全集21による
p.22 工藤は福岡県朝倉郡の生れだった。小学校は土地だったが、中学校は福岡の中学を出ている。一年生からずっと首席をつづけていた。それで言葉に九州訛がある。言葉だけではなく、その顔つきも、いかにも九州系らしい、色の黒い、唇の厚い若者だった。
p.36 「このたびは、ぼくのために、先生や学校に大そうご迷惑ばおかけして申しわけのございません」と、九州訛を交えて、深く頭を下げた。
p.56 米村は九州弁で工藤に話しかけた。
p.66 ひどい東北訛だった。
p.77 米村もこういう場所に来ては東京弁を使う。
p.79 酔った米村が、九州弁で云ったのはこうである。
p.83 「あら、それ、どこの言葉?」と、米村が急に云い出した筑後弁に朝霧と仲居は笑いこけた。おいたちは九州たい」「西郷どんのとこですか?」と、仲居がまぜ返した。
p.91 少し言葉に訛があった。
p.93 さっきの妙な訛は土佐弁と分った。
p.96 酔うほどに土佐弁がひどくなってきた。奥宮健之の土佐弁では話がまどろこしいから、そのあとを要約すると、次のようなことになる。
p.114 奥さんには博多弁の訛がある
p.118 言葉に、東北の訛があった。(吉野作造)
p.119 小山は東北訛で云った。
p.120 小山東助は東北弁丸出しでしゃべりはじめた。
p.164 長州訛で扉をあけて入ってきたのは山県有朋でなく伊藤博文
p.291 長州弁で飯野に云った。