假名遣問題
【解説】國語問題の一、現在及び將來の假名遣(別項)を如何にすべきかを考へ、その方策を論ずるもの。
【由來】 我が國で假名遣がはじめて問題となつたのは鎌倉時代初期であつて、それ以來定家假名遣が次第に廣く行はれ、文學上に勢力をもつてゐたが、江戸時代に至り、元祿六年契沖が、古代の文献に基づく一種の歴史的假名遣を唱へてから、定家假名遣に代つて、漸次に識者の間に用ひられ、明治維新後も、教育上及び法制上に政府でこれを用ひたが、舊弊排除、社會改善の風潮と共に假名遣を改めて、もつと簡便なものにしようとする思想や運動があらはれて、ここに假名遣問題が起つたのである。

【歴史及び諸説】〔發音的假名遣の思潮〕明治十一年の頃、千葉縣師範學校長那珂通世は、國語の學習を平易にするため、同校に於て國語の改良を圖り、假名遣は動詞の語尾の外は、これを發音的に改めて教授することを試み、假名遣改良の思潮を起した。同十四五年に至つて「假名説」(別項)の團體運動が起り、同十六年七月その大同團結をしたのが「かなのくわい」である。この會は、主として假名遣に對する主義によつて、月雪花の三部に分れた。月の部は古假名遣(契沖のはじめた歴史的假名遣)を保守する派、雪の部は新假名遣(表音的假名遣)を主張する派で、會の二大派であり、花の部は五十音の源を正し、假名文字の數を増さうといふ一小派であつた。同十七年七月、右の三部は合併したが、一年の後二つに分れて、古假名遣派の「もとのとも」と新假名遣派の「かきかたかいりようぶ」となり、後者は丹羽雄九郎後藤牧太名兒耶六都小西信八辻敬之武居保岡村増太郎三宅米吉曾我秀三郎等がその局に當つた。同二十一年末の統計では「もとのとも」の會員一千九百五十四人、「かきかたかいりようぶ」の會員一千三百五十六人で、明治十七年の統計に比べると、著しく新假名遣派の會員が増してゐた。その頃出た假名遣改良論のうちで、三宅米吉・小西信八等の「かなのざつし」などに掲げた説や、末松謙澄著「日本文章論」の中の説の如きは出色である。「かなのくわい」は、明治二十年代の中頃に衰微したが、その主張は後世に影響し、同二十六七年頃、國語教育に努めた文相井上毅著「梧陰存稿」にも、字音假名遣の不必要を説いてある。同二十八年、上田萬年博士は「歐洲諸國に於ける綴字改良論」(「太陽」第七號)を説いて、我が假名遣問題に資した。同三十年代に至つては國民教育の方面に假名遣改良の思潮が高まつた。

〔國民教育に於ける假名遣改定實施〕 明治三十三年八月二十日、樺山文相の下に澤柳政太郎普通學務局長の時、文部省令を以て小學校令施行規則が改められ、その第十六條に、字音假名遣は同令によつて定められた第二號表の規定に據ると定められた。その後、これまでの小學校の教科書はすべて修正又は改正されて、發音的假名遣が小學校で用ひられた。その著しい點は、字音の長音を書くに「こー」「きゅー」の如く長音符を用ひ、拗音の假名の「や・ゆ・よ」を「きゃ・きゅ・きょ」の如く右によせて小さく書き、「ゐ・ゑ・を・ぢ・づ」を廢して「い・え・お・じ・づ」に合併したことであつた。この改定には反對するものが少なくない、賛する方にも改定の精神には賛して改定の方法に不都合を認めた。その不都合な點と見られたのは、中等教育その他教育全般との關係、國家全般との關係、國語假名遣との關係、長音符を用ひたことなどである。それで假名遣問題が教育方面を始めとしてやかましくなつた。東京高等師範學校では教授上の必要から、校長伊澤修二が校内の教官に調査を命じ、同三十四年三月、同校尋常小學國語科實施方法要領を獲表し、その中に、
 「第二號表ノ假名遣ハ近易ナル普通文(話言葉)ニ於テハ字音ノ言葉ノミナラズ國音ノ言葉ニモ適用スルモノトス」
 「文章體及ビ日用書類ニ於ケル國音ノ假名遣法ハ從來ノ慣例ニヨルモノトス」
として新舊假名遣の調和を圖つた。

