邦光史郎
京都の公卿出身でありながら友純は、住友本家の生活を洋風化するため、言葉も大阪弁を廃して、東京弁を使うようにと希望した。
次に家庭内から大阪弁や上方的な生活慣習を追放して、さていよいよ洋風化の収終段階に取りかかった。
今では岡山弁もすっかり身について、