#author("2020-09-28T11:37:19+09:00","default:kuzan","kuzan")
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平安時代語の資料(文献)【総説】当代の資料を扱うに当って、これをただ時代の新古によって平面的に考察するような態度は厳に避けねばならぬ。立体的に眺めて、はじめて、それらは当代の国語資料としての価値を発揮する。『日本後紀』その他の史学書に見える宣命・歌謡などは、『神楽歌《カグラウタ》』『催馬楽《サイパラ》』などとともに、資料そのものは前代の成立にかかるもの、あるいはその踏襲と考えられる。資料はまず大きく男性語脈系統のものと女性語脈系統のものとに分けられる。前者に属するもので注目すべきものに訓点資料(↓訓点)がある。いわゆる一等資料として価値のあるもので、しかも当時の口語あるいは、それに近いものが写されている点でも貴重であるが、そのことばはおもに学者・僧侶の用語であることに注意しなければならぬ。一方、後者に属するものでは韻文資料においては、『三代集』を始めとする勅撰集などに洗練された歌語をうかがうことができ、散文資料には、主として女子の手になる物語・日記の類がある。これらはともに消息・往来を基盤とするものであるため、文章にさほどの隔たりは認められない。文中の歌は地の文(↓会話文)と密接な関係を有し、両者を融合させた場合もあることは注意される。物語については作り物語・歌物語などに分けられ、例えば、歌物語の文体は他の物語に比べて短く切られているなどの特徴が見られる。さらに末期の資料である歴史物語は、男子の用語を基としたもので、それ以前の物語とは別系統のことばで書かれている。日記は、物語が三人称を主格とする表現をとるのに対し、一人称を主格とする表現をとつており、それだけに用語・文章にも作者の個性がよく現われている。当代の資料に関して、右のほかに『新撰字鏡』『倭名類聚抄《ワミヨールイジユシヨー》』(各別項)などの辞書がある。その訓釈の部分が国語資料となるほか、当時の字音などを知る面にも利用され、後者は院政期前後のアクセント資料となる。なお、特殊なもので、『本草和名《ホンゾーワミヨー》』 (別項)をその代表的なものとする資料が医学の方に残っている。さらに後期の資料には『今昔物語』のごとき説話集があり、漢文脈を多く取り入れた新文体で、しかも中に古語を存し、宜命書き(別項)の系統を引くものであり、次の時代の文章となり、また後の漢文直訳体・候文体(各別項)の源流ともなる。

【各説】『[[御堂関白記]]』-[[藤原道長]]自筆のもの、およびその子[[頼通]]の写したものが、ともに[[近衛家]]に伝わっている。『[[具注暦]]』の余白およびその裏に記された[[道長]]の日録であるが、心覚え程度のものであり、あて字や意識の有無にかかわらぬ脱字・誤字が多い。当時の漢字に対する意識を知る上に役立つ資料である。『[[明衡往来]]《メイゴーオーライ》』-消息文例を集めたもので、現存写本は二巻本と三巻本とに分かれる。後者は前者に比し内容多く体裁もととのっている。前者の系統には『唐橋家旧蔵本』などが、後者には[[内閣文庫]]本、[[静嘉堂文庫]]本などがある。法隆寺には『[[悉曇字記]]』の紙背に書写したものが残っている。『[[将門記]]』-[[平将門]]の事績を詳録したもので、和習(別項)を帯びた変体漢文(別項)で記されている。最も古いものは[[真福寺]]本で、これに施されている和訓は院政期のものである。これを転写したものに天明二年写本など江戸後期のものがある。『[[口遊]]《クチズサミ》』-教科書の類で『[[二中歴]]』・『[[簾中抄]]』・『[[拾芥抄]]』などの先駆をなすもので、「|[[太為爾]]《タイニ》の歌」(別項)のごときは[[手習歌]]の資料として貴重なものであり、書史その他いろいろの点から注目される。伝本は真福寺本ただ一つがある。

韻文資料については、『[[新撰万葉集]]』は万葉仮名で書いた和歌一首ごとに同じ心を詠じた七言絶句を並べたもので、『[[句題和歌]]』とともに和歌復興期の資料として注意せられる。[[契沖]]校本が元禄九年および同十二年に刊行され、後、覆刻もされており、『[[群書類従]]』に載せられているものの原本と認むべきものが内閣文庫に蔵せられている。『[[万葉集]]』に次ぐ[[私撰集]]であるが、これに対して、かなによる当代最古の韻文資料である『古今和歌集』は最初の勅撰集であり、『[[後撰和歌集]]』以下の勅撰集に長く範を垂れている。その序は歌論の先駆でもある。主な伝本には清輔本・俊成本などがあり、元永本は最古の完本である。定家書写のものでは、貞応本・嘉禄本が知られており、平安時代の写本は[[久曾神昇]]《キユーソジン 》編『古今和歌集綜覧』によく網羅されている。

