加藤徹
漢文の素養 誰が日本文化をっくったのか?

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はじめに 11
 漢文の素養 11
 高位言語だった漢文 12
 国民国家と国語 15
 日本文明を見すえる 17

第一章 卑弥呼は漢字が書けたのか 21
 幸か不幸か 22
 ヤマト民族の世界観 25
 三千年以上前の対中関係 28
 古代文明と文字 30
 日本最古の漢字 32
 漢字はファッションだった 35
 卑弥呼は漢字が書けたか 38
 倭も卑字 41
 言霊思想が漢字を阻んだ 42
 仁徳天皇陵の謎 46

第二章 日本漢文の誕生 51
 七支刀の時代 52
 王仁と『千字文』 55
 日本漢文の誕生 58
 倭の五王の漢文 63
 日本漢文の政治性 66
 仏教伝来 68
 漢字文化の夜明け 70
 日出ずる処の天子 72
 天皇号の発明 76
 聖徳太子はどのように漢文を読んだか 78
 日本語表記への苦心 82
 訓点の登場 83
 漢文訓読の功罪 86

第三章 日本文明ができるまで 89
 藤原鎌足と漢文塾 90
 元号の制定 92
 「日本」の誕生 94
 習字の木簡 96
 日本最初の漢詩 97
 藤原京の失敗 103
 「日本」承認への努力
 「日本」の承認 
 地名の二字化 
 日本文明の自覚 
 『古事記』と『日本書紀』 
 『日本書紀』の特長 
 古代朝鮮語と『日本書紀』 
 漢詩集『懐風藻』と漢風諡号 118

第四章 漢文の黄金時代 121
 千の袈裟
 「宣教師」ではなかった鑑真 
 三人の留学生 
 命がけだった遣唐使 
 呉音と漢音 
 漢字音の複数化は奈良時代から 137
 孫子の兵法
 遣唐使の終わり 
 平安時代の漢文の試験 
 宋の皇帝が羨んだ天皇制 
 清少納言と紫式部 51
 源義家と孫子の兵法 55

第五章 中世の漢詩文 159
 中世の漢詩文と僧侶階級 
 日蓮の漢文 163
 フビライの国書 
 後醍醐天皇と児島高徳 
 洪武帝と日本人 
 絶海と洪武帝
 室町時代の漢詩 
 戦国武将と漢詩 

第六章 江戸の漢文ブームと近現代 185
 徳川家康が利用した「漢文の力」 
 江戸時代の漢文ブーム 
 思想戦としての元禄赤穂事件 
 四十七士を詠んだ漢詩 
 朝鮮漢文と日本 
 漢籍出版における日本の優位性 
 武士と漢詩文
 農民も漢文を学んだ 
 日本漢語と中国 
 幕末・明治の知識人 
 日本語の標準となった漢文訓読調 
 漢文が衰退した大正時代 
 漢文レベルのさらなる低下と敗戦 
 漢文訓読調の終焉 
 昭和・平成の漢文的教養 224

おわりに 
 いまこそ漢文的素養を見直そう 227
 漢字漢文はコメのようなもの 228
 インターネット時代の理想の漢文教科書 229
 生産財としての教養 232
 中流実務階級と漢文の衰退 233
 数冊の本 234

あとがき


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:04:12