用連語の上にも之と似た聯想群が出來てゐる。ところが又「行かれる」「押される」「待たれる」「呼ばれ
//文法の變遷−一八七
//−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[End of Page 93]−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
//文法一八八
//る」と「行かせる」「押させる」「待たせる」「呼ばせる」とは受身と使役とのちがひはあつても、共に四段動詞の
//未然に連つて出來た活用連語といふ類似で聯想して居り、その中でも「行かれる」「行かせる」は共に同じ「行く」
//といふ動詞につらなつてゐるといふ類似で一層密接な聯想を成してゐる。
//こゝに言葉に規則が出來る。受身をあらはすには四段活用には「れる」を用ひ、一段活用には「られる」をつけ、使役は四段活用動詞には「せる」、一段活用動詞には「させる」を用ひ、「れる」「られる」「せる」「させる」はいづれも動詞の未然形につくと云ふことが饒納される。文法を學ぶと云ふのはこの言葉に規則のあると云ふことに本づく。「行か、ゆき、ゆく、ゆけ、」「押さ,おし、おす、おせ」と云ふ樣に、五十吾圖のアィウエの四列に由つて語形の變化をする動詞は一群に纏められる。文法で四段活用と云ふ名でこの一群の動詞を呼ぷ。
//四段活用に屬する動詞は極めて多數である。之に魘する箇々の動詞をすべて聞いたり、用ひたりしたと云ふのではない。又その語形變化をすべて經驗したと云ふのではない。しかも新しく之に似た動詞に遇へば跣得の知識を鱶用して語形の變化をさせる。もしそれが社會の習慣とする所と違へば正されるが、さうでなければ認められ、かくして追々に言葉づかひを覺えて行く。
//要するにわれノ\の心の中には、動詞でも形容詞でも乃至はその他の品詞でも、皆その聯想群から抽象した模
//型を作り出してゐるのであつて、われノ\が絶えず動詞を聞き形容詞を聞きその他の品詞を聞く毎に、時に應じ
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//てこの模型を嘗てはめて自餅的に種々なる語形變化を作る。この模型は凡ての同じやうな場合には適用し得ると
//思つて居り、かうして作つた形は意味を博へる上に何の妨もなく理解され、聞く人に何ら唐突の感を起させず、
//聞く人も亦自分が語ればそれと同じ形を作ると思つてゐる。このやうに吾々の精紳の中に出來てねを模型に由つ
//て、われわれが經驗するすべての言葉を處理してゆくのが類推作用である。
//3
//この原理は言語活動の上に常に働いて止まない。言語の匿史のいづれの時代にも、この原理に由る發生や變化を經驗しないことはない。事實われノ\は之がなくては言語活動が出來ないのだ。それが爲に時としてこの類推の原理を用ひる結果、普通に誤つた類推と稱せられる形式を作り出すことがある。これを或人は類推違ひ勺巴$毒巴0萼と云ふ名で呼んでゐる。このいはゆる類推違ひは日常子供の言語活動の間に頻々として經驗される。類推違ひは畢竟一種の類推作用で、心理的にいへば同一物である。類推作用を行つた結果がわれノ\の言語の習慣と違ふやうになつた揚合を類推違ひと云ふに過ぎない。類推作用を以て言語活動を處理した結果が、社會にみとめられてゐる習慣と違ふものとなつたと云ふのは,唯類推の手本となつた聯想群が、われノ\の用ひる聯想群と別のものであつたと云ふまでである。すなはちその類推の結果が今日の標準語の標準と違つた結果になつて居ると云ふだけである。
//子供が言語習得の時期に語形をおぼえて行く働は畢竟類推作用である。未來の形式は四段活用の動詞には「う」その他の動詞には「よう」を附けるのだが、或子供の言葉の中に.、「たベる」め未來に「たばう」と云つたのを聞
//文法の變遷一八九
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//文法肇一九〇
//いたことがある。これは「たべる」を四段の形式に類推した誤である。同じ子供が「あかいの御ベベ」「つベたいのおぶう」と云ふ言ひ方をしてゐた。これは形容詞を普通の名詞の修飾の形と同じに取扱つたのである。
