三好十郎

『日本国民文学全集33現代戯曲集』河出書房新社



 現代

 貧しい農家の縁側を中庭の方から見たところ。

緒方次郎 (盲目。廿五歳)
同 末吉 (その弟。十七歳)
夏  子 (次郎の許婚。廿四歳)
儀  八 (びっこの老人。六十過ぎ)
慰問の人々。指揮者。青年団の団員達。
女学生。女生徒達。老人。中年の百姓。
老婆。若い婦人。その他の有志。

静かな農村の午後。縁側の陽のあたった障子を背に、洗いさらした手織の着物を着た盲目の次郎があぐらで坐り、その前に汚れた服の末吉が万年ペンを持ち縁側にひろげたレタアペーパーの上に蔽いかぶさるようにして、兄がいうのを待っている

!--末吉 ……はい、いいよ、兄さん。
次郎 レタアペ!パi持って来たか?
末吉 うん。
次郎 ……チョット待ってくれ。今考えてる
 んだ。
末吉
次郎
末吉
次郎
末吉
 んだなあ、
 手紙を書いてくれた人は、
 婦さん?
次郎 うむ……(何か思い出している)
末吉 一年間ズーットだからなあ、親切な人
 だねえ。それに、字がうまいとそれを書い
 た人まで綺麗な人の様な気,かするからトク
 だねえ。綺麗な人だろ?
次郎うん、同室の連申はそういっていた
 ……とにかく声は綺麗な人だったよ。
末吉 ……(ハッとして兄の顔を見上げてか
 らドギマギする)僕あ、僕あそんな……チ
 ェッ悪い事いっちゃった、畜生!
 次郎(ニコニコして)いいんだよ、末吉。自
しかし僕あ字が下手だよ。
読めるにゃ読めるんだろ?
チェッ、なあんだい字は字だい!
そんなら、いいさ。ハハハ、怒るなよ。
怒りゃしないけどさ。……だけど、な
   兄さんが病院からよこしていた
          うまいね。看護
 分でさえ、寝起きなんかにウッカリ盲にな
 っているのを忘れていたりする事があるん
 だものなあ。
末吉 ……かんにんしてくんな、兄さん。
次郎 いいんだったら。ああ、三番の上りが
 通る。
  (列車の通過する音が微かにして来る)
末吉 ……(まだしょげて、列車の音が遠く
 消えて行くのを、聞くともなく聞いている)
次郎 ……どうも、なんだか、気のせいか知
 らんが以前よりも汽車は重くなったよう
 だ。貨物や乗る客が多くなったのかな。
末吉 音を聞いて、そんな事がわかるの?
次郎 わかるよ。……(少し離れた所で鶏が
 コケッコ、コケッコ!とけたたましく鳴き
 出す)ああ裏の家で鶏が卵を産んだ。
末吉 (やっと微笑を取戻して)さあ、書こう
 よ。
次郎 うん。……(まだ耳をすましている)
 谷の儀八爺さんの水車は、まだ水受けの箱
 が一つこわれたままだなあ。チョットなお
 しゃいいに、爺さん、いこじだからな。
末吉 そんなもの聞こえやしないじゃない
 か。
次郎聞こえるよ。
末吉 嘘いってら。あんなに離れているの
 に、此処まで聞こえるわけがない。谷の水
 車だぜ?
296


次郎 だから、谷の水車さ。ギー、ゴトソ、
 ギーゴトソ、それから、チョット間があっ
 て、ギーギーといってからドサソというん
 だ。ほらね。
末吉 そうかなあ。……(一心に耳をすます。
 聞こえないらしく、縁板に耳を押しつける)
次郎 ……(ジッと聞き入っている)
  (間。……四辺はシーンと静かである)
末吉 (顔を上げて)駄目だあ。遠くの方でキ
 ーキーというような音はするけれど、何だ
 か、よくわからん。
次郎 眼あきの悲しさだな、ハハ。実は俺も
 眼が見えていた頃は聞こえなかった。
末吉だけど、昨日あたりから、兄さんそん
 な事ばかりいってるじゃないか。音がそん
 なに気になるの?
次郎 気になるんじゃない、なんだか、なつ
 かしくってしょうがねえんだ。俺あ、六年
 ぶりで、村の音を聞きに帰って来たような
 もんだからな。でも、亠米る前に想像してい
 たより、もっとズット良いもんだなあ、生
 れ故郷の音というものは。
末吉 でも、これからいくらだって聞けるの
 に。第一、兄さん戻って来てから十日の上
 もなるのに、急にそんな事いうの変だよ。
次郎だって、こうして一人で静かにして置
 いとかれるのは、やっと昨日あたりからだ
 ぜ。来てくれるのはありがたいけど、親類
 や村の人達が、あんなに次々とやって来て
 くれるのも、チョット迷惑だよ。
末吉 みんな兄さんに対する気持から来るん
 だよ。青年団でも、何かしようと今相談し
 ているらしいや。……とにかく、みんな誠
 心誠意なんだから。
次郎 そりゃ、わかってる。俺みたいな者を、
 それ程考えてくれて、済まんと思ってる。
 しかし、当分ソッとして置いて欲しいんだ。
 俺なんかにかまわないで、ソッとして置い
 てほしい。ほかにする事がウソとある時
 だ。……それに、いくら同情されたり、い
 たわれたりしても、これ、どうにもなるも
 んじゃないんだ。……自分の量見だ。自分
 の量見は、俺だけで、俺一人でなんとか片
 をつけないじゃ、これどうにもならん事だ。
 そいつが何とかならんと、出るにしても引
 くにしても、なんともならん。・…-盲にな
 ったのは、この俺だ。他人じゃないんだ。
末吉 そ、そ、それ、兄さん、それ、どうい
 う意味なんだよ? そんな風に、兄さんが、
 変に一人ぽっちみたいな気になるの、僕あ
 i(少年らしく昂奮して突っかかるよう
 に)僕あ、そいじゃ、どうすりゃいいんだ!
 そんな、そんな風に兄さんがi
次郎 いいよ、いいよ、末。わかってる。お
 前の気持はわかってる。相変らず直ぐムキ
 になるなあお前は。(微笑にまぎらして)ハ
 ハハ、臣岬肅庇だよ。
末吉 だってさ……、
次郎 さてと、じゃ、書いて貰うかな。いい
 か? ユックリいうからな。
末吉 (まだ口の中でブツブツいいながら紙
 の上にかがみ込む)うん。
次郎 俺のいう通りに、黙って書いてくれよ
 な。どんな事を俺がいっても口出しをしな
 いでソックリそのまま書くんだよ。いい
 な?
末吉 いわない。いつも、なんにもいやあし
 ないじゃないか。
次郎 よしよし。……わからん字はひらがな
 でいい。……いいかい?(考え考え口述を
 はじめる)
 『その後も、お元気で働いていられる事と思
 います。……(少し待っていてから)この
 間来て下さった時も、その前の時も、いつ
 もいろんな人が来ていたために、何も話が
 出来ず残念でした』……いいか?……(末
 吉は夢中に書いている)『先日から僕の所
 に来てくれる人で、いつも黙っているのは
 谷の水車の儀八爺さんとあなたの二人だけ
 です。餞八爺さんの黙り屋は昔からの癖だ
 から、不思議には思いませんが……あなた
 が殆んど口をきかれないのは、なんとなく
 気にかかります』
末吉 ほ、と、ん、ど……。誰に出すのこの
 手紙?
次郎 そらそら、今いったばかりだぞ。驢
さの音

