『日本語の歴史6新しい国語への歩み』
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[[亀井孝ほか『日本語の歴史』]]平凡社
[[亀井孝]]・[[大藤時彦]]・[[山田俊雄]]
ASIN:4582403069
>>
第一章 江戸から東京へ
一 歴史の舞台に東京の幕開く
明治維新の意味するもの
〈化政度〉文化の庶民性
江戸の住人と[[関八州]]からの人口流入
鎖国日本の扉を叩くもの
世界に開いた日本の扉
朝・幕二つの政府の出現
条約に表現された日本の地位
江戸改め東京の誕生
[[居留地]]外人の果たした役割
明治新政府の近代化と外国人
江戸の蓄積で栄える東京
二 性格のちがう[[江戸語]]と[[東京語]]
江戸から東京へ、この改称の意味
《[[当世書生気質]]》に展開される[[書生ことば]]
日本語の歴史のうえの新しい経験
文化史的に注目される新しい漢語
明治に日本語は〈国家のことば〉となった
新しい国語づくり
江戸語ということばの意義
江戸語および東京語の中身はなにか
江戸における〈本手〉と〈やつし〉
いわゆる〈江戸なまり〉と〈[[本江戸]]〉
江戸の上流家庭の女性のことば
「です」にあらわれる江戸語↓東京語の推移
文献にうかがう江戸語の輪郭
江戸語の性格・その東京語へのつながり
江戸語から東京語への展開の課題
西部日本方言に対する東部日本方言
「ぢゃ」と「だ」との対立
「なかった」の「なんだ」に対する優位
東部方言に対する東京語の選択
江戸文学も新しい言語様式創造にはほど遠い
三 新しい文章への道はけわしい
日本の漢文はシナ語ではない
[[荻生徂徠]]の〈[[古文辞学]]派〉の功績
[[漢文訓読]]に対する[[徂徠]]の批判
[[伊藤仁斎]]に対抗してうちだされた徂徠の立場
徂徠の意図した[[修辞]]
古文辞学派のなかの[[文人]]意識
文人意識はなぜうまれたか
[[国学者]]の[[擬古文]]
国学者の書いた[[口語文]]
[[小説]]の分野における[[俗語]]の登場
語彙に探る文人趣味の流行
漢文訓読の様式も変わる
明治時代の[[漢文訓読体]]の占めた位置
[[福沢諭吉]]の文章
[[言文一致]]はどうはじまったか
言文一致への本格的な動きは鹿鳴館時代
[[二葉亭四迷]]と[[山田美妙]]
[[森鴎外]]の《[[舞姫]]》の[[美文調]]の意義
最後の江戸=漢文的思考の世界
第二章 西欧文明の波をかぶった日本語
一 オランダが伝えだ西欧文明の第二波
江戸から明治へ・日本語と[[外国語]]との交渉
[[ギリシタン]]最後の布教師[[シドッチ]]
新井白石・シドッチを尋問
二 [[オランダ語]]と日本語との関係
江戸時代における日本とオランダとの関係
オランダ語と[[蘭通詞]]
オランダ医学の習得とオランダ語
話すオランダ語から読むナランダ語へ
さかんになったオランダ語の翻訳
オランダによる西洋文明第二波の特色
オランダ語の日本語への影響力
[[外来語]]になぜオランダ語が少ないか
学術蘭書を翻訳するさいの三法
いわゆる「義訳」にはらわれた苦心
西欧語を漢字と結びつけたことの意義
役にたった漢文訓読の経験
三 新洋学の台頭
[[英語]]や[[ロシア語]]との接触
新洋学に役立った[[蘭語]]の基礎
新洋学の水準は低かった
新洋学における長崎の位置
江戸に実を結ぶ新洋学
新洋学は[[原書]]を読むことから始まる
新洋学は英語を中心に進む
四 英語が日本語に及ぼした影響
[[ピジン・イングリッシュ]]の登場
[[車屋英語]]の伝える発音の正確さ
正式な発音の採用はかなりおそい
[[外国語]]音は日本語の音韻に影響しなかった
さかんになった単語書・綴字書の出版
外国語が日本語に及ぼした別の影響
[[逐語訳]]の歴史をたどる
[[中浜万次郎]]と逐語訳
逐語訳は幕府によって権威づけられた
日本語の深部にとどいた別の影響
しかし最大の影響は目だたないところに
五 言文一致の開花
ヨーロッバ文学の紹介はじまる
開国前後、来日外人のあげた業績
文学作品の翻訳ようやく軌道へ
ヨーロッパ文学の翻訳に役だつ漢文訓読体
初期の文学翻訳は翻案に近かった
言文一致の運動の背景にあるもの
話すとおりに書くのが言文一致か
二葉亭四迷の登場による言文一致の開花
[[四迷]]がとりいれた[[円朝]][[落語]]のスタイル
[[言文一致]]の問題点は[[待遇表現]]の処理
言文一致の成功をもたらしたもの