//國語の動詞は四段活用のものが特別に多い。從つて未來形も「う」をつける形、帥ち語尾がオ列長音になるものが主位を占めてゐるから、未來を云ふには動詞の語尾をオ列長一音にすれば良いと思ひ込んで、それが子供の最初の習慣となる。「見よう」とか「來よう」とか云ふことを聞いた事はあつても、その數は四段の揚合と比べて少い。その爲に「たべる」にも忽ち「、たばう」と云つて大人に訂正される。直されてはじめて或種の動詞には「よう」といふ形を附けることを知つて叉新しい聯想群を形作りそれによつて別の類推を行ひ、他の種の習慣は作り出される。形容詞を體言の修飾語にする時「の」を挾むと云ふのも、子供が最も早くおぼえ最も多く記憶してゐるのは體言であるからである。從つて體言が體言の修飾語になる揚合の形式が優勢な聯想群を形作つてゐる結果は、形容詞をも體言に準じて同じ方法で修飾語を形作り、形容詞にまで「の」をつけ加へたのである。
//教育の無いものにも之と同じ類推違ひがある。又必ずしも無教育の者のみの間でなく、相當に教養のある者の間にも聞くものに,無理からぬ」と云ふ言葉づかひがある。これは「無理でない」と云ふベきを「廣からぬ」「遠からぬ」等、いはゆるカリ活用の形容動詞に類推させた爲に生じた類推違ひである。かくの如き創造は言語がこれを生ぜしめる機曾を與へられる限りあらゆる言語の時代に生じ、或ものは葬られるが或揚合は固定して永續的のものになる。下一段活用の「蹴る」は今日ほとんど四段活用に用ひられるやうに亠なつて居る。かくなるまでに
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//はしぱ/\類推違ひが行はれたのである。今日はなほ四段の云ひ方と混じて「蹴やぶる」一蹴たふす」などと云ふ云ひ方が殘つてゐるが、「蹴る」のすベての用法が全く四段活用に類推するやうになつた驤には、「蹴る」が四段活用として固定するのである。
//この類推作用のあらはれ方を法式化して往々言語學者は方程式であらはす。すなはち2ぴ”0§と云ふ形式とし、例へば「四角い」と云ふ語形のあらはれたのを
//
//と云ふやうにする。これを創めた人がHermann Paulであつたから、パウルの比例式(Pauls’ Proportion Formula)と呼んでゐる。
// これは類推の行はれた過程を説明する便宜に供するもので、かゝる作用が意識的に行はれると云ふのではない。往々かゝる方程式の示すやうな推理を普通の人間は成し得る能力がないと云つて非難する人がある。もし常人がかゝる推理を知らたいと云つて法則の存在を否定するならば、學者は文法などを論ずることが出來ないことになる。この比例式と云ふものは、他の理論と同じやうに、話手が無意識に行つてゐるものを言語擧者が理論化したもので、話手が自らかゝる推理を説明し得ると云ふことを意味するのではない。
//われノ\はこの比例式の根抵にある心理作用を知れば良い。「動く」と云ふ動詞は言語活動の上にいろくめ連つた形で現れるが、「動か」と云つた叺「動く」と云つたり形はかはつても意義素は同じである事を知り、語幹
//文法の變遷.一九一
//−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[End of Page 97]−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
//文法一九二
//に一定の定義をみとめる。さうして否定をあらはす時は「動かない」、過去は「動いた」、言ひ切りは「動く」と
//用ひるし、又「置く」といふ動詞は「おかない」「おいた」「おく」であることを言語活動の上で反復經驗した結
//果、「……かない」「…−いた」「−…く」と云ふ形が語幹とは別に一定の意識を捨つてゐる事を知るやうになり、
//意義素と形態素とは無意識に分解される。その結果は「解く」と云ふ動詞をきけば、はじめて聞いたものでも
//「解かない」「解いた」「解く」と云ふやうに用ひる。進んでは名詞にも應用されて
//、”、〈」
//二函
//:嘲葎耋
//§&8
//聽聽8
//口”!}
//心砕々(嬾)
//一心(黐)
//サ心(漏)
//語尾を意義素に一定の意味を加へるものと云ふ意識が出來て居ればこそ、漢語の終の音を語尾のやうに見倣し
//て漢語の名詞から新しく動詞を作り出す譯も分つてくる。
//梅花かほよきうなゐどもかぎりなくさうぞかせて(うつぼ)
//裳唐衣などこはノ\しくさうぞきて(枕草孑)
//は「装束」から「さうぞく」といふ動詞が出來たのである。
//御顔はいろノ\にさいしき給ひて(榮花)
//イクラ五色二彩シクトモ地力白テコソ盡ハキツカト見ヘウスレ(史記抄一〇)
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//皮キレ木キレヲサイシイテシタ者ソ(蒙求抄八)
//は「彩色」から「さいしく」と云ふ動詞が出來たのである。
//束帯・敵對が「そくたふ」「てきたふ」のやうにハ行四段と同じ形を造り出したのもこの類推による。
//|本《ホンノち》々に束帶うたが(天草本平家)
//平家に敵對はれた(同)
//比例式の左の項にあたるものは、話手が一定の成分の存在及び價値を知るやうになつた聯想群の全體を、假りに一語で代表させたものであることは銘記しなければならない。之を知ればパウルの比例式に對する非難の一半は解消される。さきの「四角い」と云ふ形容詞を生じた類推をあらはす比例式に就いて云へば、「圓い」といふ一語は、「く、い、けれ」と云ふ語尾を有する形容詞全體、少くとも「圓い」とか「長い」「短い」「大きい」「小さい」と云ふやうな物の形であらはす形容詞の全體が代表されてゐるのである。
//此例式であらはされる類推作用は、實は極めて複雜なものを便宜に單純化したものである。その複雜なものを
//妄りに單純な形にあらはすのは、誤解を生ずるもとであると云ふ理由で之に反對する人もある。例へば活用する
//語の連體形が終止形と同一になつたことは、わが活用體系の上にあらはれた古今の變遷のう、最も著しい現象で
//あるが、それを比例式にあらはすと
//”〈誦刪”諳…”〈”計心ぴ\天品聽賛”丶穴計−心ぴ
//文法の變遷一九三
//−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[End of Page 99]−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
//文法一九四
//となるが、「落つる水」「水落つる」と云ふ時に、四段の形式が何故に類推作用の模型になつたか。それは四段の動詞が數が多くて大きい聯想群を形作り、言語活動の上で長ぐ繰返されて記憶の中に優勢な形態的型式となつて居たからに違ひない。模型となるものは優勢な聯想群でなければならないといふのでないが、この揚合はたしかに數の多い吾々に慣れてゐるものであつたことが與つて力ある。然し終止形と連體形とが同一であると云ふだけならば
//(一帚併く一”〈】帚”丶ア欹へ)”88”譏”’心丶穴)
//と云ふ類推も考へられる。それが反對になつて連體形が終止形を同化したといふならば、そこに何らか理由が無ければならない。それは比例式の上には現れない。
//國語の動詞の活用體系の根抵に在るものは母一音變化の原理と「る」「れ」添加の原理である。(別項「日本交法史素描」參照)。二段活用はその混合であるから統一を求める心理は、つひには之を純粹の「る、れ」活用の體系に統合しようとするのが當然である。この意味で一方に二段動詞が母音變化を失ってー段化する傾向があつたと共に、二段動詞のみならず「る、れ」語尾を有する動詞が一般に終止形が連體形の形を取る傾向は早くからあつた、
//春野のおはぎ摘みてくるらし(古今六帖)
//夕されぱ螢よりけに燃ゆるとも(寛平御時后宮歌合)
//つゆ年ふるべくもあらず(和泉式部日記).
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//常よりも物あはれに覺ゆる(同)
//つとめて(歌)などきこゆる(同)
//まいておとがひほそく愛敬おくれたらむ人はあいなうかたきにして御前にさへあしう啓する(枕草子)
//火をけのはたにあしをさへもたげてものいふまゝにおしすりなどするらめ(同)
//これは一端を舉げたに過ぎない。かう云ふ傾向が早くからあつたから、連髓形の方が終止形を同化したものと
//考へなければならない。それ故にこの形態變化には終止連體同形なる優勢な四段動詞の感化が大きかつたには違
//ひないが、單に四段の類推でこの變化が起つたと云ふ亠ならぱ當らない。之に反して良行變格奈行變格の如きもの
//の變遷は極めて高度の四段の類推によるものである。良變の如きは四段によく似てゐてたじ終止形がイ列に活く
//と云ふだけが違ふ。それだから動詞中もつとも早く四段に轉じた。博士家の訓點を傳へる六臣註文選に
//世|居東《レリ》斎諸賢|處之《ヲレリ》
//又「とりかへばや物語」に
//}
//おろかなるものに思し召しなさるゝもげにことわりに侍る
//の如きものがある。
//比例式の右の項に属するものは少數で話す人の記憶表象として薄蒻なものである。「死ぬ」も亦その一つで、
//その爲に全く四段活用に類推して「る・れ」語尾を放棄してしまつたのである。
//文法の一九五
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//文法一九六
//次に類推に由つて同化されるものは劣勢で同化するものは優勢であると云つたが、それは單なる語彙の數の問題ではないことも記憶しておかなければならない。もし語彙の數の問題ならば加行變格左行變格の如きものが僅かにそれぞれ「|來《ク》」「|爲《ス》」の語のみであるのに、今日なほ不規則動詞として殘つてゐることの説明が出來ない。加變佐變の動詞の數か少ぐて規則動詞に同化されないのは、それが用ひられることの頻繁なるが爲である。「する」の如きはその性質上しばノ\用ひられるものであり、漢語を動詞にするのはもつぱらこの動詞との複合により、それらを加へてこの動詞の使用される頻度は極めて大きいと云へる。それがこの種の動詞の同化を冤れてゐる所以である。之に反して下一段の「蹴る」の如きはわづか一語であり、叉それの用ひられる度數もさう多いとは思はれない。それが今日ほとんど全くこの動詞が四段化してしまつた所以である。類推の一種にコンタミネイション(混合)と云はれるものがある。二つの語なり形式の間に聯想を生じた揚合、爾者の要素が同じ程度に混ずるものである。たとへば「破る」と「裂く」とは意味がよく似て居る爲に聯想を生じて「やぶく」と云ふ語を作る(許↓〆仏)。「とらへる」と「つかまへる」とから「とらまヘる」といふ動詞ができた。
//出家をとらまへて(狂言悪坊)
//童どもがそのま、寄つてとらまへた(天草本伊曾保)
//悪七兵衛はとらまへられて(天草本平家)
//同じ遖程で活用の作り變へられることが少くない。「おはす」は左行變格と云ふ説があり、又四段と下二段の
//−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[End of Page 2]−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
//爾樣の活用を持つ語であると云ふ説もある。余は兩樣の活用があると云ふ説は當を得ないのではないかと思ふ。
//四段に活くものと下二段に活くものとが何時かあっ旋やうだが、それがコンタミネィトして中古にはすでに左變
//としてあらはれてゐたと云ふのが正しいと思ふ。
//さし↓すすせせ
//\〆
//せせすする↓すれ↓せ
//助動詞の接續の仕方を考へると、過去の「き」「し」「しか」の續くに「おはしし」「おはししか」(四段の習慣)
//もなければ、「おはせき」(下二段の習慣)もなく、唯左變と同じく「し」「しか」の績く形は「おはせし」「おは
//せしか」であり、「き」は「おはしき」のみである。
//類推が文の構成に働くことも無論ある筈で、人は多くの語彙・語形を記憶して必要に應じて用ひるが、文の形
//式に至つてはその構造の千差萬別を皆記憶してつかふと云ふことは不可能のことである。勿論「おはやうござい
//ます」とか「行つてまゐります」「麟りました」と云ふやうなことはそのまゝ覺えて居るであらうが、どん亠な口數
//の少い人でも自分の嘗て聞いたことだけを話すことはあり得ない。記憶してゐるいろノ\の單語が文の上に構成
//を變へて新しい組合せを取つてあらはれるのが一般である。「そんなことはありません」と云ふ文をおぼえて居
//て或陣は「そんな必要はありません」と云ふやうな文が作られる。
//刪〜品小←坤”一耳餤ご蝉し吁}”良’嬾∴臼聴”小さ洋良’爐品莇品餤0吟ヰ丶、
//文法の變遷一九七
//−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[End of Page 3]−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
//文法,一九八
//類推作用は文をはなす上にも常にあらはれるものだから、類推に由る變化がこの上にも生ずることは云ふまでもない。この類推作用の文の上にあらはれる最も分り易いものはコンタミネイションの例である。樗牛の有名な
//標語「吾人は須く現代を超越せざるべからず」は「吾人は須く現代を超越すベし」と「吾人は現代を超越せざる
//べからず」といふ二つの文のコンタミネイションである。
//御かたち身のざえ心もちひょりはじめて、人がら世のおぼえもなべてならず物し給へば、何事かは飽かぬ事
//あるべき身ならぬに(とりかへばや物語)
//と云ふ構成は「何事かはあかぬ事あるべきに」と云ふ文と「あかぬ事あるベき御身ならぬに」とが聯想して混合
