岡島昭浩「大矢透以前の史的五十音図研究」
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大矢透以前の 史的五十音図研究
岡島昭浩(2004)
『語文』82
五十音図を研究する、ということについては、さまざまな方...
>>
この大矢氏のその著の先縦を爲したものは文學博士佐藤誠實で...
<<
大矢透(一九一八)には、
>>
此の篇の編述を了れるまでには、故谷森善臣翁よりは、貴重な...
先づ兼て故文學博士佐藤誠實翁、之を集めて、雜誌大八洲に載...
<<
とあるが、本文にあたっても、どの部分が先学によるものであ...
大矢透が、五十音図の史的研究史上において、どう位置づけ...
堀秀成等、いわゆる音義派のものを見ていると、五十音図の...
音義派に影響を与えていると思われる平田篤胤は、『古史本...
荷田家に伝わるもの・『下総本和名類聚抄』の巻首にあるもの...
などであるが、「誤図」の発生についても考察するなど、史的...
篤胤と違って神代文字を否定したことで知られる伴信友は、...
明治に入り、榊原芳野『文芸類纂』(明治十一年)の「字志...
>>
『袖中抄』・『管絃音義』【文治元年著】所載自序・『天文本...
<<
佐藤誠実(一八九二)では、
>>
『倭片仮字反切義解』『管絃音義』『二中歴』『天文本和名抄...
<<
を挙げる。近世期のもののほかに、『金光明最勝王経音義』が...
>>
此五十音の古く見えたるは、我が是まで見し書の中にては、承...
<<
と記し、これを偽書と考えていたようである。なお、横山由清...
さて、後に『音図及手習詞歌考』を書く大矢透は、明治三十...
>>
『天文本和名抄』『管絃音義』『二中歴』『倭片仮字反切義解...
<<
を挙げている。またほかに、「賀茂真淵語音考(ママ)」「漢...
さて、これより早く、大矢透や佐藤誠実より多くの五十音図...
谷森善臣の書き残したものは、さほど多く刊行されてはいな...
『靖斎翁雑稿』の第十三冊「十郎」は、表紙に「明治十一年...
谷森善臣は、その後も五十音図についての考証をたびたび行...
明治四十年の付記がこの書に付けられていることもあり、五...
さて、岡島(二〇〇三)で、善臣の研究を「平田篤胤とは違...
まず、谷森善臣は、平田篤胤同様、神代文字の存在を肯定し...
さて、善臣は、五十音図の第一図として、篤胤『神字日文伝...
なお、善臣は後にこの「アマヤカナラタハサワ」を「アサハ...
第二図は、岡部春平『茶記贅言』(嘉永六年刊)に載せる「...
第三図は「天平音図」。『倭片仮名反切義解』の「アイウエ...
なお、この条下では、吉備真備の時代には悉曇学はないので...
第四図は「承平音図」で、「和名類聚鈔古本の巻首に載て伝...
第五図は「長和音図」で、『五韻次第』に載せられた図で、...
この第五図の条下には、林崎文庫蔵の『仮名遣近道』に載せ...
第六図は「寛治音図」で、明覚の『反音作法』に載せる音図...
なお、田中本の『反音作法』は、川瀬(一九八二)の七三頁、...
第七図は「承徳音図」で、第六図と同じ明覚の『梵字形音義...
その第八図「仁平音図」は、『密宗肝要抄』で、醍醐寺三宝...
第九図「寿永音図」と名付けられたのは、現存しない音図で...
第十図「文治音図」は、『管絃音義』に見えるもので「アウ...
第十一図は、書写年などが未詳のため、名前にも元号は入っ...
第十二図も年月未詳で「醍醐音図」。醍醐寺三宝院所蔵の『...
第十三図「弘安図」は、『阿娑〓抄』百九十一巻『反音鈔』...
第十四図・第十五図・第十六図は「元弘音図」「元弘音図の...
反音五音 手以アタナカマサラハマヤ 為次
心以アカタラサハナワマヤ 為次
アイウエヲカキクケコサシスセソタチツテトラリ□レロ
ナニヌネノヤイユヱヨワヰウヱオハヒフヘホマミムメ□
とあるうちの、後二行「アイウエヲカキクケコ……」とあるのが...
第十七図「永和音図」は『法華経音義』の音図である。「ア...
このあと時代が大きくとぶ。「アイウエヲ・アカサタナハマ...
第十八図は「文化音図」。藤原彦麻呂(斎藤彦麿)の『音声...
第十九図は「文政音図」。木村豊平『五十連音麻曽鏡』に載...
第二十図「天保音図」は、野之口隆正『神字小考』の「古字...
そして、これまでの命名法からすると「嘉永音図」とでも呼...