言文一致の運動が文字改革と結びつく
軌道にのる日本語の[[ローマ字表記]]
ヨーロッパの表記法がもたらしたその他の影響
第三章 新しい国語の意識とその教育
一 国語への意識の目ざめ
新しくうまれた国語という理念
国語と日本語とは異なる概念
ただし国語は慣用として日本語を意味する
明治の人たちにみる用語例
国語は教育の対象としてとらえられる
国語とせりあうほかの言い方もあった
日本語・国語という表現を与えうる地盤
[[日清戦争]]が国語の意識形成にあずかる
漢語に対するものとしての国語
江戸時代に漢文の占めていた位置
明治の[[文語]]は江戸時代の漢文の延長
学校教育に占める古典の意義
明治の漢文教育
漢文教育の終焉
明治の意識における国語
二 学制の目ざした国語教育
国語教育への胎動
学制のねらった小学校の国語教育
[[綴字]]・単語・会話の教科内容
読本の教科書の二傾向
一つは道徳の教材を兼ねる
一つは外国の教科書の翻訳
ここにみられる教化主義と開明主義
民間編集の読本が輩出する
そのほかの読本
教科書における種々の試み
三 標準語への志向と小学読本の変遷
最初の国語教育の主眼は〈会話〉科
教科書は〈談話体〉からみ〈文語体〉へ
ふたたび〈談語体〉主流に
俗語における共通性と規範性の背反
標準語教育実践への第一歩
[[デアリマス]]の盛行と文語調の混入
「ダ」と「デス」を採った《幼学読本》
仮名つかいと仮名の字体統一
国定小学読本の登場
[[歴史的仮名づかい]]への復帰
四 明治の文語の占める位置
文章様式にみる明治の個性は何か
明治初期の中学校では国語は漢文であった
明治の文章様式を創造する悩み
漢文中心の中学校教育の一例
和文の教科書は文章を書くためのもの
国文の名を冠した教科書の登場
国文から国文学へ
[[落合直文]]の教科書の意義
国文読本からふたたび国語読本へ
作文教育の領域
第四章 語彙の世界に明治を探る
一 語彙のうえに明治維新はあったか
時代につれる語彙の流動
とらえがたい語彙の全貌
顕微鏡ということばの教えるところ
語彙の分野における明治維新の意味
維新当時の[[太政官布告]]
江戸時代の文体の継承
維新までの漢語の位置
漢語・[[固有語]]の限界の意識はない
二 欧化の背後にある漢語の流行
明治の初期に氾濫した漢語の様相
どんな漢語が使われていたか
[[ヘボン]]がひろった口語のなかの漢語
漢語流行の背景にあるその有用性
外国の固有名に漢語の衣をきせる
「石鹸」がのこり、「シャポン」が消える
訳語に脈打つ漢語の造語力
明治の翻訳語も漢語
三 舶来ことばのたどる適
外来語を日本人はどうみていたか
明治中期には漢語の流行も自然な落着きへ
外来語受け入れの三つの様式
外来語の個別的な境涯差
オランダ語出自の「フラフ」から「旗」へ
流行語について
漢字との結合の弱い語
外来語の漢字表記と混種語の登場
第五章 方言の消長、
一 明治の〈国語〉づくりと標準語
明治政府の国家統一は言語の統一から
「国語」ということば
国語・国字問題の登場
言文一致と標準語の理念
標準語はどう普及したか
国語教育のなかの標準語
ことばにおける東京中心主義
二 方言撲滅運動への推移
方言が悪いことばとされる
方言コンプレックスということ
新しい社会的分裂
沖縄の標準語教育
標準語教育は言語の単色化
抽象的概念をあらわす語
標準語を話す経験
三 [[共通語]]時代の到来と方言の運命
標準語時代から共通語の時代へ
「共通語」という名をめぐって
[[地域共通語]]の考え
方言の存在を認める共通語の立場
標準語は存在するか
共通語時代の背景
東京共通語の勢い
方言の消えゆく道
方言らしからぬ方言
方言は生きのこるだけでなくうまれもする
そもそも方言とは
日本語の豊かさ
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月報
>>
民俗語彙ということば 大藤時彦
日本語のなかの朝鮮語 金思燁
編集部から(書評再録)
-和歌森太郎
-秋山虔
<<
執筆者
-古田東朔
-松島栄一
-亀井孝
-頼惟勤
-柴田武
-梅谷文夫
-渡辺実
-山田俊雄
* [#l7cbd33c]
asin:978-4-582-76623-3
解説は[[安田敏朗]]
終了行:
[[亀井孝ほか『日本語の歴史』]]平凡社
[[亀井孝]]・[[大藤時彦]]・[[山田俊雄]]
ASIN:4582403069
