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五十音図 ごじゅうおんず 国語学

【名称】古くは五音図といつた。反音図・仮名反の図・対馬以呂波(いろは)・五十字文・「いつらのこゑ」ともいふ。

【解説】仮名を左の如く五字づつ十行に列ねた図をいふ。
  ア イ ウ エ オ
  カ キ ク ケ コ
  サ シ ス セ ソ
  タ チ ツ テ ト
  ナ ニ ヌ ネ ノ
  ハ ヒ フ ヘ ホ
  マ ミ ム メ モ
  ヤ ィ ユ エ ヨ
  ラ リ ル レ ロ
  ワ ヰ ウ ヱ ヲ
縦の各行を「行」と云ひ、その最初の仮名によつてそれ〴〵ア行・カ行・サ行などいふ。横の各列を「段」又は「列」と云ひ、その最初のア行の仮名によって、それ〴〵ア段・イ段・ウ段など又はア列・イ列・ウ列などいふ。一々の仮名は必ず一定の行の一定の段に位する。行及び段は一行又は一段づっ連ねて呼ぶのが常である。五十音は、古ぐは万葉仮名で書いたものもあるが、早くから片仮名で書いたものがあリ、後にはそれが例となつた。それ故、片仮名と五十音図とを混同する事もあつた(片仮名参照)。しかし近来は平仮名で書く事も多くなつた。又五十音図には、あらゆる発音を異にする仮名が含まれ、それが一定の順序に排列せられてゐるために、仮名で書いた語を排列する時には五十音の順による事が多い。

【五十音と仮名の発音】五十音図は、原則として、一々の仮名の示す音節を二つに分解して、初めの子音の部分の同じものを同行に、終リの母音の部分の同じものを同段に置いたものである。それ故、五十の音は、悉く互に違つた音であるべきであるのに、ア行のイどヤ行のイ、ア行のエとヤ行のエ、ア行のウとワ行のウは全く同じ仮名であつて、仮名としては発音上区別がない。それ故、一方に別の字を置いて(例へばヤ行のイに「〓」を、ア行のエに「〓」又はヤ行のエに「〓」を、ワ行のウに「于」を置いて)音の相違を明かにしようとしたものもある(古く万葉仮名で書いた五十音図にはごれ等を区別したものがある)。この中、ア行のエとヤ行のエとは、古く発音にも仮名にも区別があつたが、後に同音となリ仮名も一つになつたのである。又、ワ行のヰ・エ・ヲは、今はア行のイ・エ・オと同音であるが、これも古代には発音上区別があり、同音になった後も、仮名としては、別々のものと考へられてゐる。又、サ行のシ、タ行のチ・ツは、理論から云へばsi・ti・tuであるべきであるが、今はshi(∫i)、chi(t∫i)tsuとなつて、例に合はないが、古くはチ・ッはtituと発音した(「シ」の古音は、siかshiかまだ明かでない)。かやうに古代の仮名の発音によれば、五十音図は、大抵規則正しいものとなり、当時の国語の音をその異同によって組織的に排列した音声表と見られるが、なほヤ行のイ、ワ行のウの如き、古代国語に無かつた音を加へてゐる。さうして後世、国語の音声変化に伴ふ仮名の発音の変化と共に、五十音図は音声表としては正しくない部分が生じたが(タ行がta chi tsu te toとなリ、ワ行がwa i u e oとなったなど)、それにも拘はらず、国語の音相通又は声転換等を示す図としては、そのまゝ用ひる事が出来る。(例へば、「こゑ」――「こわいろ」に於ける「ゑ」と「わ」の転換は、「ゑ」の発音がweからeに変化した後も、やはリワ行の二段とア段との転換である)。

