「しゅてん童子」を、私たち子供は「すってん童子」と発音した
そのころ私の村では、大阪風の言葉を「里の言葉」と云い、東京弁を「江戸ッ子」と云っていた。だから、私と「江戸ッ子」との結びつきを云えば、「明けろ、戸を明けろ」という東京言葉に最初の出合いを得たわけだ。または、それより前に刈光銅山で聞いた「この野郎、止さねえか」という東京弁が最初のものということにしてもいい。いずれにしても東京弁に対する私の最初の印象はよくなかった。
東京行の汽車のなかで、差向いの席に幸い東京弁を使う紳士がいた。その口のききかたに私は気をつけた。言葉の抑揚、助詞の「ね」の使いかた、感動詞としてのそれの使いかた、それの配置の仕方など、早く会得しようと心がけた。
発声の上では「シ」と「セ」の使いかたが難しい。「先生」というのも、今まで私の云い慣わしていたように「シェンセイ」でなくて「セ」を透明な感じに発音して「センセイ」である。この場合、「セン」にアクセントをつけてはいけないのだ。「銀座」というのも、今までのように「ギン」を高くしないことだ。「松平さん」は「マツ」にアクセントをつけること。「碁」は今までのようにgoのoを下げないで、gotの発音の要領でtを抜かせばいい。
この大東京では車夫馬丁でさえも歯切れのいい東京弁を使う。このぷんでは、こちらが幾ら足掻いても車夫馬丁にも追いつけまい。
私はその車夫の俥に乗って、
「東京弁のことなんぞ、もうどうだってよい。蛙の子は蛙の子じゃ」と考えた。
習字の先生は門田杉東先生といって八十歳前後の老人だが、幼いころから江戸に出て江戸で漢学修業したので東京弁を使っていた。あるとき鼻をかむのに片手で手拭を鼻に当て、鼻をぶるぶるっと鳴らす音をさした。生徒が笑うと、「鼻をかむのが何で可笑しい」と苦笑いした。福山近辺では鼻をかむことを「鼻をしゅむ」と云い、また鼻をかむには塵紙を使う。それを手拭でかむから可笑しいのだ。ぶるぷるっと鼻を鳴らすから可笑しいのだ。
お上さんが京都弁を使って、ばかに調子よく二階に案内してくれた。