韻鏡正義編は摩頂上人の著で寛延四年(二四一一)に成る。この書、中間に韻鏡の序列につきて辨じたるの外には直に韻鏡の末書とも云ひがたきが、さりとて韻鏡を離れた者でも無い。三山張麟之と有るにつきて大明一統志九十卷の内で三山と號するが十五處あるから張の傳の詳かならぬに之を福州と定むるも疑はしと云ひ、韻鏡を名字反切の書とするは鶏を割くに牛刀を用ひる類だ(この書は古義標注よりも二十五年の後)と云ふの類。全部漢文。 (岡井慎吾『日本漢字学史』)