297


末吉 口出しとは違うよ。それに、しまいま
 で書けば、どうせわかる事じゃないか。
次郎 だから、いいじゃないか。黙って書け
 よ。……『家の者に遠慮なさっているため
 とも思いますが、……遠慮だけでなく、何
 か考えていられる事があるためではないか
 という気もするので、今日は弟に頼んで、
 少し長い手紙を出します』
末吉 (書きながら)……いられる事がと、あ
 るためではないかという気も……廻りくど
 いなあ。
次郎 そこで行を変えてくれ。……『僕も、
 こんな風になってから、二年近くなり、近
 頃ではスッカリ馴れて気持も落着いていま
 す。盲目の世界も、はたで考える程不自由
 なものでも、寂しいものでも、ありません。
 :…・それに皆が自分に対して、あまり良く
 してくれます。ホントに、自分を顧みて、
 ありがた過ぎる気がします』……あまり早
 すぎるか?
末吉 ううん、大丈夫だ。……(ペソの音を
 響かせて書き取って行く)
次郎 ……,『特に家の者が、僕に心配をかけ
 まいとして、タソボの仕事や家計のことで、
 僕には知らさぬようにして、一所懸命にな
 っているのが、すまなくて、たまらなくな
 ってしまいます。父は唯一つの楽しみの晩
 酌も、やめてしまったらしいです。……父
 も兄も嫂も今日も早くから、畑に出て行き、
 弟も、これを書き終れば行くといっていま
 す。……兄も嫂も、身体が弱く、兄はジン
 ゾウが悪いし、嫂は妊娠中です。……以前
 の通りに僕が中心になって、畑仕事をやれ
 さえすれば……』
末吉 (セッセと書取っていたが、不意にカラ
 リとペソを置いて)いやだ、俺あ! チェ
 ツ,●
次郎 どうした? 何がいやだ?
末吉 こんな事、なぜ書くんだい?
次郎 なぜって、……俺の思っている事を、
 正直に書いているんだからi
末吉 兄さんが、なぜそんな風に思う必要が
 あるんだ? お父つあんにしたって、兄さ
 んにしたって、嫂さんにしたって、そんな、
 兄さんがこうしているからって、何も無理
 をして働いているんじゃないんだ。僕な
 ぞ、兄さんのことをーこれから僕が兄さ
 んの分まで働く気でいるんだ。そいでも家
 が苦しけりゃ、町へ出て職工になってもい
 い。それを、それを兄さんのいう事を聞い
 てりゃ……俺あ、いやだ、そんなの!
次郎 そうじゃないんだ。そうじや1
末吉 そうだよ! なら、なぜそんなに済ま
 ながるんだ? 全体、兄さんは、自分の眼
 がなんで取られたんだと思ってんだ!(兄
 が口をはさもうとするのをいわせないで押
 しかぶせてロをとがらせていい続ける)も
 っと、何もかも僕達にまかせて、兄さんは
 ノソキにしてりゃ、いいんだ。なんかした
 くなったら、どっかへ行きたくなったら、
 俺がおぶって行く!
次郎 (少年らしい生一本な弟の愛情をかわ
 しかね、へきえきして片手で空中を掻きま
 わしながら)いいよ、いいよ。俺が悪かった。
末吉 全体、誰に出す手紙か知らんけど1
次郎 もう、いいったら! じゃ今んところ
 取消しだ。(微笑)いや、皆があんまりヤイ
 ヤイいってくれるんで、固くなっちまうん
 だなあ。
末吉 固くなる必要なんかないよ。ノソビリ
 歌でも歌ってりゃいい。
次郎 ハハ、歌か。……だってお前だって.
 固くなってやしないか? お得意の馬鹿囃
 し、まだ一度も踊らんじゃないか?
末吉 ひょっとこ踊りなんか、つまらんよ。
 ……(考え込んでうつむいている)
次郎 ……踊ってくれても、俺にゃ見えん。
 お前が踊らないわけは、それなんだ。ハハ、
 まあいいさ。……儀八爺さん、笛は吹いて
 るかい?
末吉 ……吹かん。いつも腰に差しちゃいる
 けど。……
次郎 儀八爺さんの馬鹿囃しも聞けんと……
末吉 ……しかし、なんだな、お爺さんの黙
 り屋の変りもんには今に始まった事じゃな
 いけど、どうしてああマジマジと兄さんの
 顔ばかり見ているんだろうな?
298


