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 赤本に源を發して、黒本となり、青本(黄表紙)となり。次第に巻数を増して、遂に合巻物となつたものを總括して草雙紙と云ふ。『近世物之本江戸作者部類』に、「この册子は表紙に至るまで薄様の返魂紙にして、悪墨のにほひある故に、臭草紙の名を負はしたり」とあるが、草雙紙のくさは臭ではなくして、軽少の意味で、軽い草紙と云ふ義に外ならない。
 赤本と云ひ、黒本、青本と云ふのは、表紙の色から名を負うたもので、繪本に行成表紙かあるか如く、表紙から名を負ふものか、當時には相當にあつたのである。赤本は古くは延寶の頃から初めて、享保より寶暦頃まで頻りに刊行せられ、猶後年にまで及んでゐる。上方にては天和、貞享、元禄の間に井原西鶴が浮世草子を著作し、都の錦、錦文流、西洋一風、北條團水、青木鷺水、林文會堂、月尋堂が相ついで此種の作に筆を染め、江島屋其碩八文字舎自笑がいはゆる八文字屋本を出して、文運甚だ隆盛であつたのに、江戸は猶揺籃時代で、八文字屋本の盛んであつた頃に、僅に赤本を出す體たらくであつた。赤本は子供のおもちや繪本で、繪を主にして、文章は之を説明した、極めて簡單なものに過ぎなかつた。其の説明も畫家自ら書いたもので、文章としては何等の取得がない。畫家としては、近藤清春、鳥居清満、羽川珍重、奥村政信、西村重長、鳥居清信、山本重信などの名が見えてゐる。半紙半截本のものと、猶一層小形のものと.豆本との三種類あるか、小本豆本の方が半紙半截本よりも古いらしい。小本には延寶板の『大福長者富貴物語』があり、畫は菱川師宣の筆に成つてゐるが『花咲爺』と同じものである。豆本の『桃太郎』は、一寸七分に一寸二分の小さな本で、近藤清春の畫、享保八年正月の出版、大傳馬町三丁目丸屋九左衛門の發行にかゝる。同じ豆本の『おぐりの判官』『四天王の始』など、いづれも享保九年正月の版で、書肆は山本九左衛門とあるが、山本は丸屋の姓である。此等の赤本は多くお伽噺や物盗しの類で、『桃太郎』『舌きれ雀』『枯木に花咲せ親仁』『猿蟹合戦』『文福茶釜』『鼠の花見』『名人そろへ』『日本馬揃』『船づくし』の如きものであるが『初春のいわひ』『五百八十七曲』『俳諧一字題地口』のやうな變り種もある。一冊の紙数は五枚であるが、間々二册本三册本もないではない。延享、寶暦の頃からして、赤本は進んで黒本となつた。然し青本と云ひ、黒本と云ひ、唯表紙の色を異にするのみで、其初に於ては内容を異にしない。青本にて出版したものを黒本にて出すが如く、兩者は共通してゐた。唯赤本と異つて、進歩したところは、文と繪と相待ちて一篇を構成したのにある。作者としては丈阿、和祥、富川吟雪、山本義信、米山鼎我、鳥居清満、睦酒亭老人などの名が見えてゐて、作者又畫者を兼ねてゐたものが多い。『今昔浦島咄』『出入桃太郎』『雪中竹の子』『獅子大王』『王子長者』『大野長者』『金の長者』『鼠の縁組』『堅田の龜』『秀郷龍宮廻』『山姥』『狐と猿と間違噺』のやうなお伽噺もあれば『化物とんだ茶釜』『化物一家髭女』『化物三目大ほうい』『妖怪雪濃段』『化物車引』の如き怪談物、『殺生石水晶物語』『雨請小町名歌榮』『傾城嵯峨物語』『中將姫』『小夜中山』『佐用姫望夫石』『友切丸』『坂田金平』『臼井貞光』『織田又八』の如き傳説物、『妻懸稲荷出来』『大磯地藏咄』『義興矢ロ渡』の如き縁起物、『武田信玄初軍』『増補甲陽軍』『名勝智勇鉾』『百合若軍記』の如き軍記物、『實盛一代記』『義経一代記』『景清一代記』『鎌倉三代記』『大塔宮物語』『繪本太平記』『通俗三国志』の如き歴史物、『仇敵打出小槌』『敵討垣衣摺』『敵討美女窟』の如き敵討物、『傾城枕軍談』『男色鑑』『於萬紅』『男色太平記』『執着胴緋櫻』の如き艶物などがありて、其の範囲は相當に廣い。


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 08:45:29