【國語のアクセント】現代日本語のアクセントは、東京語・京都語などで調査した所では音の高低によるものである。東京語に関する佐久間鼎氏の研究によれば、高低関係は上中下の三段の區別があり、一音節の語に於ては、
(一)上
(二)下
の二種、二音節の語に於ては
(一)第一音節上第二音節中(これを上中と書す。以下これに同じ)
(二)下上
(三)下中
の三種あり、以下、三音節の語には四種、四音節の語には五種、五音節の語には六種ある。
一音節 二音節 三音節 四音節 五音節
上 上中 上中中 上中中中 上中中中中
下 下中 下中中 下中中中 下中中中中
下上 下上中 下上中中 下上中中中
下上上 下上上中 下上上上中
下上上上 下上上上上
佐久間氏は単語に於けるアクセントの形式をアクセントの型(かた)と名づけ、型の似たものを合して式(しき)と名づけて、上中型、下中中型など呼び、下中中の如き「上」のなキものを平板式とし、「上」あるものを起伏式とした。単語のアクセントは、助詞を加へる場合には多くは變化しないが、活用や、品詞の轉換等によつて變化する事がある。併し多くの場合には全體として型又は式を保存し、もとのアクセントと同型又は同式になる傾向がある。アクセントは方言によつて異リ、京都の方言では、東京語より多くの種類があるやうであるが、同一の方言内では定つたものである。
【國語アクセント研究史】
〔明治以前〕我が國でアクセントに注意したのは、漢語に接してそのアクセント、即ち平上去入の四聲を學んだに始まる。これより、日本語のアクセントを観察して、上、去などの文字でこれを示すことが、奈良朝に始まつた(古事記「宇比地邇上神」「須比智邇上神」など)。平安朝に入っては、漢字音の平上去入の別を漢字の四邊に點をつけて示すやうになったが、國語についても、日本書紀の如き漢文の國書中の萬葉仮名又は承暦三年に出来た金光明最勝王經音義の如き萬葉仮名で訓を示したものに聲點をつけて、語のアクセントを示したのみならず、漢文の訓を示す爲めに用ひた片假名にも點をつけてアクセントを示すやうになり、これが平安朝に出来た類聚名義抄や色葉字類抄の如き辭書を初め、その後もこの系統を引いた辭書の訓に行はれてゐる。又「古今集」の歌の難讀の所に、聲點を附したものが、「古今集」の寫本や、註釋書(順昭の「古今集註」の如き)にある。さうして顯昭や仙覺の如きはアクセントが語義によつて變り、又複合語に於て變化する事を注意してゐる(袖中抄・萬葉集抄)。室町時代には、能樂師がアクセントに注意し、複合語の場合に變化するのみならず、又方言の差によつて相違がある故、田舎訛を注意すべき事を述べてゐる(竹集)。この書には、アクセントを謠曲の譜で示してゐるが、元禄八年の蜆縮凉鼓集にも、同じ方法で、地方によるアクセントの差を擧げてゐる。一方佛教聲明の側で、漢語の四聲をつたへて、正式に漢語のアクセントを區別して發音し、講式のやうな、訓讀して諷唱するものは國語の傍にも墨譜(博士)を加へてその高低抑揚を示し、自然そのアクセントに注意するやうになったが、江戸時代には、論議等に用ひられる語をいろは順にあつめて、聲明のフシハカセでアクセントを示したアクセント辭書ともいふべきものが出来た(根來寺出版の「開合名目抄」、觀應の「補忘記」など)。これ等は比較的進歩したもので、漢字の四聲をもフシハカセで分解して示し、日本語は音節毎に音の高低を示してゐる。契沖が日本語に平上去の三聲ある事をとき、又複合語に於て、アクセントの變動ある事を指摘したのも(和字正濫抄巻五)この種の知識に基づくものと考へられる。又江戸時代の支那語所謂唐音の流行によつて、その時代の支那語に於ける四聲を學び、これによつて日本語のアクセントを考察し、平上去の三聲ある事を指摘したものもある(文雄の倭字大観抄など)。
〔明治以後〕明治以後、西洋の語學が輸入せられると共にアクセントといふ事を學んだが、山田美妙齋は、日本語のアクセントについて考察し、その著日本大辭書(明治二十八年刊)に於て所収の一々の語にそのアクセントを註したのみならず、その附録に日本音調論を發表して、東京語に、全平・一上・二上等の型がある事を明かにし、活用する語のアクセントをも考へて、一定の法則ある事を論じた。これは獨創に富んだ觀察であつて、全平は平平、一上は上平、二上は平上であるから、つまりアクセントに上と平との二種の別ある事をみとめたのである。外國ではマイヤー氏(A.Meyer)がウプサラ大學で、アクセントによつて意義を區別する同音の日本語について、機械による實檢を行ひ、日本語のアクセントは音の高低の差によるものである事を明かにしたが、我が國でも神保格氏が東京語のアクセントが高低関係によるもので、高低に三段の區別がある事を明かにし、佐久間鼎氏は機械によって東京語のアクセントを調査して、高低の差がある事と、これに三段の區別がある事を證明した(大正四年雑誌「心理研究」所載、「日本語のアクセント」)。大正三年及び四年に露国人ポリヴアノフ氏(Polivanof)來朝し、機械によって實檢し、東京語のアクセントの高低二段階あることを明かにし、山田美妙齋の説を賛した。その研究は一九一五年。ペトログラードの學士院紀要に発表せられた。井上奥本氏は、近畿方言の研究によって、各音のアクセントに上聲と下聲と節(ふし)の三つを認めた(これを●〇▼で現はす)。節とは一短音の時間内に調子の急降するもので、その次に来る助詞が下聲になるものである。これによって、語のアクセントの種類が増加する。即ち二音節では
(一)●●
(二)●▼
(三)●○
の三種、三音節では
(一)●●●
(二)●●〇
(三)●○○
(四)●●▼
の四種となり、一語は皆同じ高さか、又は高い部分とそれよりも低い部分との二つの部分から成る事となる。井上氏はこれを框《かまち》式とと名づけ、佐久間氏等のを起伏式と名づけてこれと區別した。同氏は、過去の文獻に見えるアクセントをも研究し、同氏の式によって脱明した(大正五年國學院雜誌所載、語調原理序論)。佐久間氏は、品詞轉換や複合詞等に於けるアクセントの變化をも觀察して、アクセントの型保存、式保存等に研究をすゝめた。最近方言のアクセントにも注意するやうになり、アクセントによる方言區劃の考察の試みなどもあらはれるにいたつた。(増補参照)
【參考】国語音聲學 神保格
○日本音聲學 佐久間鼎
○日本のアクセント研究史 東條操(國語教育大正七ノ七)
○東京語のアクセントに関する外国人の研究 東條操(國語教育大正五ノ九)
○日本語調學小史 井上奥本(音聲の研究第二輯)
○日本語調學年表同上(同上)〔以上橋本〕
Div Align="right">新潮日本文学大辞典 (神保格・)橋本進吉</Div>
国語学辞典 金田一春彦・和田実
国史大辞典 小松英雄
国語史辞典 西田直敏
国語学研究事典 佐藤亮一(音韻) 桜井茂治(音韻史)
(日本語学研究事典は国語学研究事典に同じ)