次郎 そんなに見てるか? ……今日もそこ
 いらに来て、坐ってるんじゃないか?
末吉 (その辺を見まわして)いや、今日はま
 だ来ない。
次郎 なんしろ、足音も立てないでやって来
 て、石ころの様に黙ってるんだからな、い
 るかいないか、わかりゃしないや。……さ
 て次を書いておくれよ。
末吉 よし、じゃ今んとこ消すよ。(ガサガサ
 消す)
次郎 すると、どこから続くんだっけ? 見
 ろ、お前がグズグズいうもんだから、ゴチ
 ャゴチャになっちゃった。
末吉 もういわん。……ええと、『自分を顧み
 て、ありがた過ぎる気がします』の所まで
 だ。
次郎 まあいいや。……いうよ。行を変えて
 くれ。……『瞑が見えなくなってから、僕
 には、今まで見えなかった事が、いろいろ
 見えて来るようになりました。……皆が同
 じく僕に良くしてくれるうちにも、それぞ
 れのやりかたが、いかにもその人でなけれ
 ばしないような、やりかたがあることに気
 が附いて、面白いと思います。……谷の水
 車の儀八小父さんなど、毎日のようにやっ
 て来てくれても、何一言僕に声をかけるで
 はなし、ただ遠くの方から僕の顔をマジマ
 ジと見守っているだけだそうです……』
  (いっている所へ、白い粉をかぶったハン
  テソ着に藁草履を穿き、ひどいピッコを
  引いた爺さんが、火の消えた煙管をくわ
  えたまま庭を廻って出て来て、二人の方・
  を見ながら縁側のズッと端の方に音もさ
  せずに腰をおろす。腰に差している古い
  横笛。態度も顔付もノソビリした老人だ
  が、言葉を忘れてしまったように最後ま
  で無言だし、それに、感情を顔に現わす
  という事がなく、まるでお能の面の様に、
  ほしかたまったような無表情である。僅
  かに眼の色だけが時に明るくなったり暗
  くなったり、稀れに笑いのような影を現
  わすだけだ。今も、その暗い眼つきで次
  郎の顔をジッと見ながら、不自由な脚を
  いたわるように縁側にあげて、あぐらを
  かいて坐る。猫のように音を立てないの
  で、次郎は勿論気が附かぬ。末吉も夢中
  で筆記しているのと爺さんの坐った位置
  が末吉の真後ろのズッと離れた所なの
  で、気が附かない。……この間も次郎の
  口述はポツリポッリと続いている)
次郎 『……小さい時から、僕は小父さんを好
 きでした。小父さんも僕を好いていてくれ
 ました。……そして、小父さんは、今、僕
 の事を心配してくれているんです。……昔
 の自分の身にひきくらべて.、僕の気持の据
 え所のことを……僕が自分の量見をどんな
 風に据えるかと、ハラハラしながら心配し
 てくれています。……小父さんが一言もい
わなくても僕にはそれが手に取るようにハ
ッキリとわかります。……小父さんは、馬
鹿囃しの笛の名人で、村の小若連が茶番狂
言の稽古をする時には、いつも笛を吹いた
ものですが、近頃ではブッツリと吹かなく
なったそうです。……僕の所に来てくれる
村の入達は皆、僕を激励してくれたり、慰
めてくれたりしますが、小父さんだけは、
そんな事は一言もいいません。……黙り屋
のせいだけではないのです。小父さんに
は、そんな事はいえないのです。僕のこと
をシンから心配すればする程なにもいえな
いのです。(末吉は懸命に書き取っている。
       あたり
そのペンの音が四辺の静けさをかえってハ
ッキリさせる。儀八は煙管をくわえたまま
次郎をマジマジ見守っている)……小父さ
んは僕を見ていると、自分の古疵が痛むの
です。小父さんには他人事ではないので
す。……儀八爺さんは日露戦役の傷兵です。
脚と、それから腰もやられているそうです。
なんでも疵が治って帰って来てからも、永
い間腰が立たなかったそうです。村では、
かなり良くしてやって、腰が立つようにな
ると、百姓仕事も出来まいというので、皆
で水車を建ててやったりしたそうです。ボ
ツボツ働いていさえすれば、食べて行くの
に不自由はなかったと思います。……しか
し時勢も今とは違っていたらしく、三年五
年と日が経つ内にはつらい事もあったらし
の音


299



 いです。それまで一緒に暮していたおかみ
 さんと夫婦別れをしたのも、その頃だそう
 です。子供が出来ないからというのだった
 そうですが、ホントの事はわかりません。
              き
 ・:…小父さんが急に人と口を利かなくなっ
 てしまったのも、その時分からだそうです。
 ですから、小さい頃から僕のおぼえている
 爺さんは、黙りこくった男で、笛ばかり吹
 いて、僕等を相手に馬鹿囃しを教える時位
 にヤットにこにこしていました。……僕は
 今度村へ戻って来て、ヤットその頃の小父
 さんの気持が身にしみてわかるようになり
 ました。……ひがんで見たり、ひねくれた
 り、うらんだり、又、悲観する気持ではあ
 りません。そんなものではないのです。僕
 にはうまくいえませんが、……つまり、生
 ・きて行く上の腹がまえがスッカリ変ってし
 まうんですから……今までの量見が、根こ
 そぎなくなり、そんなものが、なんの役に
 も立たなくなってしまうのです。……つま
 り今後生きて行く上での安心立命というか
 ー』……(言葉をとぎらせて考えている。
 その盲いた両眼が儀八の方を向いている)
末吉 ……(セッセと書きながら)なんの役
 にも……安心リツメイのリツというのは?
次郎立つという字だよ。立つ命だ。{・…-い
 や、そこんとこ消してくれ。僕にはうまく
 いえませんがの所から消してくれ。
末吉 うん……(消す)そいから?
次郎 ……『今も、小父さんの水車の音が僕
 には聞こえて来ます。しっかりしろ、早く、
 立ち直ってくれ、俺のようにはなるな、俺
 のようにはなるな……小父さんが心の中で
 そう念じてくれているのが、僕には手に取
 るようにわかります。……ありがたいと思
 います。……しかし、僕は馬鹿なのか、又、
 特別に我慾が強いのか、いつまでたっても、
 僕の腹はホソトにきまりません。……病院
 でもお願いして、真宗の講義やキリスト教
 の説教も何度も聞かせていただきました
 し、それから、禅宗の偉い老師がニヵ月も
 来て下さって話して貰った事もあります
 が、結局、迷いが取れません。……何かわ
 かるような気がする時もあるが、もう少し
 の所で、わからなくなってしまいます。
 ……僕はもともと生れつき馬鹿なのでしょ
 う。それが眼が見えたころは気が附かずに
 いられたのが、盲目になったために、急に
 飛び出して来たのだと思います。……戦争
 のためではありません。僕はおそかれ早か
 れ、こんな馬鹿な自分の正体にぶっつかっ
 て、迷って苦しまなければならない性質を
 持っていたのです。つまり運命なのです。
 ……どんなに苦しくとも、僕は宗教だとか、
 他人の手を借りずに自分一人の力でこの運
 命と戦って行かなくてはならないのです。
 ……それだけの決心はつきました』
末吉 ……ホソトに、これ、誰に出すんだ?
次郎 黙って書いてくれ。頼むから黙って書
 いてくれ。
末吉 だって、こんな事書かなくったって、
 いいじゃないか。
次郎 書かなくちゃならんのだ。それを書か
 んと、後の話がわからんのだ。
末吉 そんなら、その人にごんだ会った時話
 せばいい。
次郎 口ではチョットいえねえんだよ。……
 お前書くのがいやか? いやなら、ほかの
 人に頼む。
末吉 いやじゃないけど、つらいんだよ。僕
 あ……僕あごんだけ兄さんの事を思ってい
 るのに兄さんの苦しい気持を半分でも分け
 て貰えねえと思うとー。
次郎 ハハハ(寂しく笑って)馬鹿なことを
 いう。……とにかく頼む。こりゃ大事な手
 紙だから。
末吉 ……(しぶしぶ又紙の上にかがみ込む)
 そいから?
次郎 行を変えて。……『ただ、今まで生き
 る上のメドにして来たものを根こそぎなく
 した所から、生きて行かなければなりませ
 ん。どうして見当を附けて行けばよいか?
 ……眼の事ではありません。自分の量見の
 ことです。……僕には何もかも、よくわか
 らないのです。ただ、僕にわかっている事
 は、今迄自分が持っていると思っていた物
 を一切合切捨ててしまって、ホントの赤ん


 坊のように何一つ持っていない所から出発
 する外に手はないということです。:…よ
 度、一切を捨て切って、赤はだかで立ち直
 る外に手はないという事です。一年間、考
 えに考えつづけた末、それだけは近頃僕に
 わかって来ました。それで……』
末吉 ……(ガサガサと書取りつづけ、やっ
 と書き終って持ちあげた顔が真青に緊張し
 ている)兄さん!
次郎 なんだ?
末吉 俺あ反対だぞ!
次郎 ……なにが?
末吉 そんな、そんな兄さんの気持は、個人
 主義だよ! 僕あそう思うんだ。普通の個
 人主義とはチット違うけど、でも個人主義
 だよ。自分だけの利益や、自分だけの楽し
 みのために、ほかの人の事を考えないとい
 うのが普通の個人主義だが、しかし、みん
 なのために犠牲になった人間が、そのため
 に不幸になったり不自由になったりした自
 分のことを、自分一人だけでなんとかしよ
 うとするのも、個人主義だ。……僕あ、ま
 ちがっていると思う!
次郎 ……(今度は弟の抗議をはぐらかさな
 いで正面からガッシリと受けとめて、しば
 らく考えていたが、やがてシンミリとした
 調子でY…:お前のいう通りかも知れんな。
 だけど、そいじゃ俺あどうしたらいいんだ
 よ?
末吉 ……(いきなり何かいおうとするが、
 いえない。イライラして兄の顔を睨みつ
 け、口をモガガモさせている)……。
次郎 ……お前の気持は、わかる。……しか
 し問題は俺だ。俺あ、いっそ、はたからこ
 んなにいたわって貰ったりしない方がよい
 とさえ思う。気が引けてしょうがないん
 だ。盲に生れ附いたと思やあいいんだ。
 ・…:強く生きて行けるもんなら、はたから
 何をして貰わなくても、チャンと生きて行
 けるんだ。問題はそんなことじぬ、ないよ。
 ……第一、お前はすぐギセイというが、俺な
 んぞがそんな事いったら、両手両足もぎと
 られたり、いや、死んじまった何十万-
 現にお前、この村にだって、どいだけあるか
 わからん、中には一けんの家で二人も息子
 がとられちまったうちだってあるんだー
 そんなとこでは、どうなるんだ? ……戦
 争の事あ、いまさら、なにもいいたくない。
 またなにも俺にゃいえはしない。ただ、戦
 争をしたなあ人で、自分はただギセイにな
 っただけだというふうに自分だけキレイな
 口をきいてなんぞおれないんだ。ボンヤリ
 してて、人の尻馬に乗って、あんなばかな、
 まちがった戦争に引きずられて行ったの
 は、やっぱり自分なんだからな。
末吉 そりゃ……そりゃ、戦争はまちがって
 いた! 今後もう、どんな事があっても,
 もうイヤダ! しかし、それだからといっ
 てーいや、それだからこそーつまり、
 これから戦争なんかに引きずられないため
 に、兄さんやそのほかの、戦争でいためつ
 けられた人たちの事を、おれたちは、自分
 たちみんなの事がらとして考えて行かなき
 ゃならないんだ! (突っかかって行く。
 儀八は黙々として聞いている)そう思うん
 だ俺あ! それにだよ、今度の戦争が正し
 くなかったから.戦争のギセイになった人
 もうっちゃって置けというリクツはないん
 だ! それとこれとは別だ! おれたちが
 ギセイになった入たちの事をシンから考え
 てやって行く事を遠慮することは、いらん
 と思うんだよ!
次郎 ……わかるよ、わかっている。俺のい
 ってるのは、それ乏は、べつなんだ。……
 ほかの人がどんなに自分のために考えてく
 れてもだ、それとはべつにだな、自分だけ
 で始末しなきゃならん事が人間にゃあるん
 だ。
末吉 な、な、なぜ兄さんは、そんな自分一
 人で寂しい事ばかり考えるんだ。
次郎 寂しかないじゃないか。……それとこ
 れとは問題が違うんだ。俺はこれからシッ
 カリと生きて行こうとしているんだ。
末吉 だから、それには僕も大きい兄ちゃん
 もお父つあんも、嫂さんも、そいから兄さ
 んの力に喜こんでなって行こうとする者
 は、いくらでもいるのに、兄さんは自分一
の音


301


 人でi
次郎 そうじゃないといったら。俺は自力で
 生きて行かなくちゃならんのだ! 実際上
 は結局みんなの世話になるだろうが、しか
 し、世話になろうとする量見が少しでもあ
 っちゃ、とても腹は据わらんのだ。それを
 いっているんだ。……俺あ今後、誰の重荷
 にもなりたくないんだ。
末吉 そ、それだ! 兄さんは、それだ!
 兄さんの本音は、それだ! 兄さんは馬鹿
 野郎だっ? 俺あ、そんな重荷だなんて、
 そんな  (くやしさと悲しさにこらえ切
 れず、声をあげて泣き出す)
次郎 泣くな。
末吉 馬鹿だ!(泣く)
次郎 泣くなといったら。末! ……わかっ
 てるんだ。……泣くのよして、次を書いて
 くれ。
末吉 俺あ、こんな手紙書くの、もう、いや
 だ!(ペソを投げ出す)何がクソ!
次郎 そうか。じゃ頼まん。……こりゃ俺に
 は大事な手紙だ。ど5しても一度は書かな
 きゃならん手紙だ。それに、チョットほか
 の人には頼めん。だけど、お前がいやなら
 仕方がない、誰か捜す。
末吉 ……(次第に泣きやみ、寂しそうな兄
 の顔を見ている中に投げ出したペソを取り
 上げる。掌で涙を拭きながら、紙の上に再
 びかがみ込む)書くよ、兄さん、書くよ。
次郎 そうか。そうしてくれ。その代り、あ
 とは極く簡単にいう。十行か二十行だ。い
 へ       へ
 しカし?.
末吉うん。
次郎 ……『それで、こんな事をいうと、非
 常に出しぬけのようですが』(考えている)
 ……『僕としては、今迄考えに考えた末で
 すから、そのつもりで読んで下さい』……
 『僕は、この際あなたとの結婚の約束を、一
 応、取消したいと思います』
末吉 (びっくりして)あ! 夏子さんか
次郎 何もいうな! 黙って書け! なんか
 いったら承知しないそ。黙って俺のいう通
 り書け!(兄の言葉の強さに末吉は威圧さ
 れて何もいえず、左手で頭をおさえている)
 いいか!『くだくだしい理窟や、気持など、
 私はこの際、 一切いいたくありません。
 ……いっても仕方がありません。ただ、永
 い間僕に尽して下さったあなたの気持に、
 しんから感謝いたします。……こんな手紙
 を差し上げると、……うぬぼれかも知れま
 せんが……あなたを悲しませるかも知れな
 いとも思いましたが、われわれは今、そんな
 一時的な悲しみなどの事をいっていられる
 時ではないと思います。どうか、そんな悲
 しみから一日も早く立ち直って、僕の事な
 ど考えず、すべてを自由に考えて下さって、
 元気よく幸福にやって行って下さるよう、
 心から祈ります。……僕に対する一時の感
 情的な同情のために.あなたは、自分をい
 ためてはなりません。……僕には今後一人
 でやって行くだけの力は既に出来ていま
 す。……あなたは自由です。……どうか』
 (プツンと口述がとぎれる)
末吉 ……(歯を食いしばって書き終って、
 兄の顔を仰ぐと次郎は見えない眼でジッと
 遠く'の方を睨むような顔をしている。その
 視線の先には黙々たる儀八がいる)……兄
 さん。
次郎 ……
末吉 こりゃ、口出しをするんじゃないんだ
 よ。口出しをするんじゃないけれど、夏子
 さんはそんな人じゃないよ。……そんな女
 じゃ絶対にない。わかりきっているじゃな
 いか。兄さんが出征して以来、約束を守っ
 て、ああして夏子さんがチャンとして働い
 て……内の加勢などにもしょっちゅうやっ
 て来てくれたりしてるの、知ってるじゃな
 いか兄さんだって! ……(次郎が返事を
 しないので仕方なく)夏子さんがこの前や
 って来た時に、あんまり黙っていたので、そ
 いで、兄さんはそんな風に考えたのかも知
 れないが、あんなにたくさん人が詰めかけ
.ている、遠慮はあるし、お茶を出したりな
 んかしなきゃならんで忙しいし、口をきい
 ている暇はない。
次郎 いい。……もう、いい。
302


