平田篤胤
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古史本辞経 語学書 四巻四冊
【著者】平田篤胤 
【別名】五十音義訣
【成立・刊行】天保十年稿成り、嘉永三年十一月刊行。新田目道茂の序及ぴ田中定秋の序がある。
【諸本】平田篤胤全集巻十二所牧。
【内容】五十音に依って、国語の起原を述べたもので、初に「古史本辞経」と題する所以を述ぺてゐる。」本文は十項に分れ、即ち
(一)発題序言には、我が古代の言語は万国に優つて純正である。その純正な言葉の姿を世に表はしだのは契沖であリ、春満に次いで真淵に至つて、活用を初・体・用・令・助と分つた。こゝに始めて、国語の真の姿が明かになつたのである。而して五十音図は応神天皇の御代に出来たものである。――これは荷田家に伝はる古説である。――近世まで阿行のオと和行のヲとが所属を誤つてゐたが、これは後世に誤つたものであると云ひ、
(二)五十音古図には、我が国には神字が五十字あつて、それを図にしたものが五十音図であつて、五十音図が悉曇の影響で出来たなど云ふのは、外国崇拝の考から出た事で誤である。五十音は天地自然の正音である。而して外国の音は卑しいものであるから、外国から五十音が生れ出る筈はない。「和名抄」の巻頭の五十音図は悉曇韻鏡とは組織が違ふと云ひ、
(三)五十音図訂正には、羅行を最後の行に置くことにした。それは羅行の音は声音中最も卑しく、ためにこの行の吾は言葉の初にあることがない。故に最後の行に置くと云つてゐる。
(四)五十音活用には「語意考」の説に従つて初・体・用,令・助と活用する事を述べ、これは荷田家に伝はる古説であると云つてゐる。
(五)喉音三行辨は「字音仮字用格」(別項)の喉音三行の説を訂正してゐる。
(六)及ぴ(七)五十音義解は本書中最も主要な部分で、先づ我が国では古恵(こゑ)と云ふのに音と声の二字を通用し、古登(こと)又は古登婆(ことば)と云ふのに、言・語・詞・辞等の字を通用してゐるが、これ等の文字は支那の方では明かに区別のある事である。而して又言語の発生から見ても、先づ物には象がある。象があれば目に映る。目に映れば情に思ぶ。情に思へば声に成つて表はれる。これを音象(ねいろ)と云ふ。総て言があつて後に語があり、語があつて後に詞があリ辞がある。即ち声音・言・語・詞・辞と云ふ順序で、それ等は同一ではないと云ひ、次に五十音の各行に互つて一字づつ音義を説いてゐる。
(八)古言清濁説及び(九)古言延約通略等説は、「語意考」の説を訂正したものである。
(十)古言学由来には、国語学史の概要を述べてゐる。
【価値】篤胤は熱狂的な学者であつて、その生涯の目的は、日本が万国に勝れてゐる所以を明かにする事にあつた。これは一方から云へば尊ぷべき事であるが、余りに理想に急であつたために、学問を理想の奴隷にしてゐる事が多い。換言すれば、皇国の尊厳を云ふために牽強附曽の説を立てる事が多い・本書に於ても、喉音三行辨論、古言学由来の条等には見るべき説も存するが、多くは理想の熱烈なために、その材料や、材料の取扱方に於て、正鵠を失する場合が多く、国語研究の書としては、多くの価値を見出すことは出来ないものである。    〔亀田〕
(新潮社『日本文学大辞典』亀田次郎)

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古史本辭経 四巻四冊
 「五十音義訣」とも言ふ。平田篤胤著。嘉永三年刊行。平田篤胤全集所収。本書は五十音によって國語の起原を述べたものであるが。著者篤胤は餘りにも熱狂的な學者であり、皇國の尊嚴を啓示すると云ふ理想の爲めに学問をその奴隷にし牽彊附會の説を立てる事が多かった。從って本書の説く所もその喉音三行辨の條に於いて「字音假字用格」の喉音三行の説を訂正したり、古言學由來の條に於いて國語學史の概要を述べたるが如き、學説として間々見るべき説も存するが全體としてはなほ國語研究書として價値劣るものと言はねばならぬ。
(亀田次郎「国語学書目解題」)

本文
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/ho02/ho02_00105/index.html


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:03:59