宮本又次『町人社会の学芸と懐徳堂』
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[[宮本又次]]
『町人社会の学芸と[[懐徳堂]]』
https://dl.ndl.go.jp/pid/12042345
はしがき
第一章 学芸史から見た上方と江戸
一 江戸時代前期の文華と上方の文運
二 関西の儒学と江戸の儒学
三 江戸の昌平黌
四 大阪の懐徳堂
五 洗心洞
六 混沌社と泊園書院
七 大阪の学風と江戸の学風
八 寺子屋と学問の普及
九 石門心学から見た大阪と江戸
一〇 蘭学から見た大阪と江戸
一一 和学から見た大阪と江戸
一二 塙保己一と木村巽斉と慈雲尊者
一三 洒落本と黄表紙と読本
一四 俳諧からみた大阪と江戸
一五 狂歌、狂詩から見た大阪と江戸
一六 茶道からみた大阪と江戸
一七 絵画からみた大阪と江戸
第二章 懐徳堂の設立と[[中井甃庵]]の学風
一 中井甃庵の生いたち
二 懐徳堂の創建と中井甃庵
三 初期懐徳堂の性格と中井甃庵
四 将軍吉宗の教化策と懐徳堂の許可
五 初期懐徳堂の構成
六 初期懐徳堂学問所の公許的性格
七 その後の懐徳堂と甃庵の逝去
八 中井甃庵の著述と系譜
九 中井甃庵の性行と學風
第三章 [[五井持軒]]と[[五井蘭洲]]
一 五井持軒
二 [[三宅石庵]]と五井持軒
三 五井蘭洲の生いたち
四 蘭洲と甃庵
五 五井蘭洲の東行と帰堂
六 蘭洲の晩年と死去
七 蘭洲の経学と学風
八 一五井蘭洲の著作とその略系図
九 五井蘭洲の契沖碑文と入江友俊
一〇 蘭洲の和歌と住友家一族
一一 五井蘭洲の和学
第四章 [[中井竹山]]の業績と学風と『蒙養篇』
一 中井竹山の生いたち
二 竹山と懐徳堂
三 竹山の業績と學風
四 竹山の人柄と交遊
五 中井竹山の著述
六 竹山の経世論と社会経済思想
七 竹山の利の思想と『蒙養篇』
第五章 [[中井履軒]]の学風とその経済思想
一 中井履軒の経歴
二 履軒の著作
三 履軒の業績と学風
四 中井履軒の経済思想
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[[宮本又次]]
『町人社会の学芸と[[懐徳堂]]』
https://dl.ndl.go.jp/pid/12042345
はしがき
第一章 学芸史から見た上方と江戸
一 江戸時代前期の文華と上方の文運
二 関西の儒学と江戸の儒学
三 江戸の昌平黌
四 大阪の懐徳堂
五 洗心洞
六 混沌社と泊園書院
七 大阪の学風と江戸の学風
八 寺子屋と学問の普及
九 石門心学から見た大阪と江戸
一〇 蘭学から見た大阪と江戸
一一 和学から見た大阪と江戸
一二 塙保己一と木村巽斉と慈雲尊者
一三 洒落本と黄表紙と読本
一四 俳諧からみた大阪と江戸
一五 狂歌、狂詩から見た大阪と江戸
一六 茶道からみた大阪と江戸
一七 絵画からみた大阪と江戸
第二章 懐徳堂の設立と[[中井甃庵]]の学風
一 中井甃庵の生いたち
二 懐徳堂の創建と中井甃庵
三 初期懐徳堂の性格と中井甃庵
四 将軍吉宗の教化策と懐徳堂の許可
五 初期懐徳堂の構成
六 初期懐徳堂学問所の公許的性格
七 その後の懐徳堂と甃庵の逝去
八 中井甃庵の著述と系譜
九 中井甃庵の性行と學風
第三章 [[五井持軒]]と[[五井蘭洲]]
一 五井持軒
二 [[三宅石庵]]と五井持軒
三 五井蘭洲の生いたち
四 蘭洲と甃庵
五 五井蘭洲の東行と帰堂
六 蘭洲の晩年と死去
七 蘭洲の経学と学風
八 一五井蘭洲の著作とその略系図
九 五井蘭洲の契沖碑文と入江友俊
一〇 蘭洲の和歌と住友家一族
一一 五井蘭洲の和学
第四章 [[中井竹山]]の業績と学風と『蒙養篇』
一 中井竹山の生いたち
二 竹山と懐徳堂
三 竹山の業績と學風
四 竹山の人柄と交遊
五 中井竹山の著述
六 竹山の経世論と社会経済思想
七 竹山の利の思想と『蒙養篇』
第五章 [[中井履軒]]の学風とその経済思想
一 中井履軒の経歴
二 履軒の著作
三 履軒の業績と学風
四 中井履軒の経済思想
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