末吉 口こそきかなくたって、兄さんを見て
 いる夏子さんの顔を一目でも兄さんが見ら
 れたら、こんな事をいえる道理がないんだ。
次郎 違うんだ。俺はそんな事をいっている
 んじゃないよ。
末吉 ひがみ根性だ兄さんの。
次郎 ひがんでなんかいないよ。お前にゃ、
 よく解らんのだ。ひがみ根性とは、まるっ
 きりあべこべの気持だ。
末吉 でも俺あ、こんな手紙出すの、いやだ
次郎 まだいうか! 俺がこれほど真剣に頼
 んでいるのに、貴様まだグズグズいうんだ
 ったらー。
末吉 (兄のけんまくにビックリして)出す
 よ。出すにゃ出すけどさ。……
  (あたりの静けさの中に、儀八が口の中で
  ブツブツ何いいはじあた声が聞こえる。
 声が低いし煙管をくわえたままだし、何を
  いっているかはわからないが.次郎は耳
  ざとく聞きつける)
 次郎 ……誰だよ、そこに来たなあ?
末吉 (これも振返って)なんだ、餞八小父さ
 んじゃないか、びっくりさせるよ。いつ来
 たの?
…儀八 ……(返事はしないで、煙管を口から
 離し、トソトンと縁側で吸いがらを叩いて、
 新らしく煙草を詰める)
次郎 小父さん.毎日済まんなあ。
儀八 う?……うむ。(マッチをすって煙草
 に火をつける)
次郎 一度、笛を聞かせてくれんかなあ。頼
 まあ。
儀八 よしにしとけ。つまらんよう。……(又
 黙々として煙草を吹かしている)
  (そこへ、少し離れた所から響いて来るパ
  。ハ 。ハ ソ、 。ハ 。ハ 。ハ ソ、 。ハ 。ハ、。ハ ン、。ハ ソ。ハ ン
  という音。はじめ何の音ともわからぬが、
  次第に近づくに従って、それは洋式の小
  太鼓を、パチで叩く音であることがわか
  って来る。音は人の歩調に合せるような
  一定のリズムを取って、近づいて来る)
次郎 ……なんだ、あれは?(儀八も末吉も
 耳をすましている……間。小太鼓の音は元
 気よく益々近づいて来て、それと共に歩い
 て来る多勢の人達の気配や足音まで聞きと
 れる程になる)
末吉 ああ、来たな!(いうなり、書き上げ
 を兄の膝の方に押しやって置いて、パッと
 庭に飛び降りて小走りに庭を廻って消え
 る。その間にも小太鼓の音と人々の足音と
 気配は近づき、この家の門口まで来ると.
 誰かが『止れ!』と号令をかける声がして、
 小太鼓の音が停止する。……それらの気配
 を次郎も儀八も黙ったままで聞いている。
 短い間。……末吉、ニコニコしながら、門
 口の方から此方に戻って来る)兄さん、青
 年団のパンド(ーその附近の団体が実際に
 出演してくれた場合は、その実際の名をい
 う。以下.地名、人名、団体名.その他の
 固有名詞は、さしつかえない限り、実際の
 名をいうこと)が来てくれた! なんかや
 って聞かせてくれるそうだ。そいから、学
 校と、そいから有志の人達も一緒だ。
次郎 そうか。
  (いっている間に、ブラス・バソドを先頭
  に門口の方から庭を廻ってゾロゾロと入
  って来る人達。人数は適宜でよいが全員
  で二十人が最も好適であろう。バンドは
  十人位の青少年からなっており.全員粗
  末な制服をキチンと着て、各自楽器を持
  ち、 一人の指揮者から引率されている。
  この指揮者は最後まで奏楽の指揮だけで
  なく、ここにやって来た二十人ばかりの
  プログラム全体の司会者兼進行係りを兼
  ねる。パンド以外の訪問者十人ばかりの
  中には、お婆さんが一人、若い女の人が
  一人、村役場の助役さんといった様子の
  袴をはいた老人が一人、野らからたった
  今あがって来たばかりといった様子で手
  拭いをスットコかぶりにしたままの中年
  過ぎの農夫が一人、町の女学校の三年生
  に通っているといった年かっこうの制服
  の女学生が一人、そして残りの三四人は
  まだ低年級の小学校の女生徒達。全員の
  様子は形式張らず素朴きわまるもので、
  以下行われる演奏も唱歌も演技も、決し
の音


303


  て洗練されたものではないが、真率な自
  発的なものであり、全員が殆んど知り合
  い同志か顔見知りのため、全体に儀式張
  った固苦しさはなく、ただ眼の見えぬ人
  を面白がらせようという誠意と、なごや
  かさにあふれている。実際に於て、多少
  のしくじりがあっても構わぬから、進行
  係りの機転でドシドシ、迅速に運んでや
  る)
指揮 緒方さん、今日は。こないだの晩は失
 敬。
次郎 やあ会津君か。どうもわざわざ1
指揮 いや、わざわざといわれちゃ、却って
 恐縮だあ。丁度今日はバンドの練習日でし
 てね。チョヅト時間があったもんだから、
 あんたに一度、こんなものが出来たって報
 告かたがた行こうじゃないかって皆がいう
 もんだから。そしたら、丁度来合せていた
 杉田さんやなんかも来るというしね、その
 ほか、学校からも来てくれるし、古賀さん
 とこの妹さんや.直吉の小父さんまで途中
 から附いて来てくれた。なんの事あない、
 ここいらの芸人が揃っちゃったんで.これ
 じゃ一つ緒方さん所を手はじめに、四五軒
 慰問に廻ろうといっているとこですよ、ハ
 ハハ。
次郎 ありがとう。皆さん、すみませんねえ。
老人 やあ、今日は固苦しい話は抜きじゃ抜
 ぎじゃ。おお、水車の儀八公も来ているじ
 やないか。
儀八 杉田さんでがすか。今日は、いいあん
 べえでー(いいながら.遠慮して縁側の
 曲り角の辺へ身をさがる)
中年 (次郎に)次郎君どうだ、かげんは?
次郎 直吉の小父さんでがすか。どうも1
中年 いやあ、畑に出ていたら太鼓が鳴るで
 ね、たまらなくなって飛び出して来たよ、
 アッハハ。
次郎おい末、皆さんにお茶を、そいから、
 ざぶとん1
婆 いらん.いらん! のどが乾きゃ裏い行
 って水飲む。ざぶとんなざ、みなこうして
 庭に立ってるだから。
指揮 そうだ、そんなもんいらん。さ、始め
 るぞ。気を附けっ!(バソド全員は位置に
 附き、楽器をかまえる)いいね、先刻打合
 せた通りの順だよ。(次郎と他の人達に)練
 習未だ尚、日が浅く、まちがいましたら、
 お聞きのがして下さあい!(一同拍手)は
 、つ!
 ㌧
  (自身も太鼓を鳴らしながら指揮。音楽
  はじまる。次郎と儀八の二人だけが縁側
  に坐って聞き、末吉は兄の近くの庭上に
  立ち、他の一同はラヅパ鼓隊を中心にし
  て半円を描いて斜めに縁側に向って立っ
  ている。曲は明るく楽しいものなら任意
  のものでよい。ただ固苦しい歌曲や、浅
  薄な時局便乗歌曲のたぐいは絶対にいけ
  ない。流行歌の中で明るく面白いものを
  編曲したものなど.好適であろう。あま
  り長くないもの。……終る……一同拍手)
次郎 (ニコニコしながら)うまいもんだ。
指揮次は?
女生徒一 あたいたち!
指揮 そうだ。(バソド員の一人に)加藤君、
 クラリオネットで附けてくれ。そら、ひの
 ふのみ! 春が来た、春が来た……(いき
 なり女生徒三四人が一斉にその歌11別の歌
 でもよい翻を歌い出し、進み出て来て、い
 たいけな手足を動かし踊りはじめる。クラ
 リオネットが伴奏する)
女生徒 どこに来たあ。……山に来た、……
 里に来た、野にも来たあ……。(更にもう一
 度)花が咲く、花が咲く、どこに咲く……。
 (歌い踊り終る。一同拍手)
老人 やあ、うまいうまい。みんな、いい子
 だのう!(女生徒達の頭を撫でてやる)
指揮 杉田さん、今度はあなた、どうぞ。
老人 ようし。……(威儀を正して咳一咳す
 る。一同拍手)エヅヘソ!(いきなり歌い
 出す。人柄から謡曲でも出るかと思うとそ
 うではなく、トテツもない声と節である)
 鳶や烏や雉子や雁金、やぶ鳶の共に鳴く音
 はね……グーケロリソノ、チリソツモリソ
 ノ、ホ1ホケキョと、鳴くわいな。(一同ヤ
 ソヤと声をあげて拍手する。杉田さん喜こ
 んで一つ二つお辞儀をする)


中年 且那、もういっちょう! もういっち
 よk丿,・
老人 アッハハ。じゃ……(再び声を張り上
 げる)雨はホロホロ……稲妻ピカピカ……
 かみなりゴロゴロと、いうて、……抱きし
 めたが縁のはし。(】同拍手)
申年 たまらねえ! それ、なんの歌ですか
 ね、ジョーロリかね?
老人 いやあ、都々逸じゃ。字余り都々逸と
 いうてな。
中年 そうかあ! ジョーロリにしちゃ変だ
 と思うた1(頭を掻く。 一同哄笑する)
老人 ひどい事をいう。そいじゃ、やっぱし、
 お国ぶりを一つ出して、それでおしまい。
 (更に威儀を正して、歌い出す。今度は正調
 だし、うまい。ここには立山簸を書いて置
 くが、適宜上演地方の古くからの民謡を歌
 う)……峰の白雪、ふもとの氷、今はたが
 いにへだてて居れど、やがてうれしく、解
 けて流れて、添うのじゃわいな、あの山越
 えて、逢いに来る(一同拍手)
次郎 杉田先生、ありがとう存じます。
老人 いやあ、ハハハ。さあ、次だ。(女学生
 に)あんたもやるんだろ?
指揮 『庭の千草』でしたね? (ラッパ鼓隊
 が伴奏する事になっていると見え、.皆に合
 図する)
女学生 (進み出て)ええ。でも、私、下手だ
 けど。・:…
末吉 (兄に)新道の古賀さんとこの徳枝さん
 だよ。
次郎 へえ、徳枝さんが、そんなに大きくな
 ったのか。
  (言葉の中にバンドの『庭の千草』の伴奏
  がはじまる。女学生は器量一杯に歌う。
  うまい。歌い終り、 一同拍手)
次郎 徳枝さん、ありがとう。なかなか、う
 まいや。(女学生顔を赤くしてコソコソと
 人の後にかくれる)
婆きんらんどんすの帯しめながら……(い
 きなり歌い出しながら、歌に合せて踊り出
 して行く。女の子のために振附けられた舞
 踊で、この老婆から誰も予期していなかっ
 たものである。ワーッと人々声をあげる。
 お婆さんは、しかし大まじめで、歌声も手
 振足附も若々しく踊り抜く。小学生の孫か
 らでもならったものと見え、動作から口附
 きに至るまで、ひどくあどけない)……花
 よめごりょうは、なぜ泣きなさる……(誰
 かがそれにつづいて歌い出したのをキッカ
 ケに.一同の斉唱となり、それに楽器も鳴
 り出し、元気一杯に踊りおさめる。一同拍
 手)
婆 やれやれ、腰が病めるぞ!(人々笑う)
指揮 ハハハ、ところで、儀八の小父さん、
 お前も囃しを一つ頼むよ。
儀八 やあ。……(吹こうとしない)
末吉 小父さんが笛を吹いてくれりゃ、俺も
婆 ハア、スッチョイ、スッチョイ……。
老人 小母さん、腰つきがええぞっ!
  (一同笑いさざめくうちに、八木節と踊り
  の一節は終り、破れるような一同の拍手
  となる。次郎も心から嬉しそうである。
 踊る。面を取って来るからな。
儀八 よしにしろ。つまらねえ。 (一同の調
 子に乗って行こうとはせず、尻"」みをして
 角の障子のわきに、にじりさがる)
末吉 吹きゃいいのになあ。
中年 (進み出て)よし、じゃ俺が、世軸代
 というところをやっつけべえ。ごめんなん
 し。(キリリと向う鉢巻をして、腰をひねっ
 て、凄い声をひねり出す) ハァ:::ア……
 アまかりつん出た三角野郎が、・…・・(一同
 喚声。』」の人得意の八木節らしい)…・:チ
 ョイト、説き出す一節こそは……。
婆 よしや! (いきなり又飛出して来る。い
 つの間にか、すそをはしょって、その辺に
 あったらしい古い大きな麦わら帽子を持つ
 ている。それを見て一同拍手)ハァ、スッ
チョイ、スッチョイ、スッチョイナ!(腰
 を振り元気一杯に踊り出す。先の新舞踊と
 ちがって、今度は本領に帰って自由溜達で
 ある。バンドの大太鼓までが拍子を入れは
 じめる):::やっぱ、この方がええわいー.
中年 (野良声を空に響かせる)ところ四谷
 の新宿町で、鈴木主水というさむらいま
                   〃
 ・::・o
                     費
おさの
∂Q5



