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物集高見 もづめたかみ 國學者 
【幼名】素太郎。後善五郎【號】鶯谷・菫園・埋書居士
【生歿】弘化四年五月二十八日豐後國速見郡杵築北新町に生れ、昭和三年六月二十三日大分縣杵築町に歿す。享年八十二
【墓所】大分縣杵築町字寺町
【閲歴】高見は國學者物集高世の長男でその子に高量がある。少年の頃は郷里に於て漢學及び國學を學んだ。慶應元年(十九歳)の頃には.長崎へ行つて蘭學を學んだ。同二年京都へ出で.有名な勤王家玉松操につき、爾後約三年間國學を學んだ。明治二年(二十三歳)東京へ上り、翌年平田鐡胤の門に入つて國學を學び、傍ら東條琴臺に漢學を學んだ。又翌四年には洋學をも學び、同八年には近藤眞琴に英語を學んだ。これより先、明治三年神祗官の宣教史生に任ぜられ、五年には教部省へ出仕した。同九年、教部省中録に任ぜられ、同十二年には月形神社宮司廉出羽湯殿山神社宮司に任ぜられた。彼は教部省へ出仕してからも國學の研究を續けてゐたので.同九年にば「本邦語源考」「事物名義考」等の論文を「學藝志林」に發表し、同十一年には國語の辭書「ことばのはやし」を脱稿し、「初學日本文典」を刊行した。同十六年.東京大學(帝大)から文學部准講師を命ぜられ.翌十七年には東京師範単校御用掛を申し付けられ、同十九年に東京大學文科大學教授に任ぜられた。爾來明治三十二年(五十三歳)まで十四年間、東京帝大教授の職にあつた。この間.文部省の編修局。記録課等に勤務し、學習院教授を兼任した。帝大教授を辭する直前、三十二年三月、推薦に依つて文學博士の學位を授けられた。
爾後「廣文庫」及び「群書索引」(各別項)の編纂に全力を注ぎ、これを完成した。大正十四年郷里大分縣杵築町字寺町の駐宅へ歸り.郷里に起臥してゐた。
【著書】
〔國語學書〕初學日本文典 一册(明治十一年刊)
○日本小文典 一册(明治十六年十一月刊)
○かなのしをり 一册(明治十七年九月刊)
○詞遣の栞 二册(明治十七年九月刊)
○てにをは教科書 一册(明治十八年三月刊)
○かなつかひ教科書 一册(明治十八年十二月刊)
○言文一致 一册(明治十九年刊)
○日本大辭書ことばのはやし 一册(明治二十一年七月刊)
○日本大辭林 一册(明治二十七年六月刊)
○詞の本末 二册
○新撰日本文典 一册
○新撰日本大文典 五册
○日本修辭通 一冊
○字音假字遣教科書 一冊
〔其他〕道の莠《はぐさ》 一冊(明治初年刊)
○日本文明史略 五册(明治十八年刊)
○よゝのあと 一冊(明治十八年刊)
○標注よつぎの歌 一冊(明治二十九年刊)
○日本の人 一册(明治三十二年刊)
○修訂日本文明史 一册(明治三十五年刊)
○詠史抄 一册(大正十一年刊)
○勅語逢源 一册(明治四十四年刊)
○勅語逢源演義 一冊(同上)
○國體新論 一册(大正八年刊)
○済時危言 二册(大正十一年刊)
○源氏物語提要 一册(大正十二年刊)
○和歌抄 一冊(同上)
○百人一首山彦抄 一册(大正十四年刊)
○忠孝譜 一冊(同上)
○行脚しらべ 奇蹟ものがたり 一冊(大正十四年刊)
○怪奇物語(同上)
○標註 世繼千字文 一刊(寫)
○假字日本史 六册(寫)。

〔編纂書〕廣文庫 二十册(自大正五年十月至大正七年五月刊)(別項)
○群書索引 三册(大正五年十一月刊)(別項)
○皇學叢書 五册(昭和二年二月刊)
○新撰國文中學讀本 十册(明治三十年刊)。
その他に多くの論文がある。
【業績】最も力を注いだのは「廣文庫」及び「群書索引」の編纂で.前後三十年を費したものである。この外.明治二十年前後に刊行した日本文法・假名遣・手爾波等に關するものは、その當時に於ては頗る行はれたものである。又その頃言文一致を主張したことは、注意すべきことである。
【參考】物集高見博士系圖年譜及著作目録 筧五百里(國語と國文學五ノ一〇)
     〔龜田〕

PDD図書館(獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。<br> http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm


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Last-modified: 2020-08-13 (木) 21:38:13