#author("2021-09-17T18:27:37+09:00","default:kuzan","kuzan") 肥爪周二 「[[ハ行子音]]をめぐる四種の「有声化」」 茨城大学人文学部紀要 人文学科論集 37 pp.97-118 2002 ①連濁、②連声濁、③ハ行転呼音、④ɦ音化 http://ci.nii.ac.jp/naid/110000108392 // <!-- // 肥爪周二「ハ行子音をめぐる四種の「有声化」」 // // 序 // 前稿「日本韻学用語攷(一)1清濁 」(本論集33号、二〇〇 // 〇.三)においては、日本の伝統的な韻学用語である「清音」「濁 // 音」「半濁音」に関係する概念・術語の用法の考察を行った。前稿 // は、江戸時代以前の音分類意識の多様性を示すことに主要な目的が // あり、紙幅にも制約があったため、明治以降の清濁に関わる学説に // ついては、必要に応じて簡単に紹介するにとどまり、積極的にそれ // らの適否を評価し、私見を述べることはしなかった。また、清濁に // 関わる諸現象については説明を省いたものも多いし、多岐にわたる // 問題相互の関連にも立ち入らなかった。そこで、本稿では、複数の // 問題が交錯するハ行子音の「有声化」の問題にしぼって、前稿で触 // れた諸現象のうちのいくつかを、日本語史の流れの中で捉え直すこ // とを目指し、その過程で、濁音および連濁の起源について、従来と // はやや異なる解釈を提出する。 // なお、本稿でも、前稿と同様に「清音」「濁音」等の伝統的術語 // を積極的に用いることにする。「清音」「濁音」はモーラを単位とす // る呼称とし、頭子音のみを問題にするときは、「清子音」「濁子音」 // と呼ぶ。日本語の清濁を「無声/有声」と単純に言い換えたり、濁 // 子音を「有声阻害音」と括ったりするのは、多くの但し書きが必要 // であり、かえって煩雑であるし、さらに、方言や凵本語史に視野を // 広げれば、こうした言い換えそのものが不適切なものであるのは自 // 明である。その意味で、本稿のタイトルにおいて「有声化」という // 表現を用いたのは本意でないし、明らかに誤りを含んでいるが、本 // 稿の考察対象となっている諸現象を、一括して的確に表現する用語 // は存在しないので、便宜的に鉤括弧付きの「有声化」という表現を // 採用した。 // さて、ここでいう四種の有声化とは、①連濁、②連声濁、③ハ行転呼音、④n音化のことである。詳細は後述するが、あらかじめ簡略に説明しておこう。 // ①連濁 とは、「ひし+かた↓ひしが.た」「こ+さる↓こ瀏る」「か // み+たな↓かみだな」のように、主に後項が和語である複合語 // において、後項の初頭が濁音化する現象である。ハ行音が関わ // る例としては、「むぎ+はたけ↓むぎばたけ」「ね+ひき↓ねび // き」などがある。 // 九七 // ◎2002 茨城大学人文学部(人文学部紀要) // 106] // ---------------------[End of Page 27]--------------------- // ②連声濁 には二つの現象が含まれる。一つは「かぎて↓かい // で」「とびて↓とん.で」「わらぐつ↓わらうつ」のような、音便 // に後接する清音の濁音化現象である。ハ行音が関わる例として // は、「かがふる↓か調る」「かぐはし↓かう圃し」などがある。 // もう一つは、「ヘン+ケ↓ヘンゲ(変化)」「ワウ+シ↓ワウジ // (皇子)」「カム+す↓カム(感)ず」のような、漢字音の鼻音韻 // 尾に後接する清音の濁音化である。ハ行音が関わる例として // は、「サム+ヒヤク↓サムビャク(三百)」「コウ+ホフ↓コウ // 剥フ(弘法)」などがある。これらの二つの現象は、鼻音に後 // 接する清音の濁立日化として一括することができるので、ともに // 「連声濁」と呼ぶことにする。 // ③ハ行転呼音とは、「いは↓いわ」「かふ↓かう」のように、語 // 中語尾のハ行子音がワ行音化した現象で、凵本語史上の重要な // 出来事の一つである。十一世紀初頭ごろから一般化したと考え // られている。 // ④昼音化とは、「おはよう」[。量9】・「ゴハン」[O。コ9三のよう // に、母音間のハ行子音が有声化する現象であり、現代共通語に // おいてもしばしば見られる。 // これらの現象が日本語に登場したのは、①↓④の順であると考え // られるが、本稿では、時代をさかのぼる形で、④↓①の順で考察し // てゆく。 // 一.H音化 // 九八 // このH音化現象の語例として、音声学の概説書では「は.ば, // 、.d // 【冨留】」「お國よう【O⑦包Ω]」「ゴ刈ン[㊤O諭9・三」「ゴヘンジ【㊤Oゆ①8二」 // つ // などが挙げられている。いずれも語の意味の区別に関わらない 立口 // 声レベルでの変異である。 // 平安時代にハ行転呼現象が生じ、語頭および複合語の後項の初頭 // 以外のハ行音がワ行音化した結果、現代語において、ハ行音には顕 // 著な位置制限が存在する。つまり、語頭・複合語の後項の初頭以外 // にハ行音が現れるのは、「うはうは」「のほほん」のようなオノマト // ペや、「アロハシャッ」「コーヒー」「カフス」のような外来語に、 // 原則として限定されるのである。和語においても、「はは(母)」「ほ // ほ(頬)」「あふれる」「あひる」「やはり」のような例があるが、こ // れらは個別の事情によるもので、説明可能な例外である。 // 昼音化の例としてしばしば挙げられる「おはよう」「ゴハン」「ゴ // ヘンジ」は、それぞれ「お+はよう」「ゴ+ハン」「ゴ+ヘンジ」と // 分析できる複合語である。これらの語に且音化が生じるのは、その // 語構成意識がゆるんだからであると解釈できる。つまり、「すすは // らい」「まひる」「コウハク(紅白)」のような、十分語構成意識が // 保たれている複合語では、このn音化は起こりにくいのであるが、 // ある程度の速度をもって、ぞんざいに発音すれば、これらの通常の // 複合語においても、この6音化が起こりうることは、すでに指摘さ // コ // れているところである。 // [105] // ---------------------[End of Page 28]--------------------- // この且音化が起こる位置は、連濁現象において清子音が濁子音に // 変わる位置とほとんど共通するし、有声化した方が熟合度が高いと // いう意味でも、連濁現象とよく似ている。しかし、連濁は語構成意 // 識のゆるみを前提とはしない現象であるし、後項に濁音が含まれて // いる場合には連濁が起こらないというライマンの法則(後述)は、 // この行音化には適用されない。むしろ前後の母音の広さの方が、n // 音化に影響しやすいであろう。このn音化と連濁とは、かなり性質 // の異なる現象なのである。 // ニ ハ行転呼音 // ハ行転呼現象は、現代語の共時分析においては、ほとんど問題に // されることはない。