  全員一つに溶け合った和気が満つ。ただ
  儀八一人だけが、不機嫌という程でもな
  いが.やっぱり無表情で煙草を吹かして
  いる)
指揮 これでおしまい。次郎さん、疲れると
 よくねえ。では最後に、もう一つやり、や
 りながら行進に移る。(ブラス・バンド一
 同に)いいね? はい! (自ら小太鼓を
 パパパソ、。ハパパパ……と打ち鳴らす。ラ
 ッパが鳴り出す。やがて各楽器がありった
 けの大きな音を出す行進曲がはじまる。恐
 ろしく元気よく、やかましい。……曲の真
 中あたりで)じゃ、お大事にね次郎さん。
 失敬しましたあ! (いいながら、奏しなが
 ら先頭に立って、入って来た門口の方へ庭
 を出て行く。バソド一同も、それに従って
 来てた人達も歩調を合わせてドンドソ出て
 行く)
婆 又来るで。大事になあ!
次郎 (頭をさげながら)ありがとう存じまし
 た。
老人 ちと、役場にも遊びにおいで。
次郎 はあ、ありがとう。
  (次郎と儀八を残して、皆出て行ってしま
  う。バソドの音は吹奏をつづけながら路
  に出て行き、角を曲り次第に小さくなり、
  やがて遠ざかって行く。……間。次郎と
  儀八、黙々として相対している。……や
  がて吹奏の音も消え、静かになる。今迄
  にぎやかであっただけ、特に最後の行進
  曲がやかましかっただけに、その後の静
  けさが身にしみるように強く感じられ
  る)
次郎……儀八の小父さん。
儀八 ・…:(返事をせぬ)
次郎 小父さん……(儀八答えず)……行っ
 ちゃったのか。(寂しそうに一人ごと)
  (短い間。……そこへ一同について表に行
  っていた末吉が戻って来る)
末吉 ああ面白かった。良い人ばかりだな
 あ。
次郎 うむ。みんなああして、わざわざ来て
 くれる。……ありがたい。ホソトに俺あ
 ……しっかりしなくちゃならん。(手紙を
 いじっている)
末吉だけど、急に行っちまわれると、あと
 が馬鹿に寂しいね。まるで潮が引いて行っ
 ちまったようだ。
次郎儀八爺さんも一緒に行ったんだな?
末吉 う? ……(背後を振返って見るが、
 儀八は先程庭先の演芸が始まる時に皆に遠
 慮して坐をしざって縁側の曲り角を少し曲
 った所に坐り直しているので、末吉の所か
 らは眼に入らぬ)……うん、行っちゃった。
次郎 ……(手紙を出して)これ、もう少し
 だ、書いてしまってくれ。
末吉 うむ……(ふしょうぶしょうに再びペ
 ソを取る)
次郎 どこまで書いたっけ? 今の騒ぎでメ 7
 チャメチャになっちまった。すまんけど、
 読み返してくんないか。
末吉 初めから?
次郎 そうだな、いや初めの所はいいから三
 分の二位の所から。
末吉 ホソトに、兄さん、俺、頼むから、こ
 の手紙出さないでくんねえかなあ。兄さん
 は考え過ぎると思うんだよ。……夏子さん
 はそんな女じゃない。ああして町のハタ場
 なぞに働きに出るようになったのも、兄さ
 んと一緒になる準備のためだと思うんだ
 よ。
次郎 ……いいから読み返してくれ。
末吉 ……(何といっても兄が受附けそうに
 なく、あまりくどくいうと又怒りそうなの
 で、しかたなく、読み返しはじめる):::
 ええと、じゃ読むよ。……『しかし僕は馬
 鹿なのか、特別に我慾が強いのか、いつま
 でたっても、僕の腹はホソトにきまりませ
 ん』1
次郎 チョ、チョット待ってくれ。
末吉・ちがった?
次郎 いや……(四辺の静けさに耳をすまし
 て何か聞いている)あれ、なんだ?
末吉 なんだよ? ……(自分も耳をすまし
 て……又、水車かい?
次郎違う、水車の音はチャソと聞こえる。
別だ。ほら、トントソ、パタリ……森の角


7
  の辺の家かな? お前にゃ聞こえんのか?
末吉 聞こえんなあ。……ああ、ヤット聞こ
 える。ありゃハタを織ってんだ。
次郎 え? ハタ? 近頃、ハタを織るよう
 になったのか、また?
末吉 うん、方々の家で、以前使っていた古
  いハタを引っぱり出して織ってる。内でも
 嫂さんが少し暇になったらやるんだって.
  こないだ手入れをしていたよ。ありゃ、死
 んだおっ母さんが使っていたんだってね?


