#author("2020-09-09T20:48:16+09:00","default:kuzan","kuzan")
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言語心理学 (言語) 言語は単なる作物(ギリシャergon)ではなく、精神の活動(ギリシャenergeia)であると言われる。この精神の活動の研究が心理学的であるのは当然であると言わなければならない。そこで言語という精神的、文化的作物を作物として取り扱うものが言語学であり、作物をそれが作られる活動の面から見るのが心理学的言語学であり、その作る活動そのものを対象とする学問が言語心理学であると言うことができる。もっとも、これは科学方法論上の区別であって、現実には後の二者はまだ十分に分化しておらず、通例、両者を合して言語心理学と名づけている。この意味で古来の言語観には言語心理学的な考察が多分に含まれている。そのことは、特に言語の本質を感情の表出に求めたヴィコ(G. B. Vico 1668-1743)、それを感覚と反省との総合に求めたヘルデル (J. Herder1744-1803)、個体精神と客観精神との総合に求めたフンボルト(別項)らにおいてはっきりと認められる。しかし、真に心理学的言語解釈が意識的に行われたのは、かのラツァルス(M. Lazarus 1824-1903)およびシュタインタール(H. Steinthal 1823-99)が『民族心理学及び言語学雑誌』 (一八六〇)を創刊してヘルバルト(J. F. Herbart 1776-1841)の心理学を言語研究に適用しようとした時に始まると言うことができる。この傾向の言語心理学は、例えばパウル(別項)の『言語史の諸原理』(一九〇一)に見られる。かれは心理学を言語学の基礎的学科と認め、心理学的解釈を大いに取り入れたが、しかし、かれは言語学は結局言語史であると考えていた。これに反してファン・ヒネケン(J. van Ginneken)の『心理学的言語学の原理』(一九〇七)は明らかに言語現象を少数の心理学的原理から説明しようとしたものである。ヴント(別項)はその『民族心理学』の第一巻および第二巻を『言語』(一九〇〇)と名づけたが、これは言語現象を感情表出の一種と見、語音・語義・構文等の成立および変遷を心理学的原理(連合・統覚等)から統一的に理解しようと努力したものであるが、その根底になったかれの心理学は、ヘルバルトのそれよりは一歩を進めていたとはいえ、決してみのり多いものではなかった。ソシュール(別項)はその『一般言語学講義』(↓言語学原論)において言語を杜会的事実と考えたが、しかし、それは個人の言語活動のうちにあるとしたものであるから、かれの立場はなお、きわめて心理学的であったと言うことができる。このように言語の社会性を認めながら、それを心理学的に説明しようとするのが、新しい言語心理学の傾向である。しかし、一方、純粋の言語社会学者も全然、心理学的要素を無視することはできなかった。【言語の機能】言語の機能を心理学的に見る時は通例、表出・報告(呼びかけ)および表現の三大機能に分けられる。表出とは、感情その他自分の気持を外に表わすことで、ダーウィン(Ch. R. Darwin 1809-82)やヴントはこれを言語の主要機能と考えた。報告(呼びかけ)というのは他人にその気持を伝えることで、ピエル・ジャネ(Pierre Janet 1859-1948)やマルティ(別項)の如きが、これを言語の原本的な機能と考えたものである。表現というのは代表とも記号とも象徴とも意味とも言われる機能である。古くは語は存在の代表であると考えられ、近世の観念論では観念の記号と考えられたのであるが、近ごろは行動解発のシグナルであるとも考えられるようになった。これが言語の意味と言われる。従来これら三機能中の一つを取り出して言語の本質を考える者が多かったが、漸次二つ(特に表出と報告)を取り上げる傾向が強くなり、最近では三者を統一的に考えるようになった。そのうち最も有名なのがビューラー(別項)の説であるが、これについては不幸にして誤解を生じやすい点が存する。ピューラーは、初めの三大機能を通告()・解発()・叙述()と名づけ、通告とは足を踏まれて「キャッ」というような感情を他人に通告する場合、解発とは「オーイ」と人を呼ぶような場合、表現とは事態を代表するものとした。ところが、のちに大著『言語理論』(↓ビューラー)中においては、通告を表出()と言い、解発を呼びかけ()と言い換,えた。内容は変っていないのであるから、彼の言う機能は、すべて言語の対人的機能と考えることができる。しかるに表出というのは通例は対人的関係とは考えられず、主体の方からだけで考えられる概念であると言うべきであろう。、ここで後にカインツ()のごときは言語の対話的機能として通告・解発・報告(これはビューラーの表現の対人性に当る)を数え、独語的機能として表出・内的提訴・思考の補助という三つを数えた。さらにカイソツはビューラーの表現機能は、実は言語の単なる機能ではなく、その本質であるとして、これを言語の記号性と呼び、これは対話的および独語的状況のいずれにおいても等しくその背後に存在するものと考えた。しかし、もっと簡単に、表出をもって話し手の気持を表わす機能、報告(呼びかけ)をもって対人関係を表わす機能、表現をもって記号と事態との関係を表わす機能、と考える方が便利だろう。

【言語の機能の心理学的意義】これら三つの機能の心理学的意義を取り扱うのが言語心理学の仕事であるが、その点を明らかにするため、次に具体的に説明しよう。ヴント(別項)は、その著『言語』において、次の諸問題を取り扱った。彼は、言語の根本機能を精神状態の表出としたから、その第一章を、まず表出運動の考察から開始し、第二章において身振語(別項)を解説した。第三章・第四章では語音の問題を説き、動物および児童の発声から出発して、音声言語における音韻変化の法則に及んでいる。第五章は語構成の問題であるが、その諸条件を明らかにするために、まず種々なる病理現象に触れ、次に読字・聴音等に関する実験を述べ、交章中における単語や語根の意義を考察し、語結合の例として畳語や複合語構成の問題を取り扱った。第二巻第六章は語形(品詞)の問題、第七章は構文の問題、第八章は意義変化の問題、第九章は言語起源の問題について、それぞれその心理学的意義を明らかにしようとしたのである。カインツの『言語の心理学』はこの領域における最も新しい体系的著述であるが、かれはその第一巻第一部において言語心理学の対象や方法の問題について述べた後、第二部では前にも述べたように言語の本質としての記号性について考察する。ここでは語や文と語義や思想との関係一般が取り扱われた。第三部は言語の機能に関する章で、まず上述のような三つの対話的機能と三つの独語的機能とが説明され、次に二次的機能として美的機能・倫理的機能、呪的神話的機能および論理的真理的機能という四つについて述べる。第四部は言語の成立および起源に関する考察である。第二巻の第一部では児童の言語、第二部でに原始人の言語、第三部では動物の言語、第四部では失語症における言語、第五部では精神病者における言語、第六部では夢・催眠状態・中毒状態・神がかり状態等における言語が取り扱われた。第七部の問題は身振語および、その他の信号についてであり、第八部の問題はピジン・イングリッシュ(↓混合語)や基礎英語(↓人工語)のような、いわゆる縮小言語についてであった。さらに最近の傾向として特に注目すべき現象は言語の行動主義的・機能主義的・応用的研究であって、りての代表としてはコルツィブスキー()の流れをくむS・I・ハヤカワの『思考と行動における言語』(一九四九)を挙げることができる。この著述のおもな目的は、言語が記号であって事態そのものでないこと、すなわち、地図が現地と一致しないために起る言語行為上の行き違いを、この事実を十分に理解することによって解消させようとするところにある。なぜ行き違いが起るか。それは言語が各人の好悪や希望を表出するにすぎない場合があるために、決して事態の客観的代表ではなく、また、文脈によって全く異なる事態を代表する場合があるために、各人の意味するところが必ずしも一致するとは限らないからであるとされた。例えば各種の宣伝文をそのまま信用することはできない。あるいはユダヤ人という時、それは単に民族的所属を意味することもあり、また悪口を意味することもあろう。この種の雑多な言語の社会心理学的機能を明らかにする学問をハヤカワらは一般意味論()と名づけたのである。この命名はすでに記号と意昧との関係を取り扱う言語学の特定領域を示すものとして用いられているから、それを特殊的な傾向に限定するのはいかがと思われるが、しかし、言語社会心理学の一領域としてきわめて重要であることには変りがないと言えるだろう。  〔矢田部達郎〕
#author("2023-08-03T10:01:42+09:00","default:kuzan","kuzan")
国語学辞典 矢田部達郎
>言語心理学 (言語) 言語は単なる作物(ギリシャergon)ではなく、精神の活動(ギリシャenergeia)であると言われる。この精神の活動の研究が心理学的であるのは当然であると言わなければならない。そこで言語という精神的、文化的作物を作物として取り扱うものが言語学であり、作物をそれが作られる活動の面から見るのが心理学的言語学であり、その作る活動そのものを対象とする学問が言語心理学であると言うことができる。もっとも、これは科学方法論上の区別であって、現実には後の二者はまだ十分に分化しておらず、通例、両者を合して言語心理学と名づけている。この意味で古来の言語観には言語心理学的な考察が多分に含まれている。そのことは、特に言語の本質を感情の表出に求めたヴィコ(G. B. Vico 1668-1743)、それを感覚と反省との総合に求めたヘルデル (J. Herder1744-1803)、個体精神と客観精神との総合に求めたフンボルト(別項)らにおいてはっきりと認められる。しかし、真に心理学的言語解釈が意識的に行われたのは、かのラツァルス(M. Lazarus 1824-1903)およびシュタインタール(H. Steinthal 1823-99)が『民族心理学及び言語学雑誌』 (一八六〇)を創刊してヘルバルト(J. F. Herbart 1776-1841)の心理学を言語研究に適用しようとした時に始まると言うことができる。この傾向の言語心理学は、例えばパウル(別項)の『言語史の諸原理』(一九〇一)に見られる。かれは心理学を言語学の基礎的学科と認め、心理学的解釈を大いに取り入れたが、しかし、かれは言語学は結局言語史であると考えていた。これに反してファン・ヒネケン(J. van Ginneken)の『心理学的言語学の原理』(一九〇七)は明らかに言語現象を少数の心理学的原理から説明しようとしたものである。ヴント(別項)はその『民族心理学』の第一巻および第二巻を『言語』(一九〇〇)と名づけたが、これは言語現象を感情表出の一種と見、語音・語義・構文等の成立および変遷を心理学的原理(連合・統覚等)から統一的に理解しようと努力したものであるが、その根底になったかれの心理学は、ヘルバルトのそれよりは一歩を進めていたとはいえ、決してみのり多いものではなかった。ソシュール(別項)はその『一般言語学講義』(↓言語学原論)において言語を杜会的事実と考えたが、しかし、それは個人の言語活動のうちにあるとしたものであるから、かれの立場はなお、きわめて心理学的であったと言うことができる。このように言語の社会性を認めながら、それを心理学的に説明しようとするのが、新しい言語心理学の傾向である。しかし、一方、純粋の言語社会学者も全然、心理学的要素を無視することはできなかった。【言語の機能】言語の機能を心理学的に見る時は通例、表出・報告(呼びかけ)および表現の三大機能に分けられる。表出とは、感情その他自分の気持を外に表わすことで、ダーウィン(Ch. R. Darwin 1809-82)やヴントはこれを言語の主要機能と考えた。報告(呼びかけ)というのは他人にその気持を伝えることで、ピエル・ジャネ(Pierre Janet 1859-1948)やマルティ(別項)の如きが、これを言語の原本的な機能と考えたものである。表現というのは代表とも記号とも象徴とも意味とも言われる機能である。古くは語は存在の代表であると考えられ、近世の観念論では観念の記号と考えられたのであるが、近ごろは行動解発のシグナルであるとも考えられるようになった。これが言語の意味と言われる。従来これら三機能中の一つを取り出して言語の本質を考える者が多かったが、漸次二つ(特に表出と報告)を取り上げる傾向が強くなり、最近では三者を統一的に考えるようになった。そのうち最も有名なのがビューラー(別項)の説であるが、これについては不幸にして誤解を生じやすい点が存する。ピューラーは、初めの三大機能を通告()・解発()・叙述()と名づけ、通告とは足を踏まれて「キャッ」というような感情を他人に通告する場合、解発とは「オーイ」と人を呼ぶような場合、表現とは事態を代表するものとした。ところが、のちに大著『言語理論』(↓ビューラー)中においては、通告を表出()と言い、解発を呼びかけ()と言い換,えた。内容は変っていないのであるから、彼の言う機能は、すべて言語の対人的機能と考えることができる。しかるに表出というのは通例は対人的関係とは考えられず、主体の方からだけで考えられる概念であると言うべきであろう。、ここで後にカインツ()のごときは言語の対話的機能として通告・解発・報告(これはビューラーの表現の対人性に当る)を数え、独語的機能として表出・内的提訴・思考の補助という三つを数えた。さらにカイソツはビューラーの表現機能は、実は言語の単なる機能ではなく、その本質であるとして、これを言語の記号性と呼び、これは対話的および独語的状況のいずれにおいても等しくその背後に存在するものと考えた。しかし、もっと簡単に、表出をもって話し手の気持を表わす機能、報告(呼びかけ)をもって対人関係を表わす機能、表現をもって記号と事態との関係を表わす機能、と考える方が便利だろう。
【言語の機能の心理学的意義】これら三つの機能の心理学的意義を取り扱うのが言語心理学の仕事であるが、その点を明らかにするため、次に具体的に説明しよう。ヴント(別項)は、その著『言語』において、次の諸問題を取り扱った。彼は、言語の根本機能を精神状態の表出としたから、その第一章を、まず表出運動の考察から開始し、第二章において身振語(別項)を解説した。第三章・第四章では語音の問題を説き、動物および児童の発声から出発して、音声言語における音韻変化の法則に及んでいる。第五章は語構成の問題であるが、その諸条件を明らかにするために、まず種々なる病理現象に触れ、次に読字・聴音等に関する実験を述べ、交章中における単語や語根の意義を考察し、語結合の例として畳語や複合語構成の問題を取り扱った。第二巻第六章は語形(品詞)の問題、第七章は構文の問題、第八章は意義変化の問題、第九章は言語起源の問題について、それぞれその心理学的意義を明らかにしようとしたのである。カインツの『言語の心理学』はこの領域における最も新しい体系的著述であるが、かれはその第一巻第一部において言語心理学の対象や方法の問題について述べた後、第二部では前にも述べたように言語の本質としての記号性について考察する。ここでは語や文と語義や思想との関係一般が取り扱われた。第三部は言語の機能に関する章で、まず上述のような三つの対話的機能と三つの独語的機能とが説明され、次に二次的機能として美的機能・倫理的機能、呪的神話的機能および論理的真理的機能という四つについて述べる。第四部は言語の成立および起源に関する考察である。第二巻の第一部では児童の言語、第二部でに原始人の言語、第三部では動物の言語、第四部では失語症における言語、第五部では精神病者における言語、第六部では夢・催眠状態・中毒状態・神がかり状態等における言語が取り扱われた。第七部の問題は身振語および、その他の信号についてであり、第八部の問題はピジン・イングリッシュ(↓混合語)や基礎英語(↓人工語)のような、いわゆる縮小言語についてであった。さらに最近の傾向として特に注目すべき現象は言語の行動主義的・機能主義的・応用的研究であって、りての代表としてはコルツィブスキー()の流れをくむS・I・ハヤカワの『思考と行動における言語』(一九四九)を挙げることができる。この著述のおもな目的は、言語が記号であって事態そのものでないこと、すなわち、地図が現地と一致しないために起る言語行為上の行き違いを、この事実を十分に理解することによって解消させようとするところにある。なぜ行き違いが起るか。それは言語が各人の好悪や希望を表出するにすぎない場合があるために、決して事態の客観的代表ではなく、また、文脈によって全く異なる事態を代表する場合があるために、各人の意味するところが必ずしも一致するとは限らないからであるとされた。例えば各種の宣伝文をそのまま信用することはできない。あるいはユダヤ人という時、それは単に民族的所属を意味することもあり、また悪口を意味することもあろう。この種の雑多な言語の社会心理学的機能を明らかにする学問をハヤカワらは一般意味論()と名づけたのである。この命名はすでに記号と意昧との関係を取り扱う言語学の特定領域を示すものとして用いられているから、それを特殊的な傾向に限定するのはいかがと思われるが、しかし、言語社会心理学の一領域としてきわめて重要であることには変りがないと言えるだろう。  〔[[矢田部達郎]]〕
 〔参考〕 『思考と行動における言語』ハヤカワ著・大久保忠利訳。
『現代日本語の表現と語法』佐久間鼎。
『言語学初歩』小林智賀平。
『児童の言語』矢田部達郎。
K. Buehler: Sprachtheorie
F. Kainz: Psychologie der Sprache
W. Wundt: Die Sprache.
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