しかし、「買わない〜買って」「会わない〜会っ // て」のように、ワ行五段活用の動詞が促音便をとることは、これら // がハ行四段活用に由来することを考慮しなければ、合理的に理解で // きないであろうし、「あわれ/あっぱれ」「さわやか/さっぱり」「ロ // クワ(六羽)/ロッパ(六羽)」のようなワ行・バ行にまたがる語形 // 対応も、ハ行転呼現象を考慮に入れないと、うまく結びつけられな // いであろう。「合同(ゴウドウ)/合唱(ガッショウ)」「雑巾(ゾウキ // ン)/雑誌(ザッシ)」のような対応も、「ガフ〉ガウ」「ザフ〉ザ // ウ」などの「フ入声」におけるハ行転呼現象が関与している。現代 // 語においても、ハ行転呼現象が起こる以前の、非転呼形の痕跡が随 // 所に残っているのであって、現代語を十分に理解するためには、こ // 「ハ行子音をめぐる四種の「有声化」」 // の歴史的変化をまったく考慮に入れないわけにはいかないのであ // る。 // 前稿で整理したように、ハ行転呼音が生じた音声的経緯に関して // は、大きく分けて二つの解釈がある。 // 一つの解釈は、母音に挟まれたハ行子音[-合山が、前後の母音の影響で有声化し、7≦亠に転じたとするものであり、現在のところ、これが通説であると考えてよいであろう。有声両唇摩擦音[亡山を経過したか、「飛び越した」かは見解が別れている。筆者は、摩擦音の有声化には、前段階として摩擦の弱まりを想定するのが相応しいと考えるので、有声化する以前に、唇音退化により[--]の摩擦が弱まり、その上で、前後の母音の影響で、有声化・接近音化し、[-w-]となった(つまり[--]の状態では安定しなかった)と解釈するべきであると考える。 // もう一つの解釈は、当時の清子音・濁子音の対立が、「無声/有声」ではなく、「非鼻音/鼻音」であったとする考え方、つまり、母音間の清子音は、東北方言などの力行子音・タ行子音のごとく有声化しており、その一方で、濁子音は前鼻音を伴っていたため、清濁の区別は保たれていたという考え方による解釈である。この解釈に従えば、ハ行子音は母音間で77〜÷]のごとき有声音で、7う山の摩擦がわずかにゆるむだけで、接近音7≦亠に転じうることになる。つまり、ハ行転呼現象が生じる過程に、無声両唇摩擦音[-合亠を原理的には想定しないことになるのである。 // 古代日本語の響が前鼻音を伴っていたことは動かない事実であ… // 九九 // ---------------------[End of Page 29]--------------------- // 肥爪 周二 // ムっこ // ろう。それをさらに推し進め、清子音が母音間で有声的であって、清濁の対立が「非鼻音/鼻音」の対立であったという説を提唱したのは早田輝洋氏である。氏は右のハ行転呼現象の例を挙げた上で、「おもほす」〉「おぼす」([。ヨ。宮皇〉『。∋9。・三)のような、「鼻音+清音」が「濁音」に転じる変化にも有効な説明を与えることができるとし、「白き」〉「白い」、「白く」〉「白う」のようなイ音便・ウ立日便も、【。・一おσq一〜。・一δk二〉冨弖二、宮δσq⊆〜。・一δk三〉冨お≦三のように、摩擦の弱化による接近音化として説明できるとした。次節で扱う連声濁の現象を説明する上で、きわめて魅力的な説である。 // しかし、この早田説とハ行転呼現象とを直接結びつけるには、やや抵抗を感じなくもない。朝鮮語・北京官話・アイヌ語・東北方言など、無声子音(無声無気子音)が母音間または鼻音母音間で有声化する傾向のある言語においても、その有声化が及ぶのは、通常、破裂音・破擦音のみであって、摩擦音には原則として及ばない。前節で見たように、声門摩擦音冖三については、現代共通語でもしばしば有声化するし、朝鮮語などでも同様であるらしいが、この有声化は摩擦の弱化を前提とするようであり、さらに進行すると、「ゴハン〉ゴアン」のように、子音の脱落を起こすことになる。そもそも声門摩擦音の音声学的解釈は、無声・有声とも難しい面があるので、ひとまずは、他の無声子音の有声化とは区別しておいた方がよいであろう。とにかく、この早田説による場合でも、力行・サ行(破擦音と考えておく)・タ行とは異なり、ハ行子音は母音間でも無声摩擦音7←亠のままで安定していたとも考えられるのである。カ行・サ行・タ行子音も結果的に無声音に落ち着いている以上、決してありえない可能性ではないであろう。 // どちらの解釈によっても、ハ行転呼現象は「ハ行子音の母音問における有声化」という面を有していることになる。いずれに依拠すべきかは決め手がないが、本稿では、清子音の母音間での有声化を認めつつ、ハ行転呼音に関しては第一の説(通説)によって考えてゆくことにする。 // 次に、ハ行転呼現象が起こる位置を確認しておく。 // 通常、ハ行転呼音は、「語中語尾」のハ行音のワ行音化であると説明されるが、この説明には補足が必要である。つまり、和語の複合語では、「ゆふひ(夕日)〉ゆうひ」「ちりはひ(塵灰)〉ちりはい」のように、ハ行転呼現象が生じるのは、複合語の前項・後項それぞれの内部においてのみであり、後項の初頭のハ行音はハ行音のまま変化しない。同様に、字音語の熟語においても、「スホフ(修法)〉スホウ」のように、各字音の内部(実際にはフ入声のみ)がハ行転呼現象を起こし、それ以外の位置では起こらないのである。「檜皮(ひわだ)」のような例も指摘できないわけではないし、固有名詞の場合には例外も散見するが、やはりそれらは特殊な例であって、語構成意識のゆるみ、つまり前項と後項との境界が意識できなくなった場合にのみ起こる現象であろう(なお「琵琶(ビワ)」等の梵語の音訳語は、時に和語的な音変化を蒙ることがあるので、通常の字音語とは区別しておいた方がよいであろう)。 // ---------------------[End of Page 30]--------------------- // ハ行転呼現象は、一種の調音のゆるみであるわけだが、例えば2 // 音節+2音節の複合語「○<・○<+○<・Q〈」を考えた場A冂、ハ // 行転呼現象の起こる位置を手がかりに、調音のゆるみやすさ(ゆる // みが生じる序列)を考えると、「ρ・P>∩どということになろう。 // この序列は、前節のH音化にも適用可能なものである。 // ところで、しばしば指摘されているように、「ワ行音はもともと // 語頭以外に現れることが少なかったため、ハ行転呼現象が生じるこ // とによって語の区別に混乱が生じることがほとんどなく、この変化 // がスムーズに進行した」ということはたしかに言えよう。しかし、 // それはあくまで変化を受け入れる側の問題であって、語頭以外のワ // 行音が「空き間」に近い状態であったこと自体が、ハ行転呼現象を // 引き起こす動因にはならないのは当然のことである。変化を引き起 // こす圧力が十分に強ければ、…機能負担量の大きな対立も解消されう // るというのが筆者の見通しである。例えば、琉球方言には、ま〉 // 一、♂〉⊆という狭母音化による、五母音の三母立日化が広く見られ // る。げ翼一、♂翼⊆の機能負担量が小さかったとはとうてい思えな // いが、文脈や常識による判断の他、子音の調整・アクセントの調 // 整・接辞による語形補強・言い換えなど、さまざまな手段を利用し // て、情報伝達に際して生じる不都合を回避したのである。音韻史研 // 究においては、「言い換え」はあまり重視されないが、この「言い // 換え」は大きな音韻変化を乗り切るにはかなり有効な手段である。 // 腹話術師が、バ行・バ行・マ行の音(多くの人は、口を動かさずには // 「ハ行子音をめぐる四種の「有声化」L // 近似の音を出すことができない)を使わず、言い換え(ママ↓おかあさ // んなど)によって二れらの音を回避していても、観客はまったーそ // れに気づかないものである。日本語に℃〉一、σVO、∋〉=のよ // うな変化が起こったとしても、それほどは不都合が生じないのでは // ないかとさえ思える。 // いずれにしても、言語とは、多少無理な変化をも受け入れるだけ // の柔軟性を持ったものであり、言語の側にも、変化の進行に並行し // て、さまざまな手段によって当該対立の機能負担量を減らしてゆく // という面もあるのではないだろうか。 // 三・○ 連声濁 // ここで「連声濁」として一括するものは、大きく二つに分けるこ // とができる。一つは「とびて〉とんで(飛)」「かりびと〉かりう // 剖(狩人)」のような、和語の音便にともなう清音の濁音化であ // り、もう一つは「サムボン(三本)」「レンゲ(蓮華)」「ショウ洲(生 // 死)」のような、漢字音の鼻音韻尾に後接するという条件下での清 // 音の濁音化である。いずれも「鼻音+清音」が「(鼻音+)濁音」 // に変化する現象として捉えることができ、日本語において生産的な // 音韻現象であったのも同じ時期と考えられる。 // 一〇一 // [102) // ---------------------[End of Page 31]--------------------- // 肥爪 周二 // 三・ // 音便に伴う連声濁 // この現象は、現代語においても、五段活用動詞の連用形に、 // 「て」・助動詞「た」が接続した場合に、規則的に現れる。 // 書きて〉書いて // 継ぎて〉継いで // 立ちて〉立って // 死にてV死んで // 買ひて〉買うて // 呼びて〉呼んで // 読みて〉読んで // 取りて〉取って // (買つて) // (呼うで) // (読うで) // 助詞 // 一見して明らかなように、音便拍が濁音あるいは鼻音行(マ行・ // ナ行音)に由来するときに、後続の「て」「た」が濁音化する、同 // じようにイ音便であっても、「書いて」は濁らず、「継いで」は濁 // る、というその違いは、まさに来源の清濁に対応している。これ // は、この現象(連声濁)が生産的であった時期に、日本語の濁音に // は前鼻音が伴われており、それが濁音を特徴づける重要な要素で // あったからである。だからこそ、「鼻音+清音」は、ほぼ規則的に // 「(鼻音+)濁音」に転じたと考えられるのである。イ音便・ウ音便 // は、現代共通語ではいずれも鼻音性を欠いているが、濁音・鼻音行 // 一〇二 // に由来するイ音便・ウ音便は、古くは「つぎて〉ついで ㎝ // 冒己o]」、「よみてVようでロo&①]」のように、鼻音性を帯びて // いた(鼻母音であった)。 // 上記の五段活用動詞の音便以外でも、「あきびとVあきうど(商 // 人)」「いかにか〉いかが」「ふみて(文手)〉ふで(筆)」「わらぐつ // 〉わらうつ(藁靴)」「かみつけ(上つ毛)〉かうづけ(上野)」のよ // うな語彙にその例を拾うことができる。いずれの場合も、音便拍が // 濁音あるいは鼻音行に由来するという点で一貫している。しかし、 // 動詞の音便形とは異なり、これらの語の場合は散発的に生じた音便 // であり、体系性を利用して原形に復することが不可能であるため、 // 音便および連声濁によって語構成が不透明になるという性質があ // る。 // この音便に伴う濁音化には、ハ行音のバ行音化の例もある。 // かがふる〉かぶる・かうぶる // かぐはし〉かうばし // おもほす〉おぼす // ときには〉ときんば // たまふ〉たぶ・たうぶ // のたまはく〉のたばく・のたうばく // ?くぐひVくび // ---------------------[End of Page 32]--------------------- // 匳匪 、 // ぎFし // ハ行音の濁音化が関与してくるのは、いずれも散発的に起きた音 // 便現象であり、やはり語構成が不透明になっているという共通性が // ある。 // この音便に伴う濁音化現象は、現代語においても、五段動詞の連 // 用形に「て」「た」が接続して音便形をとる場合、動詞に「つん // (〈つみ)」「ふん(〈ふみ)」等、撥音で終わる接頭辞がつく場合な // ど、ある程度は生産性をもっているように見える。しかし、あくま // で、それは過去の音韻現象が特定の語群に残した痕跡に過ぎないの // であり、もはや現代語では「鼻音+清音」が「(鼻音+)濁音」に // 規則的に転じることはない。現代語では、「あなた〉あんた」「き // みのところVきみんところ」「まけぬき〉まけんき」「しらぬふり // 〉しらんぷり」のように、音便によって生じた鼻音が、後続の音 // を濁音化しないのが原則なのである。 // 三・二 鼻音韻尾に伴う連声濁 // ここでは、漢字音の鼻音韻尾が後続の清音を濁音化する現象(新 // 濁)を扱う。漢字音の鼻音韻尾は、日本漢字音で「〜ン」「〜ム」 // で現れるほか、喉内鼻音韻尾めは「〜ウ」「〜イ」で現れる。喉内 // 鼻音韻尾に由来する「〜ウ」「〜イ」は、母音韻尾-⊆・亠に由来す // る「〜ウ」「〜イ」とは異なり、かつては鼻音性を有していた(鼻 // 母音であった)ので、やはり後続の清音を濁音化する力を持ってい // 「ハ行子音をめぐる四種の「有声化」」 // たのである。この濁音化規則は、字音の熟語のみではなく、 // 詞「す」を後続ぎせるときにも適用される。 // ヘン+ケ↓ヘンゲ(変化) // サム+ヒヤク↓サムビヤク(三百) // ワウ+シ↓ワウジ(皇子) // コウ+ホフ↓コウボブ(弘法) // カム+す↓カム(感)引 // シヤウ+す↓シヤウ(生)ず // メイ+す↓メイ(命)引 // サ変動 // しかし、和語の立日便によって生じた鼻音が、ほぼ規則的に後続の // 音を濁音化させたのに対し、この漢字立日の鼻音韻尾による濁音化 // は、それほど絶対的なものではなかったようである。『日葡辞書』 // に「安心(アンジン)」「根本(コンボン)」「空中(クウヂウ)」「養子 // (ヤウジ)」「晴天(セイデン)」のような、現在では濁らなくなってい // る語例がかなり見られるところから、さらに時代が遡れば、鼻音韻 // 尾に後続するという条件下では、規則的にこの濁音化が起こってい // たと推定されることもあるのだが、現実には、そのような証拠は存 // 在しない。加えて、呉音系字音に比べて、漢音系字音では連声濁が // ハ ソ // 起こりにくかったという指摘もある。そもそも、呉音系字音にせよ // 漢音系字音にせよ、日常的に使われる語もあれば、書物の上で観念 // 的に学ばれる語もあって当然であるので・連声濁という日本語的な… // 一〇三 // ---------------------[End of Page 33]--------------------- // 肥爪 周二 // 音変化が、すべての字音語に及ぶわけはないのである。 // しかし、鼻音韻尾による濁音化が、かなり広範に見られたという // のは事実である。