山田孝雄
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萬葉集名義考
萬葉集の編纂は寳龜二年以後なるべきことの證
古事記と萬葉集
萬葉集と大伴氏
萬葉集の左注なる「右何首」と書せることの意義
萬葉集卷二挽歌最初の左注について
相聞考
相聞考補遺
相聞考(補改)
藤原宮之役民作歌
卷三、長皇子遊獵路池之時柿本朝臣人麿作歌の反歌について
山部宿禰赤人詠春鶯歌について
萬葉集訓義考
一
夜隱
玉久世
屋中毛波可自
二
力士儛
力士儛補論
腋草
於能等母於能夜
三
棚無小舟
於をウへとよむこと
須加能夜麻
帶解替而廬屋立
四
占墾地使
斯和何伎多利斯
古屋 鮫龍
五
毛古呂
母許呂乎
自伏
野島波見世追
六
山乎茂
秋去者
七
よよむ
行行
明日香川
八
都萬麻
「つまま」痛考
「つまま考」附言
葦附
可頭能木
『綜麻形』の訓に關する一提案
日並皇子の尊殯宮の時・柿本人麻呂作歌のよみ方
ひさかた考
「うれ」の考
伊久里考
許知碁知の考
「母等奈」考
吉備酒と糟湯酒
堅鹽考
天橋考
姨捨山の成俊僧都の碑
萬葉集と古今六帖
萬葉集の版本
萬葉集防入歌
萬葉集に佛教ありや