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[[有吉佐和子]]

和歌山弁会話


朋子は耳なれない[[東京弁]]にすっかり緊張して言葉を失い、ただ首肯いたり首を振ったりで受け答えしていた。

初対面の女、しかも[[東京弁]]という横で緊張したまま眠ってしまったのは、朋子の幼さというものだったろう。

朋子の耳にきこえてくる声の調子は、まるで怒ってでもいるような威勢のいい[[東京弁]]だった。

 東京にいる毋親がもう[[東京弁]]を使っていようとは、朋子のように幼くなくても想像できなかったに違いない。前の東京住まいの経験がある敬助でも依然として古里の言葉つきを失っていないのに、郁代は環境に順応しやすいのか、見事に豹変していた。それは東京育ちの人の耳には奇異な音に聞こえる半端な東京弁であったけれども、ともかく郁代は得意げに夫にも朋子にもその言葉を投げつけて恥じなかった。

彼女は、朋子の[[田舎弁]]にはらはらしていた。まわりで躰を流している女たちが、一瞬話をやめて聞き声をたてたのに気がついたからである。
「朋子、[[和歌山弁]]は使わないようになさいよ。でないと学校で馬鹿にされますよ」

敬助の[[和歌山弁]]は一向に改まらなくて、ようやく[[東京弁]]になってきた朋子の言葉をよろめかした。

 もう一つ朋子が驚いていたの‘は、郁代の言葉遣いであった。吉原の近くで、俄かに[[江戸ッ子弁]]を操り、再度東京へ出て来たときにぱ静岡の遊廓で習い覚えた荒んだ言葉を使っていた郁代が、生まれ故郷のこの西ノ庄村へ帰ると途端から見事に[[紀州弁]]に舌の先が舞戻ってしまったのだ。
 もう一つ朋子が驚いていたのは、郁代の[[言葉遣い]]であった。吉原の近くで、俄かに[[江戸ッ子弁]]を操り、再度東京へ出て来たときにぱ静岡の遊廓で習い覚えた荒んだ言葉を使っていた郁代が、生まれ故郷のこの西ノ庄村へ帰ると途端から見事に[[紀州弁]]に舌の先が舞戻ってしまったのだ。


第十二章
「今度、東京へ戻ってきても、郁代の[[和歌山弁]]は改まらなかった。ようやく当人が、[[関西なまり]]の言葉の甘さを、意識して使い出しているのであった。朋子に対して、毅然とした母親らしい態度を失っていても、[[関西弁]]なら不自然ではないと、郁代は思ったのかもしれない。

第十三章
[[和歌山弁]]から[[東京弁]]に豹変したかと思うと、また和歌山弁に戻ってしまった郁代。

[[東京弁]]で感嘆したあと、
「ほんまに、ええわ」
 [[和歌山弁]]で納めるように云って、


関西の女名前を呼ぶ[[アクセント]]は、東京と大違いだから、女中が聞き違えるのも無理はなかった。

郁代の言葉には朋子の大嫌いな[[大阪なまり]]が耳だち、[[紀州弁]]の優しさから、ひどくどぎつく粘つこい口調に変っているのが、朋子にはやりきれなかった。

「ああ、ごっそでした。沢山頂いたわよし」
 [[紀州言葉]]に[[大阪弁]]がまじって、郁代の言葉は、すっかり脂こいものになっていた。朋子の親愛をこめた言葉は、それで台無しになってしまったのだけれども、

「もみじが、美《う》っつい」[…]
 美っついというのは、[[紀州弁]]でも古語になってしまった言葉である。おそらくは郁代自身も滅多に使ったことはなかったのであろうに、このとき無意識に囗をついて出だのではないだろうか。

郁代ほどひどくはないけれども、安子の言葉の端にも[[紀州なまり]]があって、それがどこか投げやりな安子の性格を物語っていた。

賑やかな[[和歌山弁]]を撒き散らすようにして入って来たのは岡本楼の女主人であった。

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