加賀野井秀一

二〇〇六年四月一〇日 第一刷発行
ちくま新書 590


第一章 甘やかされた日本語を叱る――もう以心伝心にはたよれない
 以心伝心の文化
 「メシ・フロ・ネル」を分析する――俳句とウガンダからの留学生
 「以心伝心」は表現力を低下させる
 「一語文」と「タメ口」
 仲間内の言葉も、便利ツールも、日本語を甘やかす
 今こそ「甘やかされた日本語」をたたき直そう

第二章 カタカナ語の濫用を叱る
 「コラテラル・ダメージ」って何だ?,
 西洋へのあこがれ
 カタカナ語によるイメージ戦略
 「用語適正化委員会」から「「外来語」言い換え提案」まで
 和製語はあぶない
 みっともない「チャンポン語」や一人よがりの「短縮語」「略語」
 取り入れるべきカタカナ語――インフォームド・コンセントからリアルタイムまで
 カタカナ語を正しく使う法――言い換えの準則

第三章 漢語の濫用を叱る 
 漢語もまた一知半解だ
 漢語の権威――「霹靂」先生と「冥福」村長
 藤原公任の後悔
 漢語は"決まり文句"になりやすい――柳田国男の笑いばなし
 漢語と和語とのへだたり――タテマエとホンネとの分裂
 アンビヴァレントな日本人の思考法――メラニー・クラインをヒントに
 漢語を正しく使う法――「和語への言い換え」と「語源さがし」

第四章 歴史への無知を叱る
 日本語ブームは本質を見えなくする
 「膠着語」の日本語が「孤立語」の中国語を取りこんだ
 日本語の歴史――「万葉がな」から「漢字かな交じり文」へ
 「詞-辞」構造と漢語の優越
 「テニヲハ」という翻訳装置
 「テニヲハ」の光と影
 日本語の大問題――未消化な言葉たち
 日本語の歴史をふり返れ

第五章 若者ことばを叱る 
 若者ことば、理解できますか?
 「センター・ガイ」から死語「チョベリバ」まで
 若者ことばの二大特徴
 「感性的」な若者ことばと「ボキャ貧」
 タコツボと表現力の喪失
 「他者」のいない若者ことば
 若者への提言

第六章 感情過多の日本語を叱る 
 論理的思考の苦手な日本語
 日本語は即物的な言語である
 日本語は情緒的・身体感覚的な言語である
 オノマトピア日本
 感情的な新聞――天下の公器と浪花節
 戦時の教訓――太平洋戦争からイラク戦争人質事件まで
 感情的な和語と言語の「相貌性」
 危険な言霊思想
 鬼畜米英と『菊と刀』
 論理に貫かれた感情性を求めて
 日本語の論理を生かす

第七章 開かれた日本語のために――翻訳の思想
 タコツボ表現を外部に向けて開放する
 他者との対話と「翻訳」
 翻訳が日本語を変える
 整備された翻訳装置
 雑種文化再考――ハイデッガーからデリダへ
 外部を介して自分を見る

あとがき


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:57:42