そして、時代とともにこの濁音化が抑制されて // いったのは、冂本語の濁音の弁別特徴が、鼻音性から有声性へと移 // 行していったからと説明されることになろう。 // 四・○ 連濁 // ここでいう連濁とは、「ひし+かた↓ひしがた」「こ+さる↓こざ // る」「かみ+たな↓かみだな」「むぎ+はたけ↓むぎばたけ」のよう // に、主に後項が和語である複合語において、後項の初頭の清子音が // 濁子音化する現象のことである。「キク(菊)」「トク(得)」「カルタ」 // 「カッパ」「キセル」などのような、字音語や外来語が後項である複 // 合語にもこの現象がおよぶことがある。ハ行音の場合、現代語にお // いて清子音と濁子音の対立が、\ミ"ミという形で現れ、単純な「無 // 声/有声」では捉えられない対応を示す。これは、日本語のハ行子 // 音が歴史的に大きく変化してきたことによるもので、連濁現象が起 // こった当時の(語頭の)ハ行子音は、\℃丶[℃]であったと推定できる。 // この連濁現象には、さまざまな不可解な点があるため、早くから // 多くの日本語話者や凵本語研究者の興味を引いてきた。すなわち、 // 同じような構成の複合語であっても、連濁を起こす場合と起こさな // い場合とがあるので、どのような条件下で連濁が起こるのか(起こ // らないのか)、という点を中心に、室町時代あたりから、さまざまな // 一〇四 // 考究が行われてきたのである、 // 連濁に関わる条件については多くの研究の蓄積があり、その多く // ハブ // は「連濁を妨げる条件」という方向からの整理である。現在までに // 提案されている諸条件は、広く受け入れられているものから、その // ような傾向があることすら疑わしいものまでさまざまであるが、そ // もそも例外が皆無である条件というのは一つも存在しない。以下、 // 本稿での論考に直接関わる条件に限定して概説しておく。 // 連濁を妨げる最も重要な規則は、「後項にあらかじめ濁音が含ま // れる場合には、連濁は起こらない」という、ライマンの法則と呼ば // り // れているものである。「はるかぜ」「ひとりたび」「すりきず」など // のように連濁を起こさない多くの語例があり、「おおとかげ」「うで // くらべ」のように、濁音が後項の三拍目以降にある場合にも適用さ // れる、かなり強力な規則である。しかし、「ふでばこ」「ながぐつ」 // 「ふじだな」のように、前項に濁音が含まれること自体は、連濁を // 妨げる条件にはならない。 // この規則は、小倉進平氏がライマン氏の論文を紹介したのをきっ // かけに広く知られるようになったため、現在でも「ライマンの法 // 則」と呼び慣わされている。しかし、この現象はライマン以前から // 知られていたものであって、賀茂真淵の『語意考』(一七六五成、一 // 七八九刊)や、本居宣長の『古事記伝』(一七六七年頃起稿、九八年完 // 成、一八二二年刊行終了)にも指摘が見られる。宣長は、以下のよう // // に述べている。 // [99] // ---------------------[End of Page 34]--------------------- // ツボキノタヨリ // 此を濁音によむは非なり。凡て連便によりて、下ノ言の頭 // を濁るは、常多けれども、其ノ言に濁音あれば、其ノ頭は必濁 // な ヒ ヂ ヂ // らざる例なり。此も比地の地濁音なれば、此は濁るまじき例な // るをや(巻三 宇比地邇神・須比地邇神の条) // さらにさかのぼって、ロドリゲス『日本大文典』(一六〇四〜一六 // 〇八)に、当時の日本人の間で「<鷲。・⊆∋o冨×冨巳αq。毎9×冨。・⊆ヨ。σ㊤ // <図。巳σqo≡(上清めば下濁る、下清めば上濁る)」という諺が行われてい // バリ // たことが指摘されている。「上清めば下濁る」 の例としては // 「人々」「国々」などを挙げ、「下清めば上濁る」については例が挙 // げられていない。詳細は不明なのであるが、これらが濁音が共存し // にくいことを述べているのならば、ライマンの法則を含んでいる可 // 能性があり、この連濁を妨げる条件は室町時代にはすでに知られて // いたのかもしれない。 // 現在、ライマンの法則は、「(和語の)単純語中に濁音が共存しな // い」という音韻規則の下位規則に位置づけられている(「単純語」の // ハロ // 具体的規定には立ち入らないでおく)。「ふんじばる」(これは連濁ではな // く連声濁の例)など、若干の例外はあるものの、ほとんど異例のな // い強力な規則として、日本語の音韻規則の中でも重要なものであ // る。 // また、「おお+かさたて(9おおがさ)」「めす+しまうま(9めす // ざる)」のように、後項があらかじめ複合語である、【≧U⇔Ω』型の複 // ハロの // 合語の場合には連濁が起こりにくいというのも重要である。これに // 「ハ行子音をめぐる四種の「有声化」」 // は「おおぶろしき」「みみどしま」「なわばしご」のような例外もあ // る。 // また、「山と川」の時は「やまかは」(「山の川」の時は「やまが // は」)、「尾とひれ」の時は「尾ひれ」(「尾のひれ」の時は「おびれ」) // というように、前項と後項とが同格関係にある場合には連濁が起こ // らないという規則があり、これはほとんど例外がない。「五人囃子 // の笛太鼓(ふえだいこ)」のようなものはきわめて異例である。 // また、「窓ふき/水ぶき」「爪きり/微塵ぎり」「跡とり/先どり」 // のように、前項が後項に対して目的語相当の場合と、そうではない // 場合とで、「非連濁/連濁」が分かれることがあるのも注意しなけ // ればならない。「瀬ぶみ」「人ごろし」「出足ばらい」など、この条 // 件には例外がかなり多いのではあるが、この条件に大きく依拠して // いる連濁の起源説もあるので、連濁の起源について論じる際には、 // 何らかの言及が必要であろう。 // この他にも、さまざまな条件が提案されているが、多かれ少なか // れ例外が存在し、各研究者の立場によって、その例外を無視したり // 重視したりしているというのが現状である。そして、それもやむを // 得ないと思われるほど、現実の連濁・非連濁の現れ方は気まぐれ // で、時代差.方言差・個人差(ときに個人においてすらゆれる)が存 // 在し、そこから絶対的な規則を見いだすのは困難なのである。 // …〇五 // [981 // ---------------------[End of Page 35]--------------------- // 肥爪 周二 // 四・ // 連濁の起源(山田説) // 連濁現象の起源についての音声学的説明としては、山田孝雄氏に // ロ // よるものが早い。山田氏は連濁現象を同化現象の一種とみなし、母 // 音間において無声子音が有声化したものとする解釈を提出してい // る。つまり、音声の側から見ると、調音のゆるみによって無声子音 // が有声化し、機能の側から見ると、その有声化によって語構成的に // 前後が一体であることを標示する、という解釈である。 // この山田氏の同化説は、概説書の類では同様の説明を採用してい // るものもあるけれど、その後の連濁現象の起源についての研究にお // いては、必ずしも受け入れられてはいない。