散文資料について、『竹取物語』は最古の物語資料として重要なものであるが、近世以前の写本はほとんど伝わらない。[[新井信之]]著『竹取物語の研究校本篇』は有益なものである。なお、これに収められていない武藤本は現存本中書写年代の最も古い写本である。これと並んで歌物語に関する資料の『伊勢物語』は、種々の異本があるが、だいたい為家本・朱雀院塗籠本・大島本・定家本および真名本に分類することができる。それらについての詳細は池田亀鑑著『伊勢物語に就きての研究校本編』に詳しい。その一つ一つの短編における歌と散文との関係は、一見、和歌とその詞書との関係に似ているが、六十余首の歌を共有する『古今和歌集』の左注とからみ合って問題のある資料である。このころの資料には個人描写あるいは心理表現といった面は少ないが、生き生きとした、刺激のあざやかなことばが用いられている。『[[伊勢御日記]]』は確実な資料であり、「なまめかし」の用例一が見られる点などでも注意すべきものである。『源氏物語』はそれ以前の集大成ともいうべく、洗練された当時の口語をうかがうことができる。ここには動詞の活用など多くの種類を備えており、頻用される敬語は身分によっていろいろ種類を異にしている。異本は甚だ多いが、現存諸本は青表紙本・河内本および、それらに属しない本との三種に分けられる。『対校/源氏物語新釈』は青表紙本と河内本とを対校させたものであり、『源氏物語大成』はその他の諸本を対校している。共に語彙の総索引がある。『栄華物語』-寿永以前に証本と普通本(偽本とも)の二種があったことは『人麿勘文』の記事から知られるが、今日伝わっている三条西家本`為親本などはすベて普通本の系統である。『源氏物語』に組織をまね、道長の栄華を、女流の日記をおもな資料とし、家集・古記録などを参酌して詳記したもので、新しい構想と表現がそこにくみ取られ、後の『大鏡』など歴史物語を生むに至った。歴史物語とともに次の時代に受け継がれていく説話物語資料に『三宝絵詞』がある。伝本には前田家本があげられるが、これは漢文まがいの文章であり、漢字にかたかなを混じえて記されている東寺本を参照しなければ十分読みこなせない。その他に『東大寺切』があるが、関戸家に一帖(約百枚)あるほかは断簡にすぎず、これの復元は、現在不可能である。『三宝絵』の原本は、その著作の目的が当時婦人が好んで読んだ物語の代りにするにあったから、やはり物語に似た態度をとり、かなを主とした文章であったと思われ、『東大寺切』が原本の姿を最もよく伝えているようである。題名から知られる如く仏法修行の心得を説いたものである。
日記について、『土左日記』-写本には定家自筆本・図書寮本などがあるが、池田亀鑑著『古典の批判的処置に関する研究 第三部』は青谿書屋本を底本とし、諸本を対校させたもので研究上便利なものである。勅撰集の序文をかな文で草する試みをなした紀貫之が、男子の身をもって、旅日記をもかた文で記そうと試みたものが本書であり、したがって用語に漢文訓読(別項)のことばが使われているなど興昧ある資料である。『蜻蛉日記《カゲローノニキ》』-写本には静嘉堂文庫本・旧久原文庫本・東京教育大学本などがあげられるが、いずれも江戸以後のものである。『和泉式部日記』-写本には応永本があり、同系統のものに図書寮本がある。これと系統を異にする三条西家本は本文校訂上注目すべきものである。『和泉式部物語』の別名を有する如く、文章は第三人称で記されている。『枕革子』-伝本はきわめて多く、また異本間の異同が甚だしい資料の一つである。おもなものに伝能因所持本・三巻本・堺本・前田家本などがあるが、現存の諸本のみでは原形は推定できない。田中重太郎編著『校本枕冊子』は三条西家旧蔵本を底本とし諸本を校合したもので、研究上便利なものである。『紫式部日記』-伝本は少なく、現存の波多野本・彰考館本・神田文庫本などは、いずれも伏見殿邦高親王自筆本の系統に属する。池田亀鑑著『紫式部日記伝本考』は約三十種の異本について、その系統と性質とを述べた最も詳しいものである。『更科日記』-諸本はすベて定家書写の御物本の流れをくむものである。自叙伝的なものが主であるが、この最初の東海道の旅行記は紀行文としてすぐれた価値を持っている。      〔吉沢義則〕
<Div Align="right">『国語学辞典』</Div>
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