#author("2020-03-25T23:45:44+09:00","default:kuzan","kuzan") 掲載誌『日本評論』昭和十一年九月号とのこと((青江舜二郎『狩野亨吉の生涯』所収年譜による。)) pp.484-510 狩野亨吉 長谷川如是閑 石原純 桑木厳翼 和辻哲郎 辰野隆 黒正巌 谷川徹三 1936.6の『思想』 での狩野亨吉「天津教古文書の批判」掲載から遠からぬ「昭和十一年七月二十二日」の対談。 >> 今日は「和學・和學者・和書を語る」座談會といふ樣な顯目を決めて居つたのてありますが、さういふことに拘泥しまぜんで、色々なお話を承り度いと思ひます。 << >> [[狩野文庫]]の話 日本的学問とその特性 徳川時代の大学者 日本及日本人について 草双紙と××((春画なるべし。「狩野 それはどこへ行ったか分りませんがね。東北大學に金を出した人は荒井泰治と云ふ方で私の死んだ兄([[狩野元吉]])と一緒に毎日新聞社に居たことがある人です。仙臺の當時の總長の澤柳さん(沢柳政太郎)は要らないと云ふ。其次の北條さん(北条時敬)はそれは惜いことをしたと言ひました。」))の話 碁と天才 科学的鑑定法の話 狩野博士の天津教爆撃 << 2017年現在の著作権残存者、谷川徹三・長谷川如是閑の発言を削除したものを「うわづら文庫」で公開。 https://app.box.com/s/7n083tef9694yk5b8dhdkijjp8ny0wku