おそらく、以下のよう // なものが主要な理由であろう。 // ①「有声化」の起こる位置の不自然さ // 2立日節+2音節の複合語、「∩一く・∩N<十∩鴇く・∩轟く」の場合を考 // えてみよう。n音化現象の場合、ρおよびρが有声化しやすく、Q // の有声化はぞんざいな発音において現れるものであった。ハ行転呼 // 現象の場合、無声子音が有声化するのは、ρおよびρのみであり、 // ρが有声化するとすれば、それはこの複合語の語構成が完全に忘 // れられ、全体が一体として発音されるときと考えられる。連濁を、 // 調音のゆるみによる同化現象として捉える場合、基本的にはH音化 // やハ行転呼現象と同様の振る舞いをするはずである。つまり、連濁 // が起こる位置(○)は、複合語の各要素の内部の子音(ρおよびρ) // 一〇六 // よりも相対的に有声化しにくい、有声化するとすれば、各要素の内 // 部の子音よりも後となる位置であるはずなのである。 // この連濁の起こる位置の不自然さに対して、連濁現象を母音間に // おける無声子音の有声化であるという前提によりつつ、山口佳紀氏 // バ // は以下のような説明を与えた。 // 語頭以外の無声子音がやたらに有声化してしまうと、大きな混 // 乱が生じる。たとえば、カス(滓)に有声化が起こってスが濁 // 音化してしまうと、カズ(数)との区別がつかなくなるといっ // たことが生じるからである。 // ところが、語頭に濁音が立たない状態においては、トリ // (鳥)に対立するドリの形をもった語はあり得ないから、ヤマ // (山)+トリ(鳥)がヤマドリになっても、混乱は生じない。そ // こには、有声化を抑止する条件がない。すなわち、連濁は、日 // 本語に存する語頭以外の無声子音の有声化という傾向を利用し // て、複合標示機能を果たさせたものと解せられる。 // 確かに、結果の側から見ればその通りであって、連濁現象によっ // て、語の意味の区別に混乱が生じることはほとんどない。しかし、 // 「ワ行音はもともと語頭以外に現れることが少なかったため、ハ行 // 転呼現象が生じることによって語の区別に混乱が生じることがほと // んどなかった」という事実が、ハ行転呼現象を受け入れる側の問題 // であるのと同様に、「後項の初頭は、濁音化しても語の意味の区別 // (97] // ---------------------[End of Page 36]--------------------- // に混乱は生じない」という事実も、変化を受け入れる側の問題に過 // ぎず、変化を引き起こしたり誘導したりする力はないと考える。語 // のまとまりを標示する同化現象という前提と、後項の初頭のみを有 // 声化させるという結果の形とは、かなり隔たりのあるものと言わざ // るを得ない。例えば、「サト+ヒト」に由来する「サトビト」とい // う音形は、アクセントなどの助けがなければ「サ/トビ/ト」とい // う語構成であるという誤解を招きかねない形式なのである。連濁を // させずに複合語を構成するという選択肢も存在しているのに、な // ぜ、わざわざ語構成を誤解させることになりかねない、中途半端な // 有声化を起こしたのかが、同化説では十分に説明できないであろ // う。連濁の起源についての説は、この「有声化」の位置の不自然さ // を説明できるものであるべきである。 // ②古代語の濁音の音価の問題 // すでに言及したように、日本語の濁音が、ある時期には前鼻音を // 伴うものであったというのはまず動かない事実である。そして、そ // の時期の清濁は「非鼻音/鼻音」で対立していた蓋然性が高い。こ // の状態を連濁現象の発生時期まで遡らせることができるかどうかは // めり // 現在のところ不明である。しかし、清濁の弁別的特徴が、「無声/ // 有声」↓「非鼻音/鼻音」↓「無声/有声」というような歴史的変 // 化を経たと解するよりは、単に「非鼻音/鼻音」↓「無声/有声」 // という歴史的変化を想定する方がシンプルである。そもそも「非鼻 // 音/鼻音」という状態以前に「無声/有声」という状態があったこ // 「ハ行子音をめぐる四種の「有声化」」 // ハ り // とを裏付ける、直接的な証拠は存在しない。むしろ、「連濁の起 // 源」や「濁音の発生」を説明するために、清濁の対立を「無声/有 // 声」と想定している節さえある。 // ③ライマンの法則との関係 // ライマンの法則は、同一要素の隣接(あるいは近接)による発音 // 上の生理的負担を避けるための「異化現象」として説明されること // が多い。しかし、「おおとかげ」「うでくらべ」のように、後項の三 // 拍目以降に濁音がある場合にも適用される一方で、「ふでばこ」「な // がぐつ」「ふじだな」のように、前項が濁音で終わっている場合に // は適用されないという点が問題になってくる。この事実に対して // は、この異化現象が複合語内部の境界でブロックされると説明され // ることになろう。しかし、この強固なブロックと「調音のゆるみに // より、前項と後項を一体化させる同化現象」として連濁を捉える前 // 提とは、はたして調和するのであろうか?言語現象としてのリアル // さを欠いた説明という印象は拭いがたい。 // ④濁音の分布制限および機能の問題 // ライマンの法則は、「単純語中に濁音が共存しない」という、よ // り抽象度の高い規則にまとめることができた。一方で、日本語の濁 // 音が、アクセントに似た機能・性質を持っていることが亀井孝氏に // よって指摘されて以来、さまざまな角度から、濁音のプロソディッ // ハロリ // クな性質が考察されてきた。そして、この二つの研究の流れは、濁 // 〇七 // [96] // ---------------------[End of Page 37]--------------------- // 肥爪 周二 // ハおり // 音が「卓立」…機能を持つという方向で統合されることになる。こう // した濁音研究の流れの中で、濁音は「(濁子音11)有声阻害音」と単 // 純に括れる以上の特別な性質を持つものであるとの発想が、主に国 // 語学者の間に広がっていったのである。 // 連濁の起源を同化説によって説明する場合、連濁現象と従来指摘 // されてきた日本語の濁音の特質とは、どのように有機的に関連づけ // られるのであろうか。 // ⑤説明困難な非連濁形の存在 // 既述したように、同化説では、「窓ふき/水ぶき」「爪きり/微塵 // ぎり」のような、語構成により非連濁・連濁の相違が出てくるケー // スに対する説明がしにくい。また、「もち+て」「あか+き」「いひ // +つる」のような、結合度が十分に高いと考えられるのにもかかわ // らず、連濁を起こさないケースもある。特に係助詞「は」は、連濁 // を起こさなかった一方で、後世にはハ行転呼することになる。この // 違いが生じた理由を同化説で説明することが可能であろうか。 // 四・二 連濁の起源(異説) // 連濁の起源については、山田説とは異なる解釈も提出されてい // る。