昨非庵是翁

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じきゃうかう 字鏡考一卷      昨非庵是翁撰

   嘉永五年八月成る、 寫本

 この書、原本内閣記録局の所藏なり、昨非庵是翁は傳を詳にせす、其のうちにいはく、

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一 字鏡集  古寫本  數七冊 此書は、本朝上代の字書にして宜ハ編るさまは、偏傍沓冠に部を分ち、片假名にて悉く和訓を附したり、其和訓は、今所謂古假名といふものにて、もとより年季、序跋も{  なく、撰者の名は記さ"れこも、延喜天暦以前の書なることは明けし、螺 此書もざは余が家玉川文庫の舊藏にて、大本凡竪尺貳三寸・横入九寸計あり澁表
 紙の裏に、古文書の有ける内に、慶長十七年の字,或は堺府の地名寺號など見えだ{
 り、(考ふるに、是もと泉州顯摩寺の藏書なりしを、若州喜多見民、彼府政所だりし頃、.
 傳來し玉ひ・しより、花禪道林君に傳はりて、玉川文庫に収めたり)文化三年丙寅の〜
 夏、此七冊を輪池屋代君の乞に應じて、不忍文庫に讓り級る頃、蠧魚の破れを修補
 するどて、後の考據の種にもやビ、彼表紙のうらの交書を摸寫せしもの是なり、書一
 中、可徴文字左の如し、
  慶長十七年癸子政駈殿     顯本寺是應院   宋壽息女
  大町善壽   南庄折敷の座  宗淳       幽良策公
  善住院    隆以内義    瓔泉坊      道徳公
  友雪     ロ貳公     舜怡       本法院
 仁和寺書籍目録云、字鏡抄六卷(イニ廿卷とあるは、卷數と冊數ごの別なるぺし)と見
 えだり、鋤字鏡集の事をいへるにや、今六本の字鏡抄建いふもの世に傳はらす、奘一
 書鱧、いかなるものにやしらず、又集ご抄ごの差違あり、本數も六七の異みれば、全、
 別本なるぺし、
又いはく、
〔朱書〕按に、七本の字鏡集、不怨文庫に收ももの、屋代君の身罷りし後、藏書壹萬餘本、
みな散逸して今は、いつ方の有と成しやらむ惜むべし、其墓本、壹部は、高田與清が
もとに在よし聞組


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