谷崎潤一郎?
「細雪」

「文芸作品の関西弁」

新書版全集
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青空文庫
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さうでなくても人中《ひとなか》へ出ると一層物が云へなくなる雪子は、かういふ席では「でございます」の東京辯で話すのがギゴチなくて、自然言葉の終りの方が曖昧《あいまい》になるのであるが、そこへ行くと幸子の方は、矢張いくらか云ひにくさうに言葉尻を胡痲化《ごまか》しはするものゝ、それでも大阪流のアクセントが餘り耳に附かないやうな技巧を使つて、どんなことでも割合に不自然でなく器用にしやべつた。

「けど、そのお婆ちやん、帝政時代の露西亞の法學士で、偉いお婆ちやんらしいねんわ。『わたし日本語下手ごぜえます、佛蘭西語獨逸語話します』云うてはるわ」

彼女は相良夫人のやうな型の、氣風から薄態度から、物云ひから、體のこなしから、何から何までパリパリの東京流の奥さんが、どうにも苦手《にがて》なのであつた。彼女も阪神間の奥さん達の間では、いつぱし東京辯が使へる組なのであるが、かう云ふ夫人の前へ出ると、何となく氣が引けて  と云ふよりは、何か東京辯と云ふものが淺ましいやうに感じられて來て、故意に使ふのを差控へたくなり、却《かへ》つて土地の言葉を出すやうにした。それに又、さう云へば丹生夫人までが、いつも幸子とは大阪辯で話す癖に、今日はお附合ひのつもりか完全な東京辯を使ふので、まるで別の人のやうで、打ち解ける氣になれないのであつた。成る程丹生夫人は、大阪つ兒ではあるけれども、女學校が東京であつた關係上、東京人との交際が多いので、東京辯が上手なことに不思議はないもの」、それでもこんなにまで堂に入つてゐるとは、長い附合ひの幸子にしても今日まで知らなかつたことで、今日の夫人はいつものおつとりしたところがまるでなく、眼の使ひやう、唇の曲げやう、.煙草を吸ふ時の人差指と中指の持つて行きやう、  東京辯は先づ表情やしぐさからあゝしなければ板に着かないのかも知れないが、何だか人柄が俄《にはか》に悪くなつたやうに思へた。

子供逹はもうすつかり新しい生活に馴れ、東京辯も上手になり、家庭と學校とで言葉の使ひ分けをする程になつてゐて、

「しかし、僕は去年澁谷で厄介になつた時にさう思うたが、子供云ふもんは何であゝ早う土地の言葉を覺えるねんやろ。ーあの時は十一月やよつてに、まだ東京へ行つて二三箇月しか立つてえへんのんに、本家の子逹はもうちやんと東京辯使うてるねんが。それも小さい子供ほど上手やねんで」
「もう姉ちやんの年になつたら、あかんやろなあ」
と、幸子が云つた。
「そらあかん。第一姉ちやんは覺えよう云ふ氣イないねんもん。此の間もバスの中で大阪辯で話しかけるさかいに、外のお客がみんな姉ちやんの顏見るのんで難儀したけど、姉ちやん云うたら、あゝ云ふとこはえらい心臓やねんな。顏見られても平氣で話してるねんわ。そしたら、それ聞いて、『大阪辯も惡くないもんだね』云うてる人もあつたけど」雪子は、「大阪辯も悪くないもんだね」と云ふ東京辯のアクセントを上手に眞似た。
「年増《としま》の女はみんな心臓や。僕の知つてる北の藝者で、これはもう四十以上の老妓やねんけど、東京へ行つて電車に乘つたら、わざと大阪辯で『降りまツせえ』と大きな聲で云うてやりまんねん、そしたらきつと停めてくれはります云ふ女があるねんが」
「輝雄ちやんなんか、お母ちやんは大阪辯を使ふさかいに一緒に歩くのん御免や云うてますねん」
「子供はさうかも知れんな」
「姉ちやんは旅にでも出てる氣持やろか」
と、妙子が云つた。
「ふん、大阪と違うて、どんなことしても誰も何とも云ふもんはあれへんし、氣樂なとこもあるらしいねんわ。それに東京と云ふとこは、女がめい〳〵個性を貴んで、流行云ふもんに囚《とら》はれんと、何でも自分に似合ふもんを着ると云ふ風やさかい、さう云ふ點は大阪よりもえ」云うてるわ」

