http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kokusyokaidai/k1/kokusyo_ka075.html>
かなほんまつ
   假字本末  三巻  伴信友
 上巻二冊に草假字、いろは假字の事を論じ、下巻一冊に片假字の事を論す。博引廣證、諸家の説を辨じて詳に比較論定せり。附録一冊には、平田篤胤の「神字日文傳」の説を駁して、「神代字辨」と號せり。嘉永三年庚戌〔二五一〇〕長澤伴雄の序あり、同年出版す。
 ◎伴信友の傳は「古事逸傳考」の下にあり。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/syomokukaidai/ka/kaidai_ka038.html


假字本末 上下二巻附録一巻四冊
 伴信友著。嘉永三年刊行。伴信友全集所収。上巻二冊は草假名の研究で下巻は片假名。附録は神代文字の研究である。草假名の起原・沿革について漢字渡來以後我國では漢文で用を辨じてゐたが祝詞宣命等次第に漢文のみでは不都合を生じその音を借り或は訓を以て言葉を表はす様になり、扨その文字も楷書でのみ書くは煩雜なる故遂に草假名の發達を見たものと思はれる。而して弘法大師に至って初めて字體も一定して伊呂波四十七文字に整理されたのである由を述べてゐる。附録に伊呂波歌弘法大師の作なる事、和讃今様巡禮歌の沿革を記して居る。下巻の片假名の研究に於いては片假名は悉曇音圖に準じて天平勝寶年中に吉備眞備が作ったものであらうと云って「倭片假名反切義解」の説を認めてゐる。次の附録一卷は「神字日文傳」を反駁して神代文字を否定したものである。本書は當時に於ける考證學の第一人者信友の代表的著作であり全體的に今日も猶十分尊敬に値するものである。殊に當時の熱狂的な自國尊重思想に災されずその考證的立場に於いて穏健確實な説を以って神代文字非存在説を主張した事は彼の卓見であって、この否定論に對して松浦道輔は「假名本末辨妄」を以って、篤胤は「古史本辭經」に於いて駁論を掲げてゐるが明治以後の學界は信友の否定説を定説としてゐるのを以て見ても彼の所説の如何は窺はれる。
【參考】

   * [[吏道諺文考]] [[岡倉由三郎]]。「東洋學藝雜誌」一四三・一四四。
   * 諺文の起原 金澤庄三郎。「國語の研究」所収。
   * 假名の起原 金澤庄三郎。「國語の研究」所収。
   * [[音圖及び手習詞歌考]] 大矢透。
   * [[平安朝時代草假名の研究]] [[尾上八郎]]。 

(亀田次郎「国語学書目解題」)


假字本末 かなのもとすゑ 語學書 二卷 附録一卷 四册
【著者】伴信友
【刊行】嘉永三年冬。長澤伴雄の序(嘉永三年三月)あリ。又伴信友全集卷三所收。
【内容】假名の起原沿革を研究したもので、上卷(上下二册に分つ)は草假名、下卷は片假名、附録一卷は神代・文字の研究である。著者は先づ「古語拾遺」等によつて、日本の上代には文字のなかつた事を述べ、さて漢字が渡來してからは、漢文を以て事を辨じてゐたが、祝詞・宣命の如きは漢文のみでは現はし難く、又神名・地名・人名、殊に歌の如きは、到底漢文では表はし難い。其處で漢字の字音を借り、又は訓を以て言葉を書き現すやうになつたが、その文字を楷書で書くのは煩雜であるので自然草書を用ひ、その草書が漸次一種の定つた形を用ひるやうになつたのであらう。それが草假名であらうと云つてゐる。而して草假名は延暦の頃から既に用ひられてゐたが、その字體はまだ一定するまでには至らなかつたが、弘法大師がこの草假名を整理して四十七字の伊呂波歌を作リ、字體をも一定したのである。草假名を以て一部の書を著はすやうになつたのは、嵯峨天皇の御世からであると逋べ、次に手習歌として古く用ひられた難波津・淺香山の歌を考證し、次に「書史會要」「音韻字海」等の漢籍に見える假名を考證し、附録として伊呂波歌が弘法大師の作になり、和讚であるが、同時に又、今樣歌の祖として七五調の始めと認むべきものであり、當時流行の漢讃・梵讃の句調の大體が七五調であつたと、和讃・今樣・巡禮歌の沿革を記してゐる。下卷は片假名の研究で、片假名の創始者について、長親の「倭片假字反切義解」の序に、天平勝寶年中に、吉備眞備が造つたとある説が信用するに足るものであらう。而して眞備の造つたのは四十五字で、後弘法大師が園と於との二字を加へて四十七字にしたと云ふ言ひ傳へも、信ずべきであらう。この片假名は悉曇の音圖に準じて造つたものである。さて片假名で書いた最初の書は、「堤中納言物語」であると記してゐる。次に附録の一卷は、平田篤胤の「神宇日文傳」を反駁して、神代文字を否定したものである。曰く、神代文字として傳へて居るものは、多くは後世の人が龜トの灼兆を基とした僞作で、論ずるに足らぬものであるが、その中に恣に作爲したものではなくて、字體に或る根據があると思はれるものが三種ある。が、それは朝鮮の「吏道《りと》」「諺文《おんもん》」(別項)を摸したものである。或る學者は、吏道が我が神代文字を摸倣して出來たのだと云ふが、それは反對で、日本には漢字渡來以前に固有の文字のあつた形跡はないと論じてゐる。
【價値】本書は、假名の起原沿革を考究したもので、常時に於ける考證學の第一人者たる信友の代表的著作である。而して假名の研究としては江戸時代に於て、全く卓絶した書である。尤も今日から見れば、部分的には、材料に於ても、考證に於ても幾多の缺陷は存するが、全體としては十分の尊敬に値する。殊に神代文字の研究は注意すべきものであつて、當時、自國律重の思想が熱狂的に行はれてゐたのに、その思潮に囚はれずに、上記の如き穩健確實な説を主張したのは信友の卓見であり、又、それは考證學の賜である。なほ歌論としても特筆すべきものである。
【影響】本書が當時の學界に及ぼした影響の最も大なる點は、神代文字否定論である。松浦道輔の「假名本末辨妄」(寫本三卷)は、本書を駁撃したものであるが、就中神代文字否定諭に對しては痛烈に反駁してゐる。又篤胤の「古史本辭經」(別項)の第四卷、古言學傳來の條にも、本書の所説を反駁してゐる。然し神代文字の否定は、明治以後學界の定説となり、信友の卓見が明かにされた。           〔龜田〕

新潮日本文学大辞典
http://f.hatena.ne.jp/kuzan/20100710191737

岩波日本古典文学大辞典 山田俊雄
伴信友全集
国語学大系


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 01:19:11