永井荷風

新潮日本文学大辞典 水木京太
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http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/886585
http://kindai.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/915636 (大正)


人類の一面は確かに動物的たるをまぬがれざるものなり。此れ其の組織せらるゝ肉体の生理的誘惑によるとなさんか。将た動物より進化し来れる祖先の遺伝となさんか。そはともあれ、人類は自ら其の習慣と情実とによりて宗教と道徳とを形造るに及び、久しく修養を経たる現在の生活に於いてはこの暗面を全き罪悪として名付るに至れり。斯く定められたる事情の上に此の暗黒なる動物性は猶如何なる進行をなさんとするか。若し其れ完全なる理想の人生を形造らんとせば、余は先づ此の暗面に向つて特別なる研究を為さゞる可からずと信ずるなり。そは実に、正義の光を得んとする法庭に於て、必ず犯罪の證跡と其の顛末とを、好んで精査するの必要あるに等しからずや。されば余は専ら、祖先の遺伝と境遇に伴ふ暗黒なる幾多の欲情、腕力、暴行等の事実を揮りなく活写せんと欲す。「地獄の花」の一篇、又此のつる所、しかも不幸にもあが藝術は全き自由を許されざるなり。加ふるに、未だ猶ほ、其の研究の極めて不完全なる、思想の甚だ浅薄なる、描写の常に未熟なる、遂に其の豫期せし所の半ばをだに現す事能はざりき。然れども、同情ある読者よ、無謀なる此の年少の作者が、其の鈍き才能の如何を顧みず、新に企てし大膽なる研究に対して、永く多大の教示を惜しむ勿からん事を、此れ著者の偏に切望する所なり。
 三十五年六月 逗子海辺豆園にて
  永井荷風

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園子は正しく禮を返しながら静に主人の顔を見た。
 主人は此前始めての日に逢つた時と同じ秩父の袷と羽織を着て居る。年はもう已に六十ちかくと覚しく、頭髪も髭も真白になつて居るが、体格の見事立派な処から外見だけは左程老衰して居るとは見受けられぬ。泰然と坐を占めた其様子は、大きい富を握つて居る人に伴ふてある威厳と沈着とを自然に備へて居るのみならず、猶一時は深く社会の打撃に反抗しやうと勤めたらしい、慨然とした風采は其となく其の何処にか取残されて居る様に見えると同時に、又久しく云はゞ日蔭者にされて了つた其影響は常に深く顰められた濃い眉の間や、何処にか一種の光ある落凹んだ眼の中なぞ、暗然とした或る不快な色を漂はして居るのであつた。(『地獄の花』第二)

夫人は同じく低い向ふの杉の梢に浮んだ一ツの星を見て、悠う叫びながら、園子の前に佇んだ。
 夫人は脊丈の高い、色の白い、皮膚の奇麗な女で、どう見ても五十を越したとは思はれぬ。如何にも立派に発育して、幾分か脂肪質らしい健康な身体の中には、甚だ活気ある血色から推量つても、まだ少くとも三十代の若々しい凡ての慾望と精力とを保有して居るらしく、猶黒々した頭髪を束髪にし、黒縮緬の羽織の間から、何やら華美な模様の帯を見せて、すツと立つた其の姿は、一見して昔の妖艶なる其の人の色香と、並せて其の人の艶かしい経歴とを想像せしむる。(『地獄の花』第三)

黄昏の空は薄い微光を含んで、四辺の光景を夢の如く曇らして居た。園子は亭の腰掛に身を置いて、夜の暗さの蔽ひ掛からうとする空を打仰ぐと、何とも知らず悲しい淋しい心持になつて、訳もなく自分の身までが果敢まれる様な気がする。名誉とか地位とか、それが果して何であるだらう。人生は矢張り詩人が歌ふやうに楽しいものでは無いかも知れぬ。何時となく深い哲学的の空想に耽りかけたが、折りがら後の茂みの中に人の跫音と、続いて話声が聞えた。驚いて振返ると、夫人の縞子が秀男の手を、引きながら、同じく夕飯前の散歩を試みて居るのであつた、


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 09:57:27