 '」丶
祠感  戸・
 から、着ている着物の肩から襟の辺を撫で
 る)
末吉 兄さん! (こちらに立っている夏子
 も、次郎の様子が先程から変なので心配に
 なり、この時近寄って行きそうにする)兄
 さん! ホントにどうしたんだよ?
次郎 なんだい? (やっと持ち上げた頬に、
 盲いた両眼から涙が垂れ、光っている。夏
 子はそれを一目見ると、又動けなくなって
 しま5)
末吉 (びっくりして)どうしたんだい?
次郎 ……お前は小さかったから知らんだろ
 うが、この着物もお母さんが織ってくれた
 もんでな……思い出しちまった。
末吉 ふうん……でも、泣かなくったって.
 いいじゃないか。
次郎 泣いてやしない。(ニッコリ笑って見
 せる)……読んでくれ。(つとめて落着いて
 はいるが、心の底で強く昂奮しているらし
 く、それを自らおさえるためか、足を伸ば
 し.縁先にぬぎ捨ててある藁草履を足先さ
 ぐりにして穿き、静かに庭先を歩き出す。
 風の向きが変ったのか、おさの音は少し大
 きくなり、階調をなして流れて来る。次郎
 は首を傾けながら、それに聞き入りつつ、
 自分をおさえつけるような足どりで歩く)
末吉 (その兄の様子を眼で追っていたが)え
 えと、どこからだっけ。……『ただ、今ま
 で生きる上のメドにして来たものを根こそ
 ぎなくした所から、生きて行かなければな
 りません。ど5して見当を附けて行けばよ
 いか? 眼の事ではありません。自分の量
 見のことです。僕には何もかも、よくわか
 らないのです。ただ僕にわかっている事
 は』
  (手紙の文句を聞いている内に、夏子は次
  第に泣けて来る。手で顔を蔽い、立って
  おれなくなって、静かにしゃがんでしま
  う)
末吉 『今迄自分が持っていた物を一切合切
 捨ててしまって、ホソトの赤ん坊のように、
 何一つ持っていない所から出発する外に手
 はないという事です。一度、一切を捨て切
 って、赤はだかで立ち直る外に手はないと
 いう事です。一年間、考えに考えた末、そ
 れだけは、近頃僕にわかって来ました。そ
 れで……こんな事をいうと非常に出しぬけ
 のようですが、僕としては今迄考えに考え
 た末ですから、そのつもりで読んで下さい。
 ……僕は此の際、あなたとの結婚の約束を
 一応取り消したいと思います』
  (夏子ギクリとして立ちあがる。思いが
  けない手紙の内容に.涙に濡れた両眼を
  キラキラ光らせて、歩いている次郎のち
  ょうどこちらを向いている顔を、睨むよ
  うにジッと見つめる)
次郎 ……(その夏子の立ちあがった微かな
 気配に)誰か来たのか? 儀八の小父さん
 か? (儀八は三人からは見えない縁側の
 曲り角の奥に、やっぱり坐って、くわえ煙
 管でこちらを見ている)
末吉 いや、誰も……(といいながら、振返
 って夏子を発見する。しかし夏子が『黙っ
 て、黙って』と手で制する。末吉はその夏
 子と兄の様子を見くらべていたが、つとめ
 て平気な声で〉やあ、誰も来ない。
次郎 そうか。……読んでくれ。
末吉 ……(チョット夏子の表情をうかがっ
 ていたが、仕方なく読む)『くだくだしい理
 窟や気持など私はこの際一切いいたくあり
 ません。いっても仕方がありません。ただ
 永い間僕に尽して下さったあなたの気持に
 しんから感謝いたします。こんな手紙を差
 しあげると、うぬぼれかも知れませんが、あ
 なたを悲しませるかも知れないとも思いま
 したが、われわれは今、 一時的な悲しみな
 どの事をいっていられる時ではないと思い
 ます。どうか、そんな悲しみから一日も早
 く立ち直って、僕の事など考えず、すべて
 を自由に考えて下さって.元気よく幸福に
 やって行って下さるよう、心から祈ります。
 僕に対する一時の感情的な同情のために、
 あなたは自分をいためてはなりません。僕
 には今後一人でやって行くだけの力は既に
出来ています。あなたは自由です。どうか』
 ……そこまでだよ。
  (夏子は尚も、次郎の顔を見守っている。
3Q8


  次郎の気持がわかればわかる程、しかし
  思っても見ない心外な事を聞き、悲しみ
  と怒りと愛情とが強くこぐらかって、石
  のようになっている。その様子を末吉
  は、どうしてよいかわからず、ジッと見
  ている)
次郎 ええと、もう少し、:…・もう二三行書
 いて……(フッと言葉を切って、歩くのを
 やめ、これも石のように立ったまま、益々
 高く多くなって響いて来るおさの音を聞い
 ている。……次第に頭が垂れ、うつ向いて
 しまう。そのうなだれた自分のえりくびの
 所を片手で撫でていた手が無意識のうち
 に、グッと首すじを掴む。……夏子も末吉
 も餞八も、次郎を見守ったまま無言。……
 永い間。さわやかな潮ざいのように流れ寄
 って来るおさの音)
次郎 ……(フッと顔を上げ)そうだ。末、
 その手紙、やぶいてくれ。やぶいちまって
 くれ。
末吉 え? ……やぶく? ホントかい?
 (眼を輝かしている)
次郎 うむ。……いや、はじめの方はいいか
 らな。後の、『こんな事をいうと非常に出し
 ぬけのようですが』の所から、やぶいて捨
 ててしまってくれ。……そして、すまんけ
 ど、その代りに、もう少し書いてくれ。
末吉 いいとも! (手をふるわせながら、レ
 ターペーパーを二三枚やぶって捨てる)夏
 子さんが、よろこぶ! よろこんでー。
 そいで……そいで、こんだ何て書くの?
  (夏子、激動のあまり、立っているのにた
  えず傍の垣根につかまる)
次郎 ……いいかい? ……『昨日あたりか
 らやっと、人々が詰めかけて来なくなり、こ
 うして静かに坐っていると、気持が非常に
 落着いて来ます。……遠くからおさの音が
 響いて来ます。……私には初め、それが何の
 音だかわかりませんでした。それほど遠い
 昔、小さい時に聞いたぎりの音です。……
 それは人を、生れ故郷に連れ戻すかの様な、
 何ともいえない良い音です。……私はだし
 ぬけに、まるで昨日の事の様に、死んだ母
 がハタを織っていた姿を思い出しました。
 ……それは僕の見えない眼の中に焼き付い
 ているような感じがします。……末吉はや
 つと生れたばかりの赤ん坊で、僕はまだ九
 つか十位でした。母はその前から眼が悪く
 て、細かい物は見えないために、織物の糸
 目の数を僕に数えさせました。しかし僕は
 遊び盛りであったのと、めんどうくさいの
 で、なるべく逃げるように逃げるようにし
 ていました。……或る日のこと、学校から
 帰って来ると、例の通りハタを庭に持ち出
 して織りにかかっていた母が、又糸目を勘
 定してくれといいます。……僕は友達の所
 に遊びに行く約束が有ったので、プソプン
 しながら、いいかげんに数え上げて家を飛
出して行きました。……夕方になって帰っ
て来ると、ハタに寄りかかった


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:58:51