横溝正史 小説
獄門島にたった一軒しかない床屋の親方の清公は、横浜に長くいたというだけあって、江戸弁が自慢らしかった。しかし、その江戸弁たるや、金田一耕助の東京弁同様、はなはだ怪しげなもので、多分にスフが入っている。
舌たらずの標準語も、いかにもしゃべりにくそうで気の毒だった。
俳人特有のひねった文字は、さながら、五月雨の泥をのたくるみみずの跡のごとく、尾頭定かならずで、いっこうちんぷんかんぷんである。