#author("2020-12-10T01:40:15+09:00","default:kuzan","kuzan") [[森崎和江]] 悲しすぎて笑う 女座長[[筑紫美主子]]の半生 #amazon(4167493012, , ) >> 「佐賀市に住んでいました私が他県にでまして、はじめてお芝居しましたのが、中間のお隣の香月村でした。まあだ戦争中です。あそこで[[佐賀にわか]]をいたしました。それこそ福岡県にでてはじめての舞台だものですから、私ははりきってしかかったのですよね。 そうしたところが、お客さまが、しらーっとしていらっしゃいます。しばらくして『そりゃどこの芝居ね、シナの芝居ね』と聞かれました。『なーんもわからんよ』と言って、ぞろぞろ帰って行きなさったとです。男の方も、おばあさんも、子どもさんも。 次の日は化粧して待っとりましたが、一人もみえません。それこそ猫の子一匹きません。佐賀弁が通じませんのです。 さあ、どうするか……お芝居しなければ食べられません。興行師さんの腹立てて腹立てて叱りとばしなさるばってん、どうもこうもなりません。佐賀にわかは佐賀弁でなしゃあ、面白くもなんともないとですもの。方言の面白さで笑わせるお芝居ですもの。 それが言葉が通じないとなら、どうもこうもならんとです。たった県いっちょちごうただけで、こがん言葉の通じんとは、知りませんでした。 さあ……、どがんして食べよう、と、頭かかえました」 そして翌日、中間の町の劇場に入ったというのだった。 ここでは佐賀にわかはせずに、時代劇と人情物をした。どちらも共通語のせりふなので何事もなく終った。 けれども筑紫美主子劇団の売物となる芝居は佐賀にわかである。 <<