【五十音図の異同】古代からの文献に五十音図の全部又は一部が見えてゐるものを集めて見ると、その行及ぴ段の順序に異同あるものが少くない。段の順序に於ては今の五十音図の如くアイウエオの順序であるものの外に、古くイオアエウ、アエオウイ又はアウイオエと次第するものがあり、行の順序は、今の五十音図に普通であるアカサタナハマヤラワの順序と多少の差あるものが非常に多く、今の順序のまゝのものは平安朝にはなく、鎌倉時代にもあまリ多くない。しかし吉野時代頃からは次第に多くなり、室町時代に於ては大概これに一定したやうである。現存最古の五十音図に属する明覚の「反音作法」及ぴ「梵字形音義」に見えるものは、万葉仮名を用ひ、ア行は阿伊烏衣於、ヤ行は夜以由江与、ワ行は和為于恵遠とあつて、片仮名で区別なき音まで区別してゐる。又、明覚の書にある片仮名の五十音図でも、当時同音になってゐたとおもはるゝイエオとヰヱヲとの位置も正しくなってゐる。然るに平安朝終りから鎌倉時代に入っては、ア行のオとワ行のヲとの位置を誤って、ヲをア行にオをワ行に置いたもの、又は、ア行・ワ行共にヲとしたものが出来、それが次第に普通となり、更に、エとヱ、イとヰの属する行を誤るものさへも出た。然るに江戸時代に入りて、契沖の挙げた五十音図は、ア行のオとワ行のヲとの位置が入れかはリ、その他は正しくなってゐたが、本居宣長にいたりて、その誤を訂して、古代のまゝの正しい図が行はれるに至った。

【五十音図に関する最古の文献】現存最古の五十音図として年代の明かなものは、悉曇学者僧明覚の著なる寛治七年の「反音作法」承徳二年の「梵字形音義」及ぴ康和三年以後の作たる「悉曇要訣」に見えるものである。なほ古いのは、大矢透氏が寛弘よリ万寿年間迄のものと推定せられた醍醐三宝院所蔵古写本「孔雀経音義」の巻末に七行だけあるものと、承暦三年に出来た「金光明最勝王経音義」に濁音の行を挙げたものとがある。なほ天台座主良源から道命に伝へたと称する「五韻次第」の中にもあるが、この書は早くも平安朝の終リ、多分は鎌倉時代のものと思はれる。

【五十音図成立の由来】 五十音図は国語の音声表のやうに見えるけれども、元来国語のために作られたものでなく、外国語学、殊に漢字音の反切(別項)のために作られたものらしく思はれる。国語には区別なく、漢字音(及ぴ梵語梵字)では区別があるア行のイとヤ行のイ・ア行のウとワ行のウを区別したのも、漢字の音を反切で示した「孔雀経音義」の末尾に最古の五十音図の一つが見出されるのも、,僧明覚が最も古く五十音図を挙げて仮名による反切法を説いてゐるのも (反音作法)、後世までも五十音図が反切に用ひられて、反音図とも仮名反の図とも名づけられたのも、右の如く考へれば最も自然に解せられる。反切のためには、各行の仮名が皆同様の順序に並んでゐる事だけが必要なのであつて、行と行との順序も、行中の仮名の順序もどんなでもよいのである。又賓際用ひる場合には、反切の上字と下字とに関係ある二行だけあればよい。古代の五十音図に、行や段の順序がさま〴〵になつてゐるのも、又古書に二三の行だげ見えて全部揃はないものがあるのも、かやうな理由による。尤、支那語の音声は日本語よリ複雑であつて、日本語に無い音が少くない故、正確な漢字音は仮名では写し尽せない訳であり、梵語も亦同様であるが、支那との交通が盛んであつた時代には、正確な支那語又は梵語の発音が伝はってゐたであらうが、間もなく日本化した事と思はれるから、漢字音も梵字の発音もすべて仮名で示し得る事となつたのであらう。その時代に同じ子音ではじまる音を連呼して反切をなす事となつて、五十音図の個々の行が出来、それが纏まつて五十音図となったのであらう。

