船曵由美 二〇一〇年六月十四日 講談社
p.228 ミヨは、このあともずっと女学校をジーガッコウといっていた。字を習うところなので、「字学校」と思っていたのだ。 p.255 喋るときの田舎なまりも、あらためて恥ずかしかった。