有吉佐和子

和歌山弁会話

朋子は耳なれない東京弁にすっかり緊張して言葉を失い、ただ首肯いたり首を振ったりで受け答えしていた。

初対面の女、しかも東京弁という横で緊張したまま眠ってしまったのは、朋子の幼さというものだったろう。

朋子の耳にきこえてくる声の調子は、まるで怒ってでもいるような威勢のいい東京弁だった。

 東京にいる毋親がもう東京弁を使っていようとは、朋子のように幼くなくても想像できなかったに違いない。前の東京住まいの経験がある敬助でも依然として古里の言葉つきを失っていないのに、郁代は環境に順応しやすいのか、見事に豹変していた。それは東京育ちの人の耳には奇異な音に聞こえる半端な東京弁であったけれども、ともかく郁代は得意げに夫にも朋子にもその言葉を投げつけて恥じなかった。

彼女は、朋子の田舎弁にはらはらしていた。まわりで躰を流している女たちが、一瞬話をやめて聞き声をたてたのに気がついたからである。
「朋子、和歌山弁は使わないようになさいよ。でないと学校で馬鹿にされますよ」

敬助の和歌山弁は一向に改まらなくて、ようやく東京弁になってきた朋子の言葉をよろめかした。

 もう一つ朋子が驚いていたの‘は、郁代の言葉遣いであった。吉原の近くで、俄かに江戸ッ子弁を操り、再度東京へ出て来たときにぱ静岡の遊廓で習い覚えた荒んだ言葉を使っていた郁代が、生まれ故郷のこの西ノ庄村へ帰ると途端から見事に紀州弁に舌の先が舞戻ってしまったのだ。

第十二章
「今度、東京へ戻ってきても、郁代の和歌山弁は改まらなかった。ようやく当人が、関西なまりの言葉の甘さを、意識して使い出しているのであった。朋子に対して、毅然とした母親らしい態度を失っていても、関西弁なら不自然ではないと、郁代は思ったのかもしれない。

第十三章
和歌山弁から東京弁に豹変したかと思うと、また和歌山弁に戻ってしまった郁代。

東京弁で感嘆したあと、
「ほんまに、ええわ」
 和歌山弁で納めるように云って、

関西の女名前を呼ぶアクセントは、東京と大違いだから、女中が聞き違えるのも無理はなかった。

郁代の言葉には朋子の大嫌いな大阪なまりが耳だち、紀州弁の優しさから、ひどくどぎつく粘つこい口調に変っているのが、朋子にはやりきれなかった。

「ああ、ごっそでした。沢山頂いたわよし」
 紀州言葉大阪弁がまじって、郁代の言葉は、すっかり脂こいものになっていた。朋子の親愛をこめた言葉は、それで台無しになってしまったのだけれども、

「もみじが、美《う》っつい」[…]
 美っついというのは、紀州弁でも古語になってしまった言葉である。おそらくは郁代自身も滅多に使ったことはなかったのであろうに、このとき無意識に囗をついて出だのではないだろうか。

郁代ほどひどくはないけれども、安子の言葉の端にも紀州なまりがあって、それがどこか投げやりな安子の性格を物語っていた。

賑やかな和歌山弁を撒き散らすようにして入って来たのは岡本楼の女主人であった。


トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS