字鏡集 七巻或ハ廿巻
 菅原爲長の著と傳へられ、七卷本奥書によって寛元頃の作と言はれる。現存本は七卷本(寛元本)の外に二十卷本(応永本)がある。本書は字形引辭書である。漢字を偏旁で分類し、更に偏旁を字義に依って(一)天象部から(十三)雜事部に分類し(寛永本による。応永本はやゝ異る)その音訓は總て片假名で註してゐる。本書は鎌倉時代古辭書として同時代の國語研究に重要であり、漢字の偏旁字義で分けた事は辭書編纂史上注意すべきである。又音訓の註が總べて假名である事は前出の類書等に比し日本化したものである。最近本書はその各異本を對照して出版されてゐる。
【末書】
 * 「字鏡集類字抄出」(或は字鏡集抄出)一巻寫本 緑川眞澄著。字鏡集の訓を抄出して五十音順に配列した索引。
(亀田次郎「国語学書目解題」)

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/kokusyokaidai/s2/kokusyo_si025.html>
   字鏡集 寫本二十卷  菅原爲長
 漢字を偏傍によりて集めたる字書なり。毎字片假名にて音訓を附したり。而して性質を天象、地儀、植物、動物、人體、人事、飲食、雑物、辭字等に分類せり。應永二十四年丁酉〔二〇七七〕の編成なり。
 ◎菅原為長は|古人《フルヒト》十三世の孫にして、大學頭長守の子なり。夙に書を善くし、和歌に達し、また朝廷の典故に通ぜり。元暦正治の間秀オに擧げられ、大舍人助右衛門少尉、槍非違使、式部少輔、大内記等を轉歴して、文章博士となり、侍讀式部権大輔、大藏卿等を歴、嘉禎年中、参議兼勘解由長官に任じ正二位に叙せられ、寛元四年丙午〔一九〇六〕八十九にて薨ず。

http://www.let.osaka-u.ac.jp/~okajima/uwazura/syomokukaidai/sa/kaidai_sa046.html

野口恒重
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1189168


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Last-modified: 2022-08-08 (月) 10:07:23