実に『田舎談義』は、越谷吾山の方言研究の弟子として、北葛飾の方言で人物があれこれを語る、のちの式亭三馬の『浮世風呂』『浮世床』を先取りした、当時の話し言葉の記録だったのである。
「言葉の訛りは、どうなのです」
「田舎ではないですなあ。あれは江戸辯でしょうか」
さしたる教育も受けられず、十三歳で江戸へ奉公に出たのだが、埼玉訛りもあってうまく溶け込めず、浮浪の徒になってしまった。
馬琴は六左衛門らの言葉を聞いていて、方言ではあるが、上方のそれのように、語彙が独自なのではなく、ほとんど抑揚と語尾にそれが現れることに気づいた。これは吾山も言っていたことで、埼玉郡あたりでは、江戸に近いため、語彙に独自のものがない。
この正月、式亭三馬の『浮世風呂』が刊行されて評判となった。話し言葉をそのまま写したことで知られる作だが、それなら竹塚東子の『田舎談義』が先にやっていた。