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第一章 江戸から東京へ
一 歴史の舞台に東京の幕開く
明治維新の意味するもの
〈化政度〉文化の庶民性
江戸の住人と[[関八州]]からの人口流入
鎖国日本の扉を叩くもの
世界に開いた日本の扉
朝・幕二つの政府の出現
条約に表現された日本の地位
江戸改め東京の誕生
[[居留地]]外人の果たした役割
明治新政府の近代化と外国人
江戸の蓄積で栄える東京
二 性格のちがう[[江戸語]]と[[東京語]]
江戸から東京へ、この改称の意味
《[[当世書生気質]]》に展開される[[書生ことば]]
日本語の歴史のうえの新しい経験
文化史的に注目される新しい漢語
明治に日本語は〈国家のことば〉となった
新しい国語づくり
江戸語ということばの意義
江戸語および東京語の中身はなにか
江戸における〈本手〉と〈やつし〉
いわゆる〈江戸なまり〉と〈[[本江戸]]〉
江戸の上流家庭の女性のことば
「です」にあらわれる江戸語↓東京語の推移
文献にうかがう江戸語の輪郭
江戸語の性格・その東京語へのつながり
江戸語から東京語への展開の課題
西部日本方言に対する東部日本方言
「ぢゃ」と「だ」との対立
「なかった」の「なんだ」に対する優位
東部方言に対する東京語の選択
江戸文学も新しい言語様式創造にはほど遠い
三 新しい文章への道はけわしい
日本の漢文はシナ語ではない
[[荻生徂徠]]の〈[[古文辞学]]派〉の功績
[[漢文訓読]]に対する[[徂徠]]の批判
[[伊藤仁斎]]に対抗してうちだされた徂徠の立場
徂徠の意図した[[修辞]]
古文辞学派のなかの[[文人]]意識
文人意識はなぜうまれたか
[[国学者]]の[[擬古文]]
国学者の書いた[[口語文]]
[[小説]]の分野における[[俗語]]の登場
語彙に探る文人趣味の流行
漢文訓読の様式も変わる
明治時代の[[漢文訓読体]]の占めた位置
[[福沢諭吉]]の文章
[[言文一致]]はどうはじまったか
言文一致への本格的な動きは鹿鳴館時代
[[二葉亭四迷]]と[[山田美妙]]
[[森鴎外]]の《[[舞姫]]》の[[美文調]]の意義
最後の江戸=漢文的思考の世界
第二章 西欧文明の波をかぶった日本語
一 オランダが伝えだ西欧文明の第二波
江戸から明治へ・日本語と[[外国語]]との交渉
[[ギリシタン]]最後の布教師[[シドッチ]]
新井白石・シドッチを尋問
二 [[オランダ語]]と日本語との関係
江戸時代における日本とオランダとの関係
オランダ語と[[蘭通詞]]
オランダ医学の習得とオランダ語
話すオランダ語から読むナランダ語へ
さかんになったオランダ語の翻訳
オランダによる西洋文明第二波の特色
オランダ語の日本語への影響力
[[外来語]]になぜオランダ語が少ないか
学術蘭書を翻訳するさいの三法
いわゆる「義訳」にはらわれた苦心
西欧語を漢字と結びつけたことの意義
役にたった漢文訓読の経験
三 新洋学の台頭
[[英語]]や[[ロシア語]]との接触
新洋学に役立った[[蘭語]]の基礎
新洋学の水準は低かった
新洋学における長崎の位置
江戸に実を結ぶ新洋学
新洋学は[[原書]]を読むことから始まる
新洋学は英語を中心に進む
四 英語が日本語に及ぼした影響
[[ピジン・イングリッシュ]]の登場
[[車屋英語]]の伝える発音の正確さ
正式な発音の採用はかなりおそい
[[外国語]]音は日本語の音韻に影響しなかった
さかんになった単語書・綴字書の出版
外国語が日本語に及ぼした別の影響
[[逐語訳]]の歴史をたどる
[[中浜万次郎]]と逐語訳
逐語訳は幕府によって権威づけられた
日本語の深部にとどいた別の影響
しかし最大の影響は目だたないところに
五 言文一致の開花
ヨーロッバ文学の紹介はじまる
開国前後、来日外人のあげた業績
文学作品の翻訳ようやく軌道へ
ヨーロッパ文学の翻訳に役だつ漢文訓読体
初期の文学翻訳は翻案に近かった
言文一致の運動の背景にあるもの
話すとおりに書くのが言文一致か
二葉亭四迷の登場による言文一致の開花
[[四迷]]がとりいれた[[円朝]][[落語]]のスタイル
[[言文一致]]の問題点は[[待遇表現]]の処理
言文一致の成功をもたらしたもの
言文一致の運動が文字改革と結びつく
軌道にのる日本語の[[ローマ字表記]]
ヨーロッパの表記法がもたらしたその他の影響
第三章 新しい国語の意識とその教育
