手術(親父はシジツとかシリツと発音した)
親父は死ぬまで、体のことをカラダと発音せずに、カダラといっていた。
おれも無理に標準語まがいの言葉で、皮肉をいってみた。
運転手は、大阪弁丸出しでいうのだった。
おふくろが、
「用意出来ましたえ」
と、いつもとは違う京都訛りで二人を誘った。おふくろは緊張したり、他所へ行った場合は、大阪弁よりも抑揚が語尾にある京都弁になるのだった。
おれは老婦人は大阪弁を使うのがごく自然ではないかと思っていたわけだ。
大阪弁ではない標準語(中には東北訛りの人もいたが)でいわれると、妙に悲しくなっていくのだった。
方言の妙味が満ち溢れているような気がする。
親父は、水を求める時、少し喘ぐように、ミルといった。ダヂヅデドはすべてラリルレロという発音になっているのだ。
「うん、おかげさんで……」
と親父はいうのだ。この言葉を口にする時、親父は上機嫌であった。商人同士の挨拶の名残なのだ。
「ボチボチな」
といった。これも商人言葉である。