#author("2023-07-10T13:30:09+09:00","default:kuzan","kuzan") [[山崎豊子]] 「魚崎の自宅を改造した洋裁教室から、無理してでも、ちゃんとした洋裁学校を建てたいと云いはったのは、どなただす。銀行で借金して造ってはる建物やおまへんか、細《こま》こう、きつうに値切らんとあきまへん、まあ、僕に任しておくなはれ」 二十八歳の銀四郎が、崩れないきれいな[[大阪弁]]を喋り出すと、式子は何時も奇異な感じを受けた。さすがに自分のことをわいというほど古風な[[大阪弁]]にはなりきれぬらしく、当世風に僕といったが、その違和感がまた銀四郎の妙な個性になって生きていた。見方によってはその個性的な[[大阪弁]]で、巧みに複雑な交渉ごとを捌いているようでもあった。 「やっぱり、なかなか一筋繩ではいきまへん、はじめのうちは、ぬけぬけと空とぼけた返事をしてましたけど、見積書を突きつけ、タイルとブロックの数を一々、数えたてたら、さすがにへこたれて来て、九万円、はき出しよりましたわ」 例の舌の上からすべり出るような滑らかな大阪弁で話すから、こんな金銭ずくの話も、銀四郎の囗から出ると、いやらしいえげつなさが無くなる。 「男の人、いはれへんより、いはる方がええやないのん。気強うて──」 まだるい[[大阪弁]]で云った。富枝のまだるい大阪弁は、授業に差支えるからと、式子がいくら注意しても直らない。この頃では、もう式子の力が根負けしてしまっているが、今日のように倫子とかつ美の神経がとげとげしい時は、富枝の[[大阪弁]]が思わぬ緩和剤になる。 羅紗問屋の深い奥内で、式子は、言葉遣いから食事の仕方まで、船場のしきたりと囚習を守ることを強いられた。 家内では許されなかったが、一歩、家から外へ出ると、大阪弁を使わず、きれいな標準語に変えることに腐心した。 洋装に洋風の部屋、そして標準語を使う生活の分量が増えるに従って、 「どうして。先生は、そない船場を嫌いはりますのん。私みたいに天神橋あたりの普通の商売人の娘に生まれた者には、船場は憧れの土地ですわ。それに、先生は、戦災で家が焼けると、さっさと郊外住いで、言葉まで、きれいな[[船場弁]]を使いはらず、関東風の[[標準語]]を使いはって、ほんまにけったいやわ」 銀四郎がきれいな大阪弁で喋り続けると、安田兼子は、急に言葉を少なくして、用心深く身権え、 地元の市会議員は、名刺と顔を見比べながら. 「ところで、この頃、あなたぐらいの若さで、ちゃんとした大阪弁を喋る人が皿くなりましたなあ」 と、妙な嘆声を洩らした。 銀四郎は、何時もと同じような滑らかな[[関西訛]]で司会した。生徒たちは、その見収らない[[関西訛]]と、ダークスーツに蝶ネクタイという気取った対照的なスタイルが好奇なのか、伸び上るようにして見る者もあった。 柔かい大阪弁であったが、部屋の中が冷えていくような凄みのある声たった。 「いややわ、先生、人の寝顔を見はって──」 不意に、富枝が体を起し、甘い大阪弁で式子を睨んだ。(中略) 「そやから、しゃれたお洋服を着ても、ちっとも着ばえがせえへんし、損やわ」 富枝は鼻にかかった間怠い大阪弁で云った。 「損なのは、富士額より、そのきつい大阪弁よ、もう少し、何とかならないものかしら──、せめて、学貶の教壇の上で話す時と、東京で新聞や雑誌関係の人と喋る時ぐらい、普通の標準語にならない?」 式子が、やや厳しい口調で云うと、富枝は、一瞬、困ったような顔をしたか. 「それだけは、なんぽ、先生に云われたかで、直れしまへんわ、私は、大阪弁で云えへんかったら、舌に鉛が着いたみたいに舌が重うなって、動けしませんねん.それに、私は、なんで、先生がそない大阪弁をいやがりはるのか解れしまへん。この間から、私はずっと、東京でも、大阪弁で通してますけど、誰もけったいな顔をしたり、笑いはれしまへん.それよか、かえって、女らしい言葉やと褒めてくれはりますわ」 富枝は、反証を突きつけるように云ったが、それがまた、式子にとって不愉快な反証であった。大阪弁が女らしいとか、艶めかしいとかいわれる度に、大阪を鑑賞して楽しんでいる東京人の妙な優越感がちらついて、嫌味だった。