一 国語への意識の目ざめ
新しくうまれた国語という理念
国語と日本語とは異なる概念
ただし国語は慣用として日本語を意味する
明治の人たちにみる用語例
国語は教育の対象としてとらえられる
国語とせりあうほかの言い方もあった
日本語・国語という表現を与えうる地盤
[[日清戦争]]が国語の意識形成にあずかる
漢語に対するものとしての国語
江戸時代に漢文の占めていた位置
明治の[[文語]]は江戸時代の漢文の延長
学校教育に占める古典の意義
明治の漢文教育
漢文教育の終焉
明治の意識における国語
二 学制の目ざした国語教育
国語教育への胎動
学制のねらった小学校の国語教育
[[綴字]]・単語・会話の教科内容
読本の教科書の二傾向
一つは道徳の教材を兼ねる
一つは外国の教科書の翻訳
ここにみられる教化主義と開明主義
民間編集の読本が輩出する
そのほかの読本
教科書における種々の試み
三 標準語への志向と小学読本の変遷
最初の国語教育の主眼は〈会話〉科
教科書は〈談話体〉からみ〈文語体〉へ
ふたたび〈談語体〉主流に
俗語における共通性と規範性の背反
標準語教育実践への第一歩
[[デアリマス]]の盛行と文語調の混入
「ダ」と「デス」を採った《幼学読本》
仮名つかいと仮名の字体統一
国定小学読本の登場
[[歴史的仮名づかい]]への復帰
四 明治の文語の占める位置
文章様式にみる明治の個性は何か
明治初期の中学校では国語は漢文であった
明治の文章様式を創造する悩み
漢文中心の中学校教育の一例
和文の教科書は文章を書くためのもの
国文の名を冠した教科書の登場
国文から国文学へ
[[落合直文]]の教科書の意義
国文読本からふたたび国語読本へ
作文教育の領域
第四章 語彙の世界に明治を探る
一 語彙のうえに明治維新はあったか
時代につれる語彙の流動
とらえがたい語彙の全貌
顕微鏡ということばの教えるところ
語彙の分野における明治維新の意味
維新当時の[[太政官布告]]
江戸時代の文体の継承
維新までの漢語の位置
漢語・[[固有語]]の限界の意識はない
二 欧化の背後にある漢語の流行
明治の初期に氾濫した漢語の様相
どんな漢語が使われていたか
[[ヘボン]]がひろった口語のなかの漢語
漢語流行の背景にあるその有用性
外国の固有名に漢語の衣をきせる
「石鹸」がのこり、「シャポン」が消える
訳語に脈打つ漢語の造語力
明治の翻訳語も漢語
三 舶来ことばのたどる適
外来語を日本人はどうみていたか
明治中期には漢語の流行も自然な落着きへ
外来語受け入れの三つの様式
外来語の個別的な境涯差
オランダ語出自の「フラフ」から「旗」へ
流行語について
漢字との結合の弱い語
外来語の漢字表記と混種語の登場
第五章 方言の消長、
一 明治の〈国語〉づくりと標準語
明治政府の国家統一は言語の統一から
「国語」ということば
国語・国字問題の登場
言文一致と標準語の理念
標準語はどう普及したか
国語教育のなかの標準語
ことばにおける東京中心主義
二 方言撲滅運動への推移
方言が悪いことばとされる
方言コンプレックスということ
新しい社会的分裂
沖縄の標準語教育
標準語教育は言語の単色化
抽象的概念をあらわす語
標準語を話す経験
三 [[共通語]]時代の到来と方言の運命
標準語時代から共通語の時代へ
「共通語」という名をめぐって
[[地域共通語]]の考え
方言の存在を認める共通語の立場
標準語は存在するか
共通語時代の背景
東京共通語の勢い
方言の消えゆく道
方言らしからぬ方言
方言は生きのこるだけでなくうまれもする
そもそも方言とは
日本語の豊かさ
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月報
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民俗語彙ということば 大藤時彦
日本語のなかの朝鮮語 金思燁
編集部から(書評再録)
-和歌森太郎
-秋山虔
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執筆者
-古田東朔
-松島栄一
-亀井孝
-頼惟勤
-柴田武
-梅谷文夫
-渡辺実
-山田俊雄
* [#l7cbd33c]
asin:978-4-582-76623-3
解説は[[安田敏朗]]
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