【假名遣改定の諮問と答申】 假名遣問題が喧ましくなつたので、棄ておき難く、文部省は同三十八年に國語假名遣改定案と第二號表の字音假名遣改修案とを作り、久保田文相から高等教育會議や國語調査委員會や帝國教育會や全國の師範學校にこれを諮問した。その本案は字音假名遣と共に國語假名遣を改め、これを口語にも文語にも適用するものとし、大體は發音的で、長音には長音符を用ひるが、用言の語尾にはこれを用ひず「う」を用ひる事とした。なほ參考に添へた別案は、本案よりも保守的なところがあつた。この際、改進と保守との論争があつた中で、上田萬年對伊澤修二の論戰は最も注目された。文部省の諮問に對して、府縣師範學校六十校の答申の大要は、本案に賛成二十五校、別案に賛成二十四校、改定再調四校、改定延期三校、改定不可二校等であつた。帝國教育會は、用言の語尾にも長音符を用ひ、改定假名遣は口語に適用するを本則とし、文語の作文にも許容することに修正して賛成した。國語調査委員會は、長音表記に「あ」「い」「う」の三種を用ひ、拗音表記の「や」「ゆ」「よ」も、促音表記の「つ」も、小さく書きわけず、「ゆー」「きゅー」等の表記に「いう」「きう」等を用ひ、助詞の「は」「へ」「を」を保存する等の保守的修正を加へ、改定假名遣は口語だけに適用する事として賛成した。高等教育會議は、なほ當局の愼重な研究を要するとして決議を延期した。

臨時假名遣調査委員會】 翌三十九年に内閣が變り、牧野文相は國語調査委員會の答申を原案として、高等教育會議に諮問し、同會議はこの案に賛した。然し保存の意見の反對があつたので、文部省は同四十一年五月に臨時假名遣調査委員會を設け、新に假名遣改定案を立ててこれを諮問した。その案は、字音假名遣は凡そ發音的で「ゐ」「ゑ」「を」を「い」「え」「お」に改め、長音を「おう」「こう」「ゆう」の例に、拗音の長音を「きう」「しう」の例に改め、國語假名遣は語尾活用と助詞との假名遣を保存し、その他は字音と等しく凡そ發音的に改めるものであつた。さうして、その新假名遣を古假名遣と並行させて自然淘汰にまかせるやうに、口語にも文語にも適用し、小學校以上の教育にも及ぼすものとし、新假名遣の許容といふ事で假名遣問題を解決したい意向であった。同會は五囘の會議を開いたが、意見を逑べた委員の中で、大槻文彦・芳賀矢一・矢野文雄・伊知地彦次郎等は改定に賛成し、森林太郎・藤岡好古・曾我祐準・伊澤修二等はこれに賛成しなかつた。

【假名遣改定實施の取消と善後策】同四十一年七月内閣が變り、小松原文相は九月七日文部省令を以て、小學校令施行規則の第二號表等を制除し、十二月十二日臨時假名遣調査委員會は、目的の調査を遂ぐるに至らないで廢止された。第二號表が改修されないで俄に廢止きれたので、教育方面を始め世論が盛んに起った。文部省は第二號表廢止の時に、假名遣は時勢の進歩に伴って整理を要するは勿論だから、盆々愼重な研究を積んで目的を逹せん事を期すると訓令したが、又更に訓令して、徒に國語の學習を難澁にして、兒童の心身を過勞させる事のないやう、繩墨に拘泥するを要せず、便宜從前の假名遣を許容する等、取捨宜しきに從って教授するを要する旨を明示し、假名遣は復舊で打切にしたのでなく、この問題を將來に解決すべきことを公約したのである。

