松本幸四郎(七代目)
「真山青果全集月報」7

時代語
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 その時代に生れた俳優が、その時代に創られた脚本を上演したいと望むのは當然のことゝ思ひます。
 故左團次君の自由劇場その他や、私どもの新歌舞伎研究會なども、その試みの一つでありました。
 然しこれ等は興行上には何れも失敗であつたやうに思ひます。これには種々の理由もありませうが、一つはその脚本が一般觀客を引きつけ得なかつたものといへませう。
 そこで興行主は、さういふ新脚本に手を付けることを躊躇し、俳優も不本意ながら、古典的になつたものを繰返しやらされてをる状態です。
 その中にあつて興行上にもよし、俳優も亦滿足することの出來た新脚本が數氏によつて物されました。坪内さん岡本綺堂さんその他の方々のものであつて、眞山さんのものもその一つであるかと思ひます。
 私どもは、故左團次君のやうな位置に置かれす、所謂古典ものゝ方へ多く向けられてをりましたので、眞山さんの脚本にも接觸する機會がまことに尠かつたのを殘念に思つてをります。
 よく新らしい脚本には、それがどんな文體のものであれ、前後相應しない言葉が出て來がちのもので、古めいた調子の科白の中に、唐突に、生硬な調子の違つた現代語などが飛び出して來て、その科白を言ふ度に、何かむづかゆいやうな思ひに惱まされることが往々あります。
 これに反して眞山さんの脚本には、私どものあまり用ひなれない用語がよく出て來ながら、しかも是等はよく前後の調子に相應し、よくこなされてゐて、いかにも此の時代の言葉はかくもあらうかと、うなづくことが出來て、滯るところがありません。眞山さんの博學によるところでありませうけれど、言葉の選擇に細かい注意が行屈いてゐて、まことに快いものがあります。
 接觸の尠かつた眞山さんの脚本數種の内、今億ひ出して印象に殘るものに『西郷隆盛の首級』があります。
 私どもは明治三年の生れでありますので、この脚本の背景である明治十年代の空氣は深く刻みこまれてをります。新聞の拾ひ讀みをしたり、鉛版におこされた挿畫などで、この西南の役の模樣を子供心にうけ入れてをりました。
 西郷さんは、あゝいふ立場に置かれましたが、一般人は西郷さんに同情して決して反逆者などとは見なかつたやうで、西郷星に野する信仰などもその一つの現れでありませう。子供の間にもそれが反映して、なかなか人氣がありました。『新政厚徳』などの旗を押立てた戰さごつこにも西郷さんになりたがるものが多うございました。西郷さんの死が傳へられても、それは身代りであつて、本當の西郷さんは今に何處からか現れて來るといふやうな噂も到るところで聞かされました。
 『西郷隆盛の首級』を演るにつけ、その頃の記憶をまざ〳〵と呼び起し、自分の通つて來た道をなぞつてゐるやうな氣持で、私にとつてはなか〳〵感銘の深いものがありました。

真山青果「西郷隆盛の首級」


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:39:33