第廿一図は「明治音図」と名付けているが、これは「東京の...
この第廿一図のあとに総論・附論のようなものが来る。五十...
この書は「明治廿八年十月十七日校訂訖」として終わるが、...
>>
此図は大矢透の醍醐三宝院の経蔵に就て写し来たれるを見せた...
<<
と記している。
ここまで、谷森善臣の五十音図研究を、歴史的研究の面から...
中田祝夫(一九六九)は、大矢透の取り上げていない五十音図...
善臣は『靖斎翁雑稿』の第二十二冊「餘六」に、次のように...
>>
予曩に声韻図攷の稿草を起したるも未だ其功を終へず 僅かに...
<<
「業を遂ぐる」ところまで行かなくても、その一部でも公にし...
引用に際して、漢字字体の変更、また片仮名を平仮名に改める...
東京大学史料編纂所に大矢透の原稿・旧蔵書などが収められて...
参考文献
遠藤嘉基『訓点資料と訓点語の研究』京都大学国文学会(一九五...
遠藤嘉基「醍醐寺本「密宗肝要抄」「管絃音義」「孔雀経音義...
大矢透『音図及手習詞歌考』大日本図書(一九一八)
岡島昭浩「大矢透以前の「太為尓」」(『国語文字史の研究 七...
川瀬一馬『田中教忠蔵書目録』田中穣(自家版)(一九八二)
木枝増一『仮名遣研究史』賛精社(一九三三)
国立歴史民俗博物館『田中穣氏旧蔵典籍古文書目録』(二〇〇〇)
佐藤誠実「五十音考」明治二十五年(『大八洲雑誌』『大日本...
中田祝夫「解題」(『音図及手習詞歌考』勉誠社)(一九六九)
中山綾子「仮名遣近道」(『女子大国文』三八 一~一三頁)(...
橋本進吉「五十音図」『新潮日本文学大辞典』新潮社(橋本進...
林恵一「谷森善臣著作年譜抄」(『書陵部紀要』第二十三号 ...
古田東朔「音義派『五十音図』『かなづかい』の採用と廃止」(...
馬淵和夫『日本韻学史の研究』日本学術振興会(一九六二)
馬淵和夫「大矢博士の写された『梵字口伝』について」(馬淵...
馬淵和夫『五十音図の話』大修館書店(一九九三)
馬淵和夫『国語史叢考』笠間書院(一九九六)
山田孝雄(一九三八)『五十音図の歴史』宝文館
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大矢透以前の 史的五十音図研究
岡島昭浩(2004)
『語文』82
五十音図を研究する、ということについては、さまざまな方...
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この大矢氏のその著の先縦を爲したものは文學博士佐藤誠實で...
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大矢透(一九一八)には、
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此の篇の編述を了れるまでには、故谷森善臣翁よりは、貴重な...
先づ兼て故文學博士佐藤誠實翁、之を集めて、雜誌大八洲に載...
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とあるが、本文にあたっても、どの部分が先学によるものであ...
大矢透が、五十音図の史的研究史上において、どう位置づけ...
堀秀成等、いわゆる音義派のものを見ていると、五十音図の...
音義派に影響を与えていると思われる平田篤胤は、『古史本...
荷田家に伝わるもの・『下総本和名類聚抄』の巻首にあるもの...
などであるが、「誤図」の発生についても考察するなど、史的...
篤胤と違って神代文字を否定したことで知られる伴信友は、...
明治に入り、榊原芳野『文芸類纂』(明治十一年)の「字志...
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『袖中抄』・『管絃音義』【文治元年著】所載自序・『天文本...
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佐藤誠実(一八九二)では、
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『倭片仮字反切義解』『管絃音義』『二中歴』『天文本和名抄...
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を挙げる。近世期のもののほかに、『金光明最勝王経音義』が...
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此五十音の古く見えたるは、我が是まで見し書の中にては、承...
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と記し、これを偽書と考えていたようである。なお、横山由清...
さて、後に『音図及手習詞歌考』を書く大矢透は、明治三十...
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『天文本和名抄』『管絃音義』『二中歴』『倭片仮字反切義解...
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を挙げている。またほかに、「賀茂真淵語音考(ママ)」「漢...
さて、これより早く、大矢透や佐藤誠実より多くの五十音図...
谷森善臣の書き残したものは、さほど多く刊行されてはいな...
『靖斎翁雑稿』の第十三冊「十郎」は、表紙に「明治十一年...
谷森善臣は、その後も五十音図についての考証をたびたび行...
明治四十年の付記がこの書に付けられていることもあり、五...
さて、岡島(二〇〇三)で、善臣の研究を「平田篤胤とは違...
まず、谷森善臣は、平田篤胤同様、神代文字の存在を肯定し...
