鮎川哲也
推理小説
時代は昭和41年2月

九州方言会話あり

角川文庫(昭和51、解説:南俊子)による

p.28 江島さんは大阪訛りがあるんだが、長谷さんは東京弁ですよ」
  「それじゃ長谷さんだ」
 丹那は断定するようにいった。犯人が関西弁で喋っていたなら、「蔓バラ」の従業員なりハンカチタクシーの運転手がそう述べたに違いなかった。
p.29 われわれの探しているのは大阪弁の江島さんのほうかもしれない。
p.78 肥えていたとか東北弁をつかっていたとか、その程度のことでも覚えていてくれると助かるんですが……
p.82 彼の言葉はむきだしの九州弁だから、いっそうはきはきした印象をうけるのだった。
p.113-4 「声に特徴はなかったですか。吃るくせがあったとかいうふうな……」
 細君はゆっくりと首をふった。
「でも、土地の人ではなかったですわ。言葉が違います」
「どんな言葉……?」
東京弁ですよ」
 標準語にコンプレックスを持っているとでもいうのか、その細君は赤い唇を曲げて吐きだすように答えた。
p.140  「九州では南瓜のことをボーブラというそうですな」
 世間話でもするような調子で彼は訊いた。
  「はあ」
  「東京では唐茄子といったものです。うらなりの唐茄子といった具合にね。しかし近頃では南瓜といわないと通じませんよ。東京の言葉も変りました。
p.151 わたしは鹿児島弁はよく判っとです。戦争中は兵隊で鹿屋におったですけんの。
p.154 満州にいた頃は標準語で喋っていましたが、このあいだ会ったときにはすっかり鹿児島弁にもどっていました。


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:06:34