http://blog.livedoor.jp/bunkengaku/archives/25193179.html
【語學者として】篤胤の語學説は、本居宣長の日本尊重外國蔑視の思想を受け、それを大に發展せしめたものである。その所説は當時一般の國學者、勤王の志士逹に歡迎せられたが、今日から見れば、主張が主となり、研究が從となつて居る傾向があり、學術的には大なる價値を有しない。篤胤が、最も力を注いだのは、神代文字の研究である。篤胤は初めは神代文字(別項)の存在を信じなかつたが、諦忍の「以呂波問辨」(別項)「神國神字辨論」(以呂波問辨參照)を讀んでその存在を信じ、諸方の神社に藏する神代文字と傳ふるものを多数蒐集してこれを確め、極端な日本尊重の思想を以て極力主張した。この説は「古史徴開題記」(四册刊)「神字日文傳」(別項)「古史本辭經」(別項)等にあるが、今日から見れば、その資料に於いても資料の取扱方に於いても不備誤謬多く、その結論は首肯し難いものである。この他、用言の活用、語源の研究等があるが(古史本辭經參照)、用言の研究は「語意考」(別項)の説を敷衍したに過ぎず、語源論は音義説に依るものであつて、共に研究としては價値が乏しい。     〔以上龜田〕

前半部執筆は田中義能

PDD図書館(獨澄旻さん)の人名辞典に項目あり。<br> http://www.cnet-ta.ne.jp/p/pddlib/biography/frame.htm


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 08:45:25