さて、善臣は、五十音図の第一図として、篤胤『神字日文伝...
なお、善臣は後にこの「アマヤカナラタハサワ」を「アサハ...
第二図は、岡部春平『茶記贅言』(嘉永六年刊)に載せる「...
第三図は「天平音図」。『倭片仮名反切義解』の「アイウエ...
なお、この条下では、吉備真備の時代には悉曇学はないので...
第四図は「承平音図」で、「和名類聚鈔古本の巻首に載て伝...
第五図は「長和音図」で、『五韻次第』に載せられた図で、...
この第五図の条下には、林崎文庫蔵の『仮名遣近道』に載せ...
第六図は「寛治音図」で、明覚の『反音作法』に載せる音図...
なお、田中本の『反音作法』は、川瀬(一九八二)の七三頁、...
第七図は「承徳音図」で、第六図と同じ明覚の『梵字形音義...
その第八図「仁平音図」は、『密宗肝要抄』で、醍醐寺三宝...
第九図「寿永音図」と名付けられたのは、現存しない音図で...
第十図「文治音図」は、『管絃音義』に見えるもので「アウ...
第十一図は、書写年などが未詳のため、名前にも元号は入っ...
第十二図も年月未詳で「醍醐音図」。醍醐寺三宝院所蔵の『...
第十三図「弘安図」は、『阿娑〓抄』百九十一巻『反音鈔』...
第十四図・第十五図・第十六図は「元弘音図」「元弘音図の...
反音五音 手以アタナカマサラハマヤ 為次
心以アカタラサハナワマヤ 為次
アイウエヲカキクケコサシスセソタチツテトラリ□レロ
ナニヌネノヤイユヱヨワヰウヱオハヒフヘホマミムメ□
とあるうちの、後二行「アイウエヲカキクケコ……」とあるのが...
第十七図「永和音図」は『法華経音義』の音図である。「ア...
このあと時代が大きくとぶ。「アイウエヲ・アカサタナハマ...
第十八図は「文化音図」。藤原彦麻呂(斎藤彦麿)の『音声...
第十九図は「文政音図」。木村豊平『五十連音麻曽鏡』に載...
第二十図「天保音図」は、野之口隆正『神字小考』の「古字...
そして、これまでの命名法からすると「嘉永音図」とでも呼...
第廿一図は「明治音図」と名付けているが、これは「東京の...
この第廿一図のあとに総論・附論のようなものが来る。五十...
この書は「明治廿八年十月十七日校訂訖」として終わるが、...
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此図は大矢透の醍醐三宝院の経蔵に就て写し来たれるを見せた...
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と記している。
ここまで、谷森善臣の五十音図研究を、歴史的研究の面から...
中田祝夫(一九六九)は、大矢透の取り上げていない五十音図...
善臣は『靖斎翁雑稿』の第二十二冊「餘六」に、次のように...
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予曩に声韻図攷の稿草を起したるも未だ其功を終へず 僅かに...
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「業を遂ぐる」ところまで行かなくても、その一部でも公にし...
引用に際して、漢字字体の変更、また片仮名を平仮名に改める...
東京大学史料編纂所に大矢透の原稿・旧蔵書などが収められて...
参考文献
遠藤嘉基『訓点資料と訓点語の研究』京都大学国文学会(一九五...
遠藤嘉基「醍醐寺本「密宗肝要抄」「管絃音義」「孔雀経音義...
大矢透『音図及手習詞歌考』大日本図書(一九一八)
岡島昭浩「大矢透以前の「太為尓」」(『国語文字史の研究 七...
川瀬一馬『田中教忠蔵書目録』田中穣(自家版)(一九八二)
木枝増一『仮名遣研究史』賛精社(一九三三)
国立歴史民俗博物館『田中穣氏旧蔵典籍古文書目録』(二〇〇〇)
佐藤誠実「五十音考」明治二十五年(『大八洲雑誌』『大日本...
中田祝夫「解題」(『音図及手習詞歌考』勉誠社)(一九六九)
中山綾子「仮名遣近道」(『女子大国文』三八 一~一三頁)(...
橋本進吉「五十音図」『新潮日本文学大辞典』新潮社(橋本進...
林恵一「谷森善臣著作年譜抄」(『書陵部紀要』第二十三号 ...
古田東朔「音義派『五十音図』『かなづかい』の採用と廃止」(...
馬淵和夫『日本韻学史の研究』日本学術振興会(一九六二)
馬淵和夫「大矢博士の写された『梵字口伝』について」(馬淵...
馬淵和夫『五十音図の話』大修館書店(一九九三)
馬淵和夫『国語史叢考』笠間書院(一九九六)
山田孝雄(一九三八)『五十音図の歴史』宝文館
ページ名: