名づけ

はじめに 11
 本当の名前を知る者は少なかった
 正岡子規の墓誌に刻まれた名前たち
 名づけは親から子への贈り物
第一章 作家編 「文豪も大いに悩んだ」19
 わかりやすい名前を好んだ夏目漱石
 森鴎外は西洋人の名を漢字に
 与謝野寛・晶子夫妻の大胆な命名
 高浜虚了は兄事する正岡子規に相談
 吉川英治の長男は菊池寛が名づけ親
 幸田露伴は家に伝わる一字を長男に
 孫の名づけに滲む志賀直哉の人生観
 父母の名を合わせ継がせた江戸川乱歩
 小泉八雲はラフカディオという音から
 坂口安吾は平凡さの中に愛情をこめた
 「まだ修の字が残っている」と言い訳した太宰治
 芥川龍之介は親友の名前をヒントに
 直木三十五は好物と娘の名を結びつけた
 「行」は有島武郎から子供たちへの応援メッセージ
 「美」にこだわった内田百閒
 わが子を詩人にしたかった中原中也
 尾崎士郎と尾崎一雄の娘たち
 宮沢賢治の童話から名前をもらった安部公房
 その他の作家たち
 日本文学の繊細と豊穣が投影する
第二章 政治家・財界人編 「立身出世の願いを込めて」
 幼名を継ぐ長男を廃嫡にした渋沢栄一
 岩崎弥太郎の反骨心と出世欲
 トヨタに受け継がれた「吉」と「章」
 盛田昭夫が息子に継がせた一字
 自身のモットーを生かした星一
 五島慶太は上昇志向を露わに打ち出した
 娘の名に窺える大原総一郎の美術愛好ぶり
 「幸」を継がせた松下幸之助
 自由放任主義だった本田宗一郎
 「八」から「七」へと継承した大倉財閥
 三井の大物、益田孝、団琢磨、池田成彬の場合
 子供の名に経営姿勢が重なる塚本幸一と柳井正
 役所に翻弄された社台ファームの吉田善哉
 養父の一字を長男に与えた吉田茂
 池田勇人は亡き先妻の名を娘に
 曾祖父の「信」を継がせた岸信介
 田中角栄とそのライバルたち
 竹下登からDAIGOへの系譜
 息子に「是」娘に「喜」を与えた高橋是清
 ライオン宰相・浜口雄幸は勇ましく
 小泉純一郎と鳩山兄弟に共通する感覚
 事業や地位の継承・発展を願って
第三章 学者・文化人編 「文字への独特のこだわり」107
 湯川秀樹はスケールも大きく
 南方熊楠は息子に「熊」を娘に「枝」を
 『大漢和辞典』の諸橋轍次ならではの命名
 漢字廃止論者・梅棹忠夫の場合
 哲学者・西田幾多郎は「余り立派な名は困る」,
 伊藤博文の幼名にちなんだ鶴見祐輔
 父から「悦」を継ぎ息子に「宗」を継がせた柳宗悦
 野口雨情の娘の名は烏の啼き声から
 小澤征爾の「征」の字の由来
 「世界のクロサワ」が孫のために書いた手紙
 伊丹十三は亡父にちなみ「万」を
 藤沢秀行、谷川浩司、羽生善治……勝負師の命名
 手塚治虫の長男は夫人の好きな言葉から
 作品名と長男の名を重ねた梅原龍三郎
 仏文学者・丸山圭三郎の頭の下がるような名づけ
 ひと味違うこだわり
第四章 軍人編 「お国のために」
 明快を貫いた秋山好古・真之兄弟
 乃木希典の幼名は無人
 柏崎で男児誕生を聞いた大山巌
 児玉源太郎は子息に雄々しさを求めた
 野津道貫の胸中には戦死した兄への尊敬
 自身の法名と息子の名が重なる山本五十六
 栗林忠道の娘の愛称は「たこちゃん」
 シンガポールから電報を打った斎藤実
 鈴木貫太郎は極めてシンプル
 「勝」の字が目立つのは自然の傾向
第五章 幕末・維新の志士編 「後世に託した思い」
 十二支から名づけた西郷隆盛
 西郷従道の「従」はお国訛りの所産
 子福者・松方正義の十五男七女
 自分の幼名を子供に与えた大山綱良
 木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文の名づけ
 娘ののびやかな成長を願った後藤象二郎
 徳川慶喜は名づけで新政府への恭順を?
 長男に熱い思いを寄せた榎本武揚
 息子は桶屋にすると啖呵を切った山岡鉄舟
 近藤勇の娘の名は出身地にちなんだものか
 大隈重信の娘の名に「熊」がついた理由
 順序正しき福沢諭吉
 混沌の中の強い思い
第六章 芸能人・スポーツ選手編 「流行とともに」
 志ん生が志ん朝につけた本名
 代表作にちなんで娘の名を決めた松本幸四郎
 森繁久彌の名前は三菱財閥の岩崎久弥から
 佐田啓二はなぜ「貴」を使ったのか
 一字名にこだわった渡辺謙(目次では「渡辺譲」)
 キムタクと工藤静香の親としての願い
 生まれた月の異称から名づけた中村メイコ
 江口洋介と森高千里は春のイメージから
 大橋巨泉、関口宏、逸見政孝……名司会者たちの命名
 欽ちゃんは名づけで子供を激励した
 岩倉具視の血を受け継ぐ加山雄二の子供たち
 坂本龍一の娘は「ミュータント」から
 椎名林檎の独特の感性
 王貞治が三人の娘に嘱理」をつけた意味
 野茂、松坂、岡島……日本人メジャーリーガーの名づけ
 カズ、中山、中澤、遠藤……Jリーガーたちの場合
 大鵬は「美」に価値を見出す
 高田延彦は代理母のファミリーネームを
 ストレートな気合を見せた松岡修造
 五輪の申し子、橋本聖子ならではの発想
 時代の流れとともに
第七章 名前と日本人
 漢字の全廃を睨んでいた当用漢字の制定
 字画の吉凶は流派によって異なる
 古くささは消えていた大正期の名前
 昭和に入り兄弟の長幼よりも個々の子供に着目
 戦中も戦後も女子の人気一位は和子
 「子」離れの先鞭は明美から
 浩一が一字名全盛に楔を打ち込んだ
 読みの難しい個性的な名前の流行


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Last-modified: 2023-11-02 (木) 08:47:45