向うでも家庭では母国のことばを使っているとかで、日本語の発音なども標準語にちかく、
いくらかアクセントはちがっているが、それでも立派な日本語である。
舌足らずながらも、かなり流暢な日本語
ひとめでカトリックのお坊さんだとわかるのである。
「おお、マリ、ごめんなさい」
神父はマリを見つけると、達者な日本語で話しかける。
「それにしても。お姉さま、とっても日本語がおじょうずね。むこうの家庭でも日本語つかってらっしゃるの」
「ああ、われわれがいくと日本語つかうね。それというのがご主人のゴンザレスというひと……こんどマリを養女にしたひとだね、そのひとがだいの親日家で、農園の使用人なんかもほとんど日本人なんだ。結局、移民のなかでも日本人ほど勤勉にはたらく人種はほかにいないんだね。そこでしぜん、マリのお母さんが重用され、信頼されるようになったというわけらしい」
「わたし、不思議でなりません。そうそう、お作さん、お作さん」
と。ニコラ神父がアクセントのちがった呼びかたでお作さんを呼ぶと、
万年筆の女文字