阪神電車の車掌の口調

「帝國議會だの首相官邸だのつて英語、姉ちやんよく知つてたなあ」
輝雄はひとりアクセントの正しい東京辯を使つてゐた。
「日本語の間に片言の英語交ぜるねんわ。帝國議會は覺えてたけど、首相官邸は、『此處が近衞《このゑ》さんのゐやはるとこ』と日本語で云うてん」

「みんな大きうなつたわなあ。大阪辯使うてくれなんだら、何處《どこ》の子逹やら分らへん」
「彼奴《あいつ》等みんな東京辯が巧いんだけれど、叔母さんに歡迎の意を表して、大阪辯を使つてるんですよ」

お客と云ふのも大部分は氣心の分つた大阪の人逹であり、女中にも大阪辯を使ふ者が多いと云つた風で、泊つてゐても家庭的で、東京にゐるやうな氣がしない、と云ふやうに云つてゐた

先程蘆屋のお宅から電話が懸《かゝ》つて參りましたよつてに(と、その女中も大阪訛《おほさかなまり》のある言葉で云つた)そのことを申し上げようと、何遍も歌舞伎座へ電話致しましたけど、話中でどうしても、懸らんものでございますから、

その頃はまだ未亡人の連れ合ひが生きてゐて、此の人の訛《なまり》が殊に著しく、此の地方特有の、「たい」を「てやあ」、「はい」を「ひゃあ」と云ふ風に發音するのが可笑《をか》しくて溜《たま》らず、老人の口からその音が出る度《たび》に三人眼を見合せて死ぬ苦しみをしてゐるうち、「先祖のお位牌《ゐはい》」と云ふのを「先祖のおゐひゃあ」と云つた途端にとう〳〵笑ひを爆發させてしまひ、義兄の辰雄に苦《にが》い顏をされたことを今も覺えてゐるのであるが、

お春はマンボウと云ふ言葉を使つたが、これは現在關西の一部の人の間にしか通用しない古い方言である。意味はトンネルの短いやうなものを指すので、今のガードなどゝと云ふ語がこれに當て篏《は》まる。もと和蘭陀《オランダ》語のマンプウから出たのださうで、左樣《さやう》に發音する人もあるが、京阪地方では一般に訛《なま》つて、お春が云つたやうに云ふ。

キリレンコも大阪辯を出して云つた。

東京のアクセントで云つた。

相手次第で大阪辯と東京辯とを完全に使ひ分ける夫人であつたのが、此の頃は東京辯ばかりにしてゐるのか、此の前會つた時もさうであつたが、今日は一層早口な江戸つ兒でまくし立てるのであつた。
丹生さんひどいわ、……と、幸子もいくらか東京辯に釣り込まれながら、

あれを大阪では、字で書けば『吉兆』なんだけれど、訛つてキツケウつて云ふんですの。

話題は暫く關東と關西との風俗や言葉の比較に移つたが、大阪で生れて、東京で育つて、又大阪へ歸つて來たと云ふ丹生夫人は、「あたしは兩棲《りやうせい》動物よ」と云ふだけあつてさう云ふことには誰よりも通《つう》であり、貞之助や井谷を相手に東京辯と大阪辯との鮮《あざ》やかな使ひ分けをして見せるのであつた。

齒切れのよい東京辯の人なのが、興奮してゐるので一層テキパキした口調になつて、何だか知れないが橋寺さんがひどく怒つてゐる、

無雜作に大阪辯で云つた。

周圍がいづれも見も知らぬ純東京の奥樣や令孃ばかりで、誰一人話しかけてくれる者もゐない。二人は小聲で語り合ふのさへ、上方訛《かみがたなまり》を聞かれることが氣が引けるので、さながら敵地にゐる心地で身をすくめながら、あたりでぺちやくちや取り交される東京辯の會話に、こつそり耳を傾けてゐるより外はなかつたが、

ふん、分つてる、今濟んだとこやねん、直ぐに歸るわ、……と、つい電話口で大阪辯を出してしまつて、二人は慌てゝ戸外へ出たが、


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Last-modified: 2021-01-31 (日) 11:36:07