以下に紹介する解釈は、必ずしも、如上の研究の流れの末に出 // てきたわけではないが、現実の多くの言語に通じている研究者に // とっては、母音間の無声子音の有声化という素朴な説明は、直感的 // に受け入れがたいものであったのであろう。 // 一〇八 // ゆ // 一つは、ライマンによって提出された解釈である。ライマンは、 // 有声音が消失した時には必ず連濁が生じると説明した。具体的に消 // 失した有声音としては、「n」、助詞「の」、助詞「に」、否定の助動 // 詞「ん」、助詞「で」を挙げている.具体的な語例が挙げられてい // ないので推定によるが、前節で扱った連声濁に相当すると思われる // ものを除外すると、連濁が、助詞「の」「に」「で」の消失に伴って // 生じることがあると解釈していることになろう。 // これとは別に、村山七郎氏は、タガログ語の一一σqきおと結びつけ // ハぬ // て、連濁を起こす連辞ぎを想定した..この村山説とライマン説と // を受け継ぐ形で、平野尊識氏は、日本語の複合語の連濁規則と語構 // 成との関係を丹念に整理し、タガログ語の=σ・pεおとも対照しつ // ハコね // つ、日本語に=αq㊤8∋。(連濁素)ぎ〜dを想定した。日本語の起源 // (あるいは形成)に関わる比較研究は、本稿の枠を大きく越えるの // で、ここでは、平野氏が一一αqp8ヨ。を導き出す前作業として行った、 // 日本語の連濁現象について整理した部分のみを取り上げる。 // 平野氏は、連濁の起こる条件と起こらない条件を、内部構造にお // いて、前項と後項との間に介在させる事のできる要素の違いに求め // る口旦ハ体的には、 // 起こらない条件∵。、宀。、み・ // 起こる条件∵コ。、良、-α。〈皀8 // [95亅 // ---------------------[End of Page 38]--------------------- // のように整理した。近年、ライマン〜平野説を積極的に再評価し // らじ // ている、高山倫明氏の論考に従って簡略に示すと次のようになる。 // く。そして、何よりも、連濁の起こる位置の不自然さに対して、 // 確な説明が可能になるのである。 // 明 // ヤマ宀♀カワ↓ヤマカワ // アトー≦♀トル↓アトトリ // ワラー≦Oーフク↓ワラフキ // /// // ヤマ出㌣カワ↓ヤマガワ // サキ良-トル↓サキドリ // ワラ良串フク↓ワラブキ // つまり、本節で扱っている「連濁」も、前節で扱った「連声濁」 // と同様に、鼻音の関与した濁音化現象として捉えることになるので // ある。 // これらの説(以下一括してライマン説と呼んでおく)には優れた点が // いくつかある。 // まず、「連濁/非連濁」の差を、規則的な音声現象に還元できる // ことがある。平野氏も、複合語の形成において、現実レベルで // 「を」「と」「て」の脱落を想定しているわけではないようであるし、 // 単純に二つの名詞を並べるだけで複合語を形成することもあったと // 考えるのが、諸言語の例から考えても穏当であろう(ただし、その // 場合には連濁を起こさないと考えなければならない)。すると、「の」で // 結びつけることができるような関係であっても、遡源形に「の」相 // 当のものがあれば連濁、なければ非連濁と説明すればよくなるの // で、連濁を決して任意の現象ではないものとして捉えられるように // なる。また、語構成の違いによって「連濁/非連濁」の差が現れる // こと(熟合度の差とは考えにくいものもあった)にも合理的な説明がつ // 「ハ行子音をめぐる四種の「有声化」」 // ここで、このライマン説の問題点についても整理しておこう。 // まず、前項と後項の間に、助詞「の乙」を想定することになる複 // 合語について言及しておく。しばしば指摘されることであるが、古 // 代語において、助詞「の乙」はかなり柔軟な運用が許されるもので // ハ // あった。「会はむ日の形見(11次二会ウ日マデノ形見)(万葉集・三七五 // 三)」「すざく院の行がう(11朱雀院ヘノ行幸)(源氏物語・若紫)」「む // かしのちかきゆかり(11普カラノ近イ縁)(同・夕霧)」「あなたの御せ // うそこかよふ程(1ーアチラH刀御消息ガ通ウ問)(同・夕霧)」のよう // に、現代語ならば格助詞と組み合わせて用いるのが自然である(少 // なくともその方が親切である)場合にも、直接「の乙」のみで連結 // し、格関係そのものの理解は、文脈や常識にゆだねられることが珍 // しくない。「露の命(万葉集・三九三三)」のような比喩用法も盛んで // あった。つまり、後項が名詞であれば、前項と後項が同格以外の関 // 係にあるほとんどの場合に、「の乙」を想定することができそうな // のである。連濁するかしないかを、遡源形での助詞「の乙」の有無 // に求める場合、恣意的にその存在を想定できることになり、学説と // しての面白みはやや減じてしまう。 // 一方、このライマン説が最も有効に機能するのは、「あととり/ // さきどり」「まどふき/みずぶき」「いしけり/あしげり」のよう // に、前項が名詞、後項が他動詞の連用名詞形のときであった。後項 関 // 一〇九 // ---------------------[End of Page 39]--------------------- // 肥爪 周二 // に対し、前項が目的語に相当するときには連濁が起こらず、「に」 // 「にて(〉で)」で表示されるような関係に相当するときには連濁が // 起こるという傾向が、たしかに存在するのである。通常、この現象 // については、「熟合度」の問題として説明されることが多いようで // あるが、それならば、統語論の側からの何らかの裏付けが必要であ // ろう。 // ただし、この現象に対しては別の解釈も可能である。例えば、 // 「あととり」は「あと+とる」のような動詞句全体が名詞化した // ハコリ // 形であり、「さきどり」は「さき」と連用名詞形「とり」との複合 // ハれり // 形であるとも解釈できるのではないだろうか。つまり、「目的語+ // 他動詞」「主語+非対格自動詞」のような内項による動詞句の場合 // は、全体としての名詞化が可能であったと仮定して、この問題を考 // えてゆくのである。もし、「あめふり/土砂ぶり」「ふだつき/社長 // づき」のような「非連濁/連濁」の対応関係が、「主語+非対格自 // 動詞」の方にも想定することが許されるのであれば(実際には異例 // が多いのであるが)、この考え方が成り立つ蓋然性も高くなるであろ // う。そして、「酒づくり」「人ごろし」「出足ばらい」のように、後 // 項が三拍語である場合に、むしろ連濁が起こりやすい事実に対して // も、従来とは異なる説明が可能になってくる。すなわち、これらは // 「酒つくる」のような動詞句が名詞化した形に由来するものではな // く、「酒」のような名詞と「つくり」のような連用名詞形との複合 // 形と解釈することになり、そのような形が選ばれるのは、動詞の長 // さが制約となって、動詞句全体としての名詞化がしにくくなるか // 一一〇 // ら、あるいは、二拍動詞に比べて、三拍動詞の連用名詞形は語とし // ての自立性が高いから、と説明すればよいことになる。 // このように解釈すると、連濁を起こす場合の前項と後項との間に // 想定すべきものは、「に」「にて(〉で)」ではなく、「の乙」という // ことになる。すると、ライマン説はいずれも「の乙」の脱落という // シンプルな形に整理し直すことができるし(そもそも「にて」から格 // 助詞「で」が発達するのは平安中期以降と考えられ、それ以前には簡単に // は脱落しそうになかった)、従来は例外とされてきた「命ごい」「酒づ // くり」「人ごろし」のようなものも、前項と後項との問に「の乙」 // を想定することになるので、例外ではなくなる。 // いずれにしても、現代語のみによる考察では十分に明らかにしが // たい面があるので、古代語にさかのぼって、以上の問題を慎重に検 // 討してゆく必要があろう。なお、右で述べているのは、あくまで原 // 理の成立についてのみであり、現実の個々の語がすべて以上のよう // な経緯で成立したということを主張しているわけではない。 // さて、ライマンの連濁の起源説の大きな問題点は、いわゆるライ // マンの法則を十分には説明できないという点である(異化説によっ // て説明せざるを得なくなる)。 // ところで、「おお+かさたて(9おおがさ)」「めす+しまうま(9 // めすざる)」のように、複合語の後項がすでに複合語である場合に // 連濁を起こしにくいということは、しばしば指摘されることであっ // た(例外も多い)。そして、本居宣長が『漢字三音考』(一七八五刊) // [93] // 尊- // ---------------------[End of Page 40]--------------------- // 凱『顱贋 // 」!.ご // ハぎ ぎ // で示唆し、ライマンも同様の見解を提出している、「日本語には本 // 来は濁音が存在せず、後赴の濁音はいずれも連濁によって生じたも // のである」という可能性とを合わせ考えるとき、自ずとライマンの // 法則に対する一つの解釈が浮かび上がってくる。すなわち、後項に // 濁立日が含まれるときに連濁が起こらないのは、後項がすでに複合語 // であるからであり、前項に濁音が含まれること自体が連濁の妨げに // はならないのは、前項が複合語であることは連濁を妨げる条件には // ならないからであるという解釈である。高山倫明氏も、「ライマン // の法則も、後部の濁音の存在よりも、本来【〉冖じu∩ヒのような語構成 // が関与的であった可能性もあろう」と、その可能性を示唆してい // の // る。ライマンの法則を異化現象の一種とする説明に疑問がある以 // 上、これはかなり魅力的な解釈の方向性である。 // しかし、一般論として、関係を標示する形態素を介在させる形と // 介在させない形の複合形式が併存しているとき、階層が下の結合部 // に形態素を介在させる一方で、より階層が上の結合部に介在を許容 // しないというのは、あまり自然なあり方ではないように思われる。 // [茨城[経済研究所]] // [[茨城経済]研究所] // 茨城の経済研究所〜茨城の経済の研究所 // *茨城経済の研究所 // 茨城経済の研究所〜茨城の経済の研究所 // ?茨城の経済研究所 // 連濁は、語の熟合を標示するのみで、関係までは標示していない // 「ハ行子音をめぐる四種の「有声化」L // と考えざるをえないのではないだろうか。ライマン説に依拠する場 // 今には、このことに対して、何らかの説明が必要になるであろう。 // 以上のライマン説に対するもう一つの説は、村山七郎氏が「連濁 // を起こす連辞ぎ」説を出す以前に提唱していた解釈である(以 // ハみ // 下、旧村山説)。村山氏自身は方向転換したが、一つの解釈可能性と // して、依然として有効性は保たれていると思われる。 // 村山氏は、「かしこ・き」「もち・て」など、結合が緊密であるに // もかかわらず連濁の起こらない語が存在することを根拠に同化説を // 疑い、連声濁が連濁よりも新しい音韻現象であるとの見通しから、 // ライマン説にも疑義を呈した。そして、「ぐつ」「ごゑ」などの連濁 // 形は、「くつ」「こゑ」の派生形ではなく本来の形であるとし、その // 本来の形が複合語内では保存され、語頭においては子音の無声化を // 被って「くつ」「こゑ」に転じたとする仮説を唱えたのである。こ // の仮説は、朝鮮語・満州文語・ツングース語・蒙古語との比較研究 // から導かれたものである。(比較研究の部分は、村山氏自身が撤回して // いる以上、考慮する必要はないであろう)。 // この旧村山説は、まさしく逆転の発想であり、連濁・非連濁の差 // が生じる理由を、遡源形の違いに帰すことができる点がきわめて合 // 理的である。「あととり/さきどり」のように、語構成により非連 // 濁・連濁の違いが出てくる現象についても、本稿で提出したライマ // ン説に対する修正案の、複合語形成過程の部分を応用すれば問題は // なくなる。これといった反論の思い浮かばない、同時に検討自体が 閲 // 一 // ---------------------[End of Page 41]--------------------- // 肥爪 周二 // 困難な連濁の起源説である。 // 以上のライマン説も旧村山説も、連濁の起源を、純粋な音声現象 // に還元しようという姿勢で一致している。いずれも、連濁の起こる // 位置の不自然さを合理的に説明すると同時に、連濁を起こす語と起 // こさない語があるのも必然的な現象として解釈してゆくのである。 // このような方向性こそが、正統な言語学の発想なのであろう。 // 自律分節理論による連濁現象の分析など、この他にも興味深い研 // 究があるが、連濁の起源についての考察とは別次元のものなので、 // 本稿では省略することにする。 // 四・三 連濁の起源(試解) // 以上紹介した連濁の起源説は、いずれも連濁の起源を音声現象と // して説明しようとした点で一致しており、言語学的説明としては妥 // 当な方向性を持っていると言えよう。しかし、同化説は連濁の起こ // る位置の不自然さを説明するのが困難であるという欠点があり、ラ // イマン説も説明ができない事柄がかなり残されている。ライマン説 // が最も効果を発揮する、「あととり/さきどり」のように語構成に // より「非連濁/連濁」の差が現れる現象も、本稿の立場では、必ず // しも他の起源説に対する優位を意味しない。旧村山説は、明らかな // 欠点はないものの、「濁音」の性質に関する従来の研究の蓄積と調 // 和しにくい面があるので、簡単には賛同を得られそうにない。一 // 一一二 // 方、濁音(にごり)をプロソディの一種と割り切ってしまえば多く // の問題を回避できるものの、諸言語に類例が指摘しがたい以上、有 // 声性なり鼻音性なりがプロソディックな振る舞いをするに至る経緯 // について、言語学的に普遍性のある説明が欲しいところである。 // いずれにしても、連濁の起源についての考察は、文献によって確 // 認できる日本語(古代語の連濁現象は、現代語のそれと大きな違いはな // い)よりも前にさかのぼって、推定によって行わざるを得ない点に // 困難があるのである。 // もし、ライマン説・旧村山説のように奔放な推定が許されるなら // ば、連濁の起源には、もう少し別の考え方も可能になってくる。 // すでに紹介したように、本居宣長は『漢字三音考』において、 // 「凵本語にはもともと濁音が存在せず、後世の濁音はいずれも連濁 // によって生じたものである」という可能性を示唆した。具体的に // は、以下のように述べている。 // ハジメ // 一音ノ言二濁ル例ナク。又二音三音ヲ合セタル言ニモ。首ヲ濁 // ル例ナシ。凡テ濁ハタ.・其中下ニノミアリ。然ルニ上へ他ノ言 // ヲ連ネテ合セ云フトキハ。首ヲモ濁ル事多シ。月ヲモ望月ナド // ト云トキハ。ヅヲ濁リ。川ヲモ谷川ナドト云トキハ。カヲ濁ル // ガ如シ。此例ヲ以見レバ.一言ノウチノ中下二濁アル者モ.其 // 本ハニ言ノ連合セルモノナラムカ。其意得ヤスキ者ヲ一ッニッ // オヂオバ ヤノキ マド // 例ニイハバ。祖父祖母ハ大父大母ノ義。柳ハ箭之木。憲ハ間 // rgl] // ---------------------[End of Page 42]--------------------- // ソ デ フミデ フ イタ // 戸。袖ハ衣手。筆ハ文手。札ハ文板ニテ。皆二言ノ一言ニナレ // ルニテ。濁音ハ何レモ厘聲ノ便也。然レベ此除ノ。義ノ知ガタ // キ言ノ濁音モ。皆此類ナルベキカ。サレドコレハ決メテハイヒ // ガタシ。 // 連濁によるものと連声濁によるものが混在しているが、ここに挙 // げられている例そのものは、おおむね妥当なものである。宣長と同 // 様の見解はライマンにも見られた。その後も、国語学者・言語学者 // を問わず、「古代語では清濁の区別が曖昧であった」「清濁の対立は // 音声的対立から音韻的対立へと歴史的に発展した」「清濁の対立は // プロソディから狭義の音韻へと変化した」など、宣長の示唆と通じ // る部分を持つ説明が繰り返されることになる。近年では、大槻信氏 // により、「一次的濁音(連濁・連声濁によらない濁音)」の一次性を疑 // 論が提出されてい翫.確かに・連濁のような現象が存在すること // 自体が、清濁の音韻的対立を疑わせる事実であった。つまり、清濁 // の対立そのものの存在と連濁現象とは、密接に関わるものと考えら // れるべきなのである。 // 以下、文献以前の日本語に清濁の音韻的対立が存在しなかったと // いう前提で、連濁現象の起源を考察してみよう。同様の立場からの // // 解釈は、浜田敦氏にも見られたが、清濁分化の原理についての説明 // が不十分であったので、これを補正する形で考えてゆくことにな // る。 // 「ハ行子音をめぐる四種の「有声化」L // 清濁の対立がない、すなわち阻害音のグループに無声・有声の対 // 立が存在しなかったとするレ一、朝鮮語・現代北京官話・アイヌ語な // ど、この対立を持たない多くの言語で見られるように、語頭では無 // 声音、それ以外では有声音(任意ではなく必須であったと仮に考えてお // く)という異音分布をなしていた蓋然性が高い。例えば、「かたち」 // \閃碧魯\は[冨α巴二、「かは」涛巷ミは[冨げ彑のように発音されること // になる。複合語の場合なら、「小川」\≦o冨℃ミ冨oσq㊤σ彑、「若葉」 // \≦奨巷ミ[蓁αq㊤σ彑のように発音される。この有声化によって、語と // してのまとまりが標示されることになるが、この形のままでは、実 // 際の連濁形と結びつかないのは明らかである。 // ところで「小川」の場合、「を」と「かは」の問に意味の切れ目 // が存在することを意識して発音するならば、「か」の子音を有声化 // させずに写o-冨σ彑のように発音する可能性もあろう。しかし、こ // の「非有声化」による境界標示は、同格関係・後項が複合語である // などのケースを除き、原則として複合語内部の境界標示には適用さ // れなかったと考えておこう。それでは、有声音のまま(結合してい // ることを標示したまま)、前項と後項との間の意味の境界を音声的に // 標示するには、どのような手段があるだろうか。 // 一つの方法として、子音の強弱(具体的には閉鎖の強弱・長短)に // よって、語構成を音声的に標示するという可能性がある。「を+か // は」を例にすると、「か」の子音の閉鎖は強く、「は」の子音の閉鎖 // は弱く(場合によっては摩擦音化して)実現することになる。話者に // とっても聞き手にとっても意識しにくい差ではあっても、語構成の // 一一三 // [90亅 // ---------------------[End of Page 43]--------------------- // 肥爪 周二 // 知覚にこのような微妙な音声的差違が利用されることは、 // 話ではしばしばあることである。 // 「強閉鎖 // 【≦o-αq㊤9] // 「弱閉鎖 // 「強閉鎖 // 冨ゆαq㌣げ彑 // 「1弱閉鎖 // 現実の会 // 右のように、閉鎖の強弱による音声的な差違によって語構成を標 // 示するというのが、一つの手段として考えられた。そして、この音 // 声的差違がより明瞭になるように発音しようとするならば、強閉鎖 // を維持しつつ声帯振動を十分に保つために、軟口蓋と咽頭後壁との // 閉鎖をゆるめて、鼻腔に呼気の.一部を逃がし、声道内の気圧を下げ // ることが考えられる(圧ぬき)。すると、強閉鎖の子音の前に鼻音 // 要素が発生することになる(冨Ooq呂9=蓁α。習彑)。この「圧ぬき」の // ための前鼻音の発達は、諸言語に見られる現象であるけれども、閉 // 音節が存在せず、音節末に鼻子音が立たない口本語であったからこ // そ、この前鼻音が弁別的要素として音韻の区別へと発達しやすかっ // たのであろう。 // 以上をまとめると、語を一体のものとして発音しようとする「有 // 声化」と、複合語内部の境界を標示するための「閉鎖の強調」とい // う、相反する動因が、前鼻音の発達を促したと考えられることにな // る。そして、この閉鎖の強弱に由来する音声的差違が、前鼻音によ // る弁別の発達につれて音韻の別として意識されるようになり、さら // 一四 // に時代が下って、語頭濁音の発達および撥音の発達に並行する形 // で、より普遍性の高い「無声/有声」の対立へと転換していったの // であると考えるのである。あえて極端な要約をするならば、連濁 // は、語と語との結合そのものを標示するための現象というよりも、 // すでに結A口している語の内部構造を標示するために発達した現象で // あるということになる。 // 以上のように解釈するならば、ライマンの法則、すなわち「後項 // に濁音が含まれる場合には連濁が起こらない」という規則が存在す // る理由は、以下のように説明されることになる。 // すでに見たように、数ある連濁規則の中に、「後項がすでに複合 // 語である場合には連濁を起こしにくい」というものがあった。例え // ば、「おお+かさたて(大きな傘立て)」「もん+しろちょう(紋のあ // る白い蝶)」などは連濁を起こさない。もし連濁を起こして「おお // がさたて」「もんじうちょう」となったならば、語構成が「おおが // さ+たて(大きな傘を立てる器具?)」