【臨時國語調査會と假名遣改定案】假名遣教授上の不安の念は、我が國民教育の上に横はり、大正三年四月帝國教育會主催の全國小學稜教員會議でも、この問題が議されて、小學校に於ては歴史的假名遣を廢し、表音的假名遣を使用する事を可決し、これを文部大臣に難議した。教育調査會でも、教育内容改善について國語・國字・國文を平易にするやう研究調査する爲め、有力な機關を設置することを文部大臣に建議した。同十年五月中橋文相の時、臨時國語調査會が設けられて、假名遣の整理は同會調査の重嚏事項の一とされ、同十三年十二月二十四日、假名遣改定案が總會で決定された。その凡例は、
 一、本案ハ大體東京語ノ發音ニヨリ、ナオ地方ニ於ケルモノヲモ考慮シテ整理シタノデアル。
 二、本案ハ主トシテ現代文(口語、文語トモ)ニ適用スル。
 三、固有名詞オヨピソノ他特殊ナ事惰ノアルモノハ、シバラク從前ノ通トスル。タダシナルベク本案ノ假名遣ニヨル。
 四、外國語ノ表記ハ別ニ定メル。
なほ國語及び字音の表記に關する改定の要點は左の通りである。
 一、國語及び字音の拗音には「や」「ゆ」「よ」を右側下に細書する。特別の場合には細書せすとも可い。
 一、國語及び字音の促音には「つ」を右側下に細書する。特別の場合には細書せずとも可い。
 一、國語の「あ」列長音は「あ」列の假名に「あ」をつけて書く。
 一、國語の「い」列長音は「い」列の假名に「い」をつけて書く。
 一、國語及び掌音の「う」列長音は「う」列の假名に「う」をつけて書く。
 一、國語の「え」列長音は「え」列の假名に「い」をつけて書く。(字音の「え」列長音は從來の通り)
 一、國語及び字音の「お」列長音は「お」列の假名に「う」をつけて書く。
 一、國語の「あ」列拗音の長音は「あ」列拗音の假名に「あ」をつけて書く。
 一、國語及び字音の「う」列拗音の長音は「う」列拗音の假名に「う」をつけて書く。
 一、國語及び字音の「お」列拗音の長音は「お」列拗音の假名に「う」をつけて書く。
 一、助詞のヲ・ハ・へは「を」「は」「へ」と書く。
 一、左の如き語は發音のままに書く。
  「てんのう」(天皇)「ぎんなん」〔銀杏)「さんみ」(三位)「がっこう」(學校)「りっぱ」(立派)「はっぴ」法被)
 一、從前の「ゐ」「ゑ」「を」「ぢ」「づ」「くわ」の假名遣は、「い」「え」「お」「じ」「ず」「か」と書く。
この案に對して、山田孝雄・與謝野寛その他の諸氏が反對意見を發表した。昭和六年五月、臨時國語調査會は世論に鑑みて、この案に修正を加へて發表した。帥ち、「猿智惠」「連中」「融通」「眞鶴」「手綱」の如き、「ち」「つ」の清音から來たジズの音及び、「續く」「縮む」の如き「ち」「つ」の音に重なるジズの音は、例外として「ぢ」「づ」と書く事にしたのである。同年文部省はこの假名遣を國定教科書に探用するとの説が世に傳はつたので、これに關する論が新聞雜誌を賑はしたが、これを直に教科讐に探用することに對しては反對するものが多かつた。〔現代假名遣(増補)參照〕

【参考】ぶんのかきかた(かなのくゎいゆきのぶ)
 三宅米吉箸作集〔上卷の國語の部)
 小學校令施行規則(明治三十三年八月廿日官報)
 外國地名及人名取調復命書(明治三十五年十一月十五日官報)
 假名遣諮問に對する答申書
 國語假名遣改定案」字音假名遣に關する事項、國語假名改定別案
 新舊假名遣對照語彙同上編
 假名遣改定案に對する世論調査報告同上編
 臨時假名遣調査委員會議事速記録同上編
 普通教育の危機 上田萬年
 改定假名遣要義 保科孝一
 假名遣改定案 臨時國語調査會議定
 文部省の假名遣改定案を論ず 山田孝雄
 現代の國語(後編、假名遣問題)日下部重太郎        〔日下部*1

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*1 日下部重太郎。著作権保護期間終了

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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:38:40