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梁塵祕抄 歌謠集【編者】後白河院(右記.八雲御抄)【卷數】 「本朝書籍目録」に「梁塵祕抄二十卷」と見える。但し「梁塵祕抄口傳集」(別項)は、卷第十で終つてゐるから.「梁塵祕抄」の正編として歌謠集十卷.別に口傳集十卷を合せて、總計二十卷としたものであらう。故に歌謠集の部分は十卷より成つたと思ぼれる。その中、卷一の抄出本と卷二の全部が今日傳存してゐる。但し、この卷一・二によつて類推すると、歌謠集を全部十卷としては尨大に過ぎる憾みがあるから.原本二十卷の組織は、今日想像ざれるところと異なつでゐるかも知れない。
【諸本】現在傳はる卷二は.江戸時代の新寫で、歌に脱落があり、後に増補した歌があり、誤字脱字も多く、異本と校合し、註記した所もあるので、他にも本書の寫本はあつたのであらう。元來原本は、「丈机談」(別項)に「梁塵祕抄」の納めてある御手筥は六條殿の御文庫に納められた由を記し.六條殿は後白河法皇の御所で、屡々火災に罹ったから、或は燒失してしまつたのであらうが、『徒然草」にも「梁塵秘抄の郢曲」と見えて(橘経亮の「橘窓自語」にも、伏見宮家に傳へられた「梁塵祕抄」の謠ひ物の部には催馬樂の事が書いてあると記してゐる)、後世にまで傳存したのである。寂蓮手跡本で正徹の門下正韵が奧書を害いた本の韓寫本が和田英松博士によつて發見せられ、今竹柏園の所藏となつてゐる。越後國頸城郡高田の室直助平千壽舊藏、村岡良弼氏の舊藏本で、今二册の冊子となつてゐるが、もとは一册本であつたのであらう。これが唯一の傳本である。卷一の抄出本は綾小路子爵家所藏の卷子本で、「口傳集」卷一の斷簡と合し、もと袋綴三枚の本であつたと見える。室町時代の寫本らしい。大正元年に和田英松博士・常盤大定博士・佐佐木信綱博士の解説を加へて刊行、更に大正十二年、考證。釋言・飜譯。資考等の附録を加へて増訂刊行。昭和七年の改訂版には、更に諸家の考説によつて脚註を付し、解釋に資した。その他、列聖全集御撰集第二卷。日本歌謠集成卷二・國歌大系第一卷・岩波文庫にも入り、國文東方佛教叢書の文藝下の今様四百首にも取られ、釋教歌詠全集第一卷に、註釋を付して釋教歌の部分だけを收める。更に原本複製梁塵祕抄(附卷梁塵祕抄の研究)佐佐木信綱(昭和二十三年、好学社)刊。
(後略)