//した結果出來たものである。
//こちとは年中商費で大ぶんの金を出し大勢女郎をまはす身が其手をくはふと思やるか(淨瑠璃傾城八花形)
//「こちとは年中商費で大ぶんの金を出し大勢女郎をまはす身ぞ」と云ふ文と「年中商費で大ぶんの金を出し大勢
//女郎をまはす身がその手をくはふと思やるか」と云ふ文とが一緒になつたものである
//四
//第二に形態素が變化してその意味を十分にあらはせなくなると、それを作り産して意味を的確ならしめようと
//する要求があらはれ、之にょる形態變化を生ずる。音韻變化の爲に或種の形態素がカが無くたつたり叉は全くそ
//−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[End of Page 4]−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
//の形が無くなつたりすることがある。その時は外のそれに代るべきものを以て取換へなければならない。
//形態素が亡びて行くと、他の獨立の觀念語を形式語たらしめて形態素とすることはどこの國にも多い。英語で
//9と云ふ動詞がじ○若ロ。。0叱の9のやうに助動詞となり、ドイツ語で三ロがヨ霊一。。0庄$。。0戸目目三け、
//巴畠≦害口8のやうに用ひられたのも、古代の英語、ドイツ語の綜合的形式が近代語に於て漸く失はれて形態
//素の乏しくなつた爲である.フランス語で目0易(心)から出た日・三そ用ひてび8幕日8什その他の澤山の副
//詞を作り出したのも同じ現象である。國語で時の助動詞は古代語に於て豊富であつたが、純粹の過去の「き」は
//もつとも早く亡び「ぬ」がついで亡びた。「つ」は室町時代に荷用ひられたが、間もなく「行つつらう」「死んづ
//らう」のやう亠な複合の形に少し殘つて、今は「た」が過去をあらはす場合に廣く用ひられるだけで、完了をあら
//はしたり、存在繼績態をあらはすには不自由になつた。その結果今日あらはれてゐるものが完了の「てしまふ」
//とか存在繼績態の「てゐる」「てをる」とか、方言形の「とる」「ちよる」とか云ふ形である。いづれも動詞が助
//動詞化したものである。
//古代語に於ては未來の云ひ方は動詞の未然形に「む」と云ふ助動詞を附けてあらはしたが、「む」は「ん」とな
//り「う」となり、室町時代には四段活用、下二段活用、加行變格活用、佐行變格活用等についた揚合は
//桓公ヲ殺サフト|云テ(史記抄三)
//市中テ斬ステウソ(|同四)
//文法の一九九
//−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[End of Page 5]−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
//文法二○○
//糧食ハアトニモチテコウソ(|同一二)
//カウシテ|報セウトシタレハ(|同三)
//と云ふやうなオ列長音もしくは拗曇音の未來形を生じ、上一段、上二段動詞等では、はじめは
//春力秋力其生マレ時分二外ニイフ(|居う)トテ(史記抄一一)
//吾レサキニ死テ以前ノナサケニムクユウトスルソ|同三)
//のやうにウ列拗長音になつたが、前者のやうな形が動詞全體の中で優勢であつたから、それに類推して「見よう」
//「亡びよう」と云ふ形を生じた。これも當時の切支丹文獻に
//試みよう888ヨ5見よう誉一〇生きよう5&出で來よう=88
//と記してゐるやうに「よう」と云ふ濁立の助動詞があつたのではなかつた。
//かうレて音韻變化の結果形態素が衰ヘ、動詞の語幹と融合して長母音となつてしまつた時には、昔の「む」や
//「ん」のやうな獨立の助動詞が動詞の未然形に接績して未來をあらはした頃のやうな表現力は無くなつたに違ひ
//ない。室町時代に
//千人ノ僧ノ中テ、大悟シタラウス|人一人ニ布施ヲセウス(|勅規桃源抄一)
//百丈|云ハウズ|事力,元フテサヤウニ云ハル・力(碧巌抄七)
//名乘ラズ共頸ヲ取テ人ニトヘ,|見知ラウスルソトゾ|宣ヒケル(天草杢牛家)
//−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[End of Page 6]−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
//と云ふやうな形がさかんに用ひられてゐるのは、表現力を補ふために「んとす」から出た「うず」が用ひられた
//ものに匙遅刪)払仏い。.
//この傾向はすでに平安朝時代に「む」が「ん」に變化した時に現れて居り
//彼のもとの國よりむかへに人々まうで來むず(|竹取)
//此歌ぬし又まからむずといひて|立ちぬ(土佐)
//のやうな例があり、引績き院政鎌倉時代にも
//此ヲ取テ|艷《エモイハ》ズ調美シテ平茸ゾト云テ、此別當二食セテバ必ズ死ナムトス(|今昔廿八)
//此姫君をさしもなからんずる|下衆に盜ませばや(佳吉物語)
//と云ふ多少の例がある。「ん」が「う」になつてから、その要求は一層著しく感ぜられたものと見える。
//江戸時代に「うずれ」と云ふ形が「う」といふよりも表現力のあつたものであることは.富士谷成章が「脚結
//抄」の中に
//た!し何めとよむ歌、おほくむかへたる詞あらはなるものなればこそを里言のまゝにみていきほひをあらせ
//てウズレと心うるもよし(何めの條)
//と説明して居ることでも窺はれる。
//次に奈良朝時代に形容詞として後世と同じく「く,く、し、き,けれ」「しく、しく、し,しき、しけれ」があ
//文法の變遷二○一
//−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[End of Page 7]−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
//文法二〇二
//つたが、已然形の「けれ」「しけれ」は發達不完全で、たマ「ば」と云ふ助詞に接して「わかければ道行知らじ」
//(萬五)「かへしやる使なければ」(萬一五)が見えるが、「ど」「ども」に接するには微力であり、「こそ」・の結びに
//は現れず、.「こそ」の結びは連體形により
//己が妻こそ常めづらしき(萬二)
//野を廣み葉こそ繁き(萬一七)
//と云ふ現し方であつた。そのかはりに別に未然形、已然形に「け」「しけ」と云ふ形があり、東國方言には徇「か」
//「しか」と云ふ形があつた。
//しが無けばあたら掛けむよあたら墨縄(紀)
//戀しけば來まぜわが夫子(萬一四)
//玉桿の道の遠けば(萬一七)
//玉きはる命惜しけど(萬一七)
//川上の川榛の木の疎けども(琴歌譜)
//わかれなばうら悲しけむ(萬一五)
//見ずかなりなむ戀しけまくに(萬九)
//妹にこひつゝすべ無けなくに(萬一五)
//−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−[End of Page 8]−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
//と云ふにやうに「ば」にマく未然形,「ば」「ども」にマく已然形があり、叉「む」「まく」といふ未來の助動詞、「なく」と云ふ否定の助動詞等につら亠なり、動詞と共通な用法にも當り得たのであつた。
//然るに平安朝に入ると共に「く,く、し、き、けれ」「しく、しく、し、しき、しけれ」の活用體系が断然勢力を占め、「ど」「ども」につマいたり、「こそ」の結びになる等の用法を整備し,動詞をも形容詞化してなげかしほこらしたマよはしいさましよそほしくるほしやまし名たたしなど澤山の形容詞をも作り出す一方に、奈良朝時代にあつた「け」「しけ」「か」「しか」の形を殆ど騙嬾逐してしまつた。
//形容詞の活用が久活・志久活に統一されたのが類推作用の結果であることは明かである。その結果ははからず
//も奈良朝時代に見たやうな種々の助動詞に接續される用法を失つて不自由なものになつた。カリ活用の形容動詞
//のあらはれたのは.こゝに原因がある。すなはち「あり」を形容詞の連弔形に膠着させることにょつて動詞と同
//じ形態を作り出し、動詞と同じ助動詞につら亠なることを許し動詞と同じ用法にあたり得る遘を開いたのである。
//語法變遷の遏程は種々複雜で實際上その説明は容易でないが、蹄するところは以上二つの敦れかに屬するっ西洋で比較言語擧が始つた當初、その創始者ボップの如きは、語形を分析すればその語源を窮め得ると考へ、形態素は皆もと觀念語の變化したものと考へた。例へば、叭巨ギリシァ語亀三リトアニア語。葺一を分析すると、「行く」と云ふ意味の巴と云ふ語と「私」と云ふ意味のヨーとかち成りてゐると云ひ、かう云ふ説明を信ずベからざる總てに押及した。その後の研究の結果,今巳知り得る最も古い形も、極めて長い時代の間に甚たしい變化を經逋して出て來たものであることが知られるやうになり、形態素を分解しても文法體系構成以前に遡り得るもので、ないことを知つた。總じて類推に由る變化でも觀念語が形態素に成るのでも,どちらでも完全な文法體系を持ってゐる言語の内部に生ずる創造であると思はなけれぱならない。


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