【五十音図と悉曇】同じ子音を有する音を連呼する事は、悉曇に於てあリ、悉曇章の各行は皆同子音ではじまる音節である(悉曇参照)。その順序はa a- i i- u u- e ai am ahであって、日本の仮名に無いものを除けばアイゥエオの順となる。又子音は悉曇字母に於けるものの中、日本語に無いものを除けば、カサタナハマヤラワの順序となる。これによれば、現今の五十音図は悉曇に基づくものであること疑ない。古代の五十音図は、段の順序に於ては、明覚以後アイウエオの順のものが最も多く、悉曇の影響が明かであるが、しかし「孔雀経音義」の末尾や、教長の「古今集註」や、顕昭の「日本紀和歌註」、涼金の「管絃音義」の如き古い時代のものには、これとも違ひ、又相互にも同じくないものがある。これ等は、或は悉曇とは関係なく、漢学者、その他から出たものかも知れない。又行の順序は、悉曇に一致するものは、鎌倉時代以後のものであつて、それ以前には見えないやうである。これはその順序があまリ大切でなかつたためでもあり、又学者が自分の考で、音の性質の類似したものを近くに置いたりしたためでもあるらしい。しかし、途に今日の如き順序にきまるやうになったのは、悉曇の影響であることは疑ない。

【五十音図の成立年代及ぴ作者】現存文献の示す所では、五十音図は院政時代には既にあリ、平安朝半頃にも多分あつだらうと考ヘられる。その作者については、藤原長親(耕雲明魏)の「倭片仮名反切義解」には、吉備真備を片仮名及び五十音図の作者としてゐるが信じ難い。真備は支那に留学して、常時の支那語に精通してゐたのであるから、漢字音のために作つたとすれば、五十音では、漢字音を写すに不足であり、又国語のために作つたとしても、奈良朝に於ては、国語の音節の種類は少くも六十ほどあつて(別項「国語」の中「沿革」の条を見よ)、五十音ではやはリ不足であるからである。又江戸時代の国学者には、既に神代からあつたと考へたものもあつたが(真淵の「語意考」、篤胤の「古史本辞経」など)、これは一層成立し難い。大矢透氏は、万葉仮名で書いた最古の五十音図及びその系統のものに於て、ア行のエとヤ行のエとを区別した事、及ぴこれに用ひた文字が、弘仁よリ天暦までの有様に一致し、且つその母音を写した文字が「慈覚大師在唐記」中の悉曇字母の音註に類似した点がある事と、万葉仮名の五十音図を有する「五韻次第」が良源の伝本といはれてゐる事からして、天台の慈覚大師円仁の流派から出たものであることを主張された(音図及手習詞歌考)。しかしながら、現存最古の五十音図が、果して原始的の形を残してゐるものかどうかは疑問であリ、仮にさうであるとしても、これはア行・ヤ行・ワ行のあらゆる音をすべて区別してゐるのであるから、ア行のエとヤ行のエとの別ある事のみを標準として時代を論ずるのは、当を得たものとは思はれない。又大矢氏は、五十音図が最初から悉曇と関係あるものとして説を立てたのであるが、その他の系統のものが無かつたとも断定出来ない(前出)。されば大矢氏の論は、まだ根拠薄弱であると言はなければならない。今日の処では、五十音図は平安朝の前半の中に出来たものの様であつて、悉曇学者即ち僧侶が之と深い関係があつた事は否めないが、果してそれが最初の又唯一の作者かどうかは未だ決し難い。
【五十音図と国語研究】 五十音図は主として反切のために作られたもののやうであつて、後までも反切に用ひられ、韻学に必要なものとせられたが、又国語の音声表とも見られ、国語の音の性質を説明するに便宜であり、殊に仮名のやうな、音節文字を用ひる国語に於て、音節中の単音の変化又は転換を示すには必要であるところから、国語研究にも利用せられ、語釈語源の説明からはじめて、仮名遣、てにをは、活用の研究にいたるまで、間接直接に影響を与へたのであつて、国語研究には欠く事の出来ないものとして重んぜられた。(別項「国語学」の中「国語研究略史」参照)、
【参考】音図及手習詞歌考 大矢透
○音図及手習詞歌考を読む 吉沢義則(国語国文の研究
○五十音考 佐藤誠実(国文論纂
○五十音図に就いて 金沢庄三郎(国語の研究)
五十音図の歴史 山田孝雄              〔橋本〕

http://100.yahoo.co.jp/detail/%E4%BA%94%E5%8D%81%E9%9F%